此処は、
『色即是空』


色即是空とは、仏教(般若心境)の基本的な考えで、
『此の世に或る全てのもの(色)は、
「因」と「縁」によって存在しているだけであり、
定まった、固有の本質を持っていない(空)。』

と言う意味。
平たく言うと、『色=全て』、『空=無』と考えよう。
この場合
『色即是空』とは、『色は空である』と言っている。
つまり、『全ては無である』、と。

逆に、
『空即是色』と言う言葉がある。
これは、簡単に言うと、
『色即是空』の逆。
『宇宙の万物の真の姿(色)は実体では無く、
固有の本質を持っていない(空)。
だが、其れ(空)は、一方的に全てを否す虚無では無く、
五感で感じ、頭で識別している
此の世の現象(色)の姿、形こそが其れ(空)である、と言う事。』

つまり、『無は全てである』、と言う事。

まぁ、意味の捉え方は、人それぞれだと思ってる。
だってそうでしょ?
宗教で広める教えなんて、あまりハッキリした事は無い。
捉え様が無い。って言った方が良いのかも知れない。
ハッキリした教えは、柔軟性に欠けるから。
奥底迄突っ込まれると、逃げられなくなるから。
憲法でさえ、いや、憲法なんて特にそうじゃないか?

「こう言う事したらダメ!」
って、ハッキリ言っている事もある。
でも其れは、誰もが、大多数が駄目だと感じる事。
例えるなら、殺人や盗難、放火…まぁ、『悪い事』。
其の『悪い事』ってのは、誰が決めてるかって言うと、
仏教で言うなら、檀家であり、寺であり、和尚であり、
まぁ、偉い人。後は、『仏』って言う場合もある。
そして、俺達。
憲法で言うなら、政治家、立法の立場や、
そして、俺達。
『悪い事』ってのは、『されたら嫌な事、困る事、迷惑な事。』
おおまかに見ると、こんな感じ。

ハッキリしていない事って言うのはどう言う事だろう。
解り易く、憲法で例えてみよう。

日本国憲法第九条
“戦争放棄、戦力の不保持および交戦権否認”とあり、
其の
第一項で、
“日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。”

とあり、
第二項に於いて、
“前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。”

とある。

簡単に見ると、『日本は戦力を保持しない』と読める。
だが、
第二項『前項の目的を達するため』と言う部分が、
なかなか曲者だ。
『前項の目的を達するため』、つまり、
『国の権利を発動する戦争と、武力による威嚇
または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。』
と言う目的を達する為。
つまり、
『土地や資源が欲しい』、『言う事を聞かない』って言う国同士の政治的争いを、
武力、兵力を使って解決しない。

と言う目的を達する為、陸海空軍等の戦力は、
戦力を保持しない。

って事。(かなり平たく、大まかに言ってると思うけど)

待てよ?
と言う事は、其れ以外の理由なら、戦力を持っても良いって事?
なんて解釈も出来る。

『大人の世界には、
本音建前がある』って言うのは、有名な話。
本当は、日本政府は、戦力を持ちたいんだ。
と言うか、少し位、戦力が無いと不安なんだ。
他の国から攻められる事があるかも知れない。
例え、歯が立たないと分かっていても。

だけど、『持たない』って言わないと、責められるんだ。
平和主義なんて言ってる癖に。って。
だから、形式上、『持たない』って言うんだ。
解釈を、曖昧にして。

其れ等の葛藤は、結局、白黒ハッキリ付けられず、
灰色にも成れず、唯、白と黒のマーブル模様を描いている。
だから、未だに『自衛隊は合憲か違憲か』と言う問題は、
最高裁判所ですら、意見が別れる。


話を
『色即是空』に戻そう。
俺は此のページの
『色即是空』は、『空即是色』とセットで考えて、

『とても曖昧な物』
『答えの定まらない物』
『繰々と輪廻する物』
『掴み所の無い者』
そして、『自由な物』

と言う意味を込めて、名付けた。
つまりは、『俺の中』は、誰にも、俺でさえも掴めない。
『俺の中』だけで無く、『誰の中』も、誰にも掴めない。

そんな自由気侭な発想を、
そして、
『言霊』『殴書』に書く訳にも行かず、
尚且つ、皆に伝えたい、知って居て欲しいと思う事を、
『詩』『小説』に捉われない、自由な形で、
唯の、『文字の羅列』、
『色即是空』として、
表現しようと思ったのです。

だから、
『色即是空』にある言葉は、
自由で、
形式に捉われていなくて、
不安定で、
不定期で、
我侭で、
唯、言いたい事を一方的にぶつけるだけで、
読む側の人の考えを無視してて、
其れを『俺の中』と言う事で正当化して、
其れでも、『伝えたい』と言う思いが物凄く強い。

『絶対音視』なんて、詩じゃ表せないし、
『墓が要らない』なんて事も。
『絵と呼ばれる詩を書きたい』
此れ等は、
俺の理想であり、
俺の夢であり、
俺の経験であり、
俺の理論であり、
俺の哲学であり、
俺の心理であり、
俺の主張である。
此れ等は、俺の持つ、
唯一つの刀であるから、
俺が皆に、世間に、社会に向けれる
唯一つの刃であるから、
伝える手段は、此処しか無いから。

だから、
『色即是空』は生まれた。

でも、
『色即是空』と言う刀を、刃を持つ俺は、
幸せなのかも知れない。いや、幸せなのだろう。
自分の事を誰にも邪魔されず、好きに叫べる場所。

じゃあ、
『色即是空』だけで良いのか?
其れと此れとは別。
『色即是空』(イチイチ打つのめんどくせぇな)だけじゃなく、
俺は、欲張りだから、
『言霊』『殴書』も必要なんだ。
俺は、不器用だから、想いを表現し、伝える術は、他に知らないから。

『言霊』 『殴書』 『色即是空』

此の三つの
『魂』を以って、
俺は輪を創り、其れを波紋として、
拡げて行きたいと思う。
拡げて生きたいと思う。
願う。

俺は、
此の三つの
『魂』を持っている俺は、
物凄く、贅沢であり、幸せだ。
そして更に、
『御伽草子』『念写』まである。
そして、其れ等を媒体に、
『具現化』なんかもある。

此処迄自由にやってるんだ、其の責任は取らないといけない。

俺は、
『人に影響を与える側の人間に成りたい』と、
ずっと思っていた。
そしてそれは、
『成らなければならない』に変わりつつある。
皆が期待してくれているし、何より、自分が其れを望んでいる。
皆の期待は、圧力に成る事は無く、
心地よい追い風と成って、俺の背中を押してくれる。
有難う御座います。

そして言おう。
今、本当に、前を向いて、未だ俺の前を見え隠れする道の上に立って、
確信も、確証も、根拠も、何も無いけど、無責任に言おう。




『お前等見てろよ?いつか…。』




平成十五年三月五日午前一時四十分
以心伝心   竹下泰敬