音楽。
好きな音も、嫌いな音も、音楽。
売れていようが、売れていまいが、音楽。
有名だろうが、無名だろうが、音楽。
どうやって、音楽は、売れるんだろう。
誰かが、その人の音楽を聴いて、
「コレ良いよ!」って、また誰かに勧める。
勧められた誰かも、その音楽を気に入って、
他の誰かに勧める。
こうして、音楽は売れて行く。
のだと思う。
こうしていけば、音楽は、世界に広まる。
はずだった。
だけど、その「輪」の途中で、誰かが、
「普通じゃん。」とか、「全然良くないよ。」
ってなる。
それは仕方ない。
人には好みがある。
十人十色。
そうすると、音楽はそこで止まる。
だけど、気に入った人は、その音楽を求める。
こうして、音楽は売れて行く。
のだと思う。
世界的に売れている音楽も、
例えば、COUNTRY ROAD、STAND BY ME、上を向いて歩こう。
数えればきりが無いが、そういう音楽たちも、
やはり、好んでくれる人と、そうじゃない人に分かれる。
音楽は、無限だ。
誰かが言ったのをかすかに覚えている。
いつだったろう?随分昔の話だ。
その時は、意味がわからなかった。
この世には、似た音楽だってある。
「無限」なんて、有り得ないんじゃないか。
そう思った。
時は経ち、俺も音楽をするようになった。
意味が解った。
同じ曲なんて、この世に2つも無い。
唯一無二。
コード進行だって、幾千のパターンがあるだろう。
厳密に言えば、全く同じ曲を、全く同じ人が、
全く同じ場所で、何回か歌う。
それは、全て違う音楽だ。
その時の気持ち、フィーリング、感性、感覚、、、全てが同じということは有り得ない。
声のかすれ方がどこかで違い、伸ばす長さが微妙に違い、
ギターのチューニングがほんの少し違い、ドラムの力加減が、微妙に違い、ベースを弾く指のはじき方が、ちょっとだけ違う。
聴く人の気持ちが、全く違う。歌う人のテンションが、全く違う。
それだけで、たったそれだけで、音楽は、全く違う姿を見せる。
あの時、あの場所で聞いた、あの歌は、もう、2度と聴けない。
CDやMDやテープなどに、録音した、全く同じ「音」。
それすらも、違う。
聴く人の気持ち。スピーカーの揺れ方。
実際には、聞く人は自覚してないけど、違う音楽なんだよ。
俺だって、そんな事を思って音楽を聴いてるわけじゃない。
そんな気持ちで聴いても、音楽がつまらなくなるだけだし。
でも、とにかく俺が言いたいのは、「2度と聴けない、今流れているこの音楽を、心に刻もう。」
って事。
ただ垂れ流すだけじゃなく、心に、音譜を刻もう。

音楽を聴いていると、音が見えるようになる。
俺はそう思った。
見えると言っても、実際に目に見えるわけじゃない。
当たり前だけど。
なんか、「感じる」んだ。
見え方は、曲によって違う。同じ曲でも、その時その時で違う。
それは、さっき言った事が関係してるんだと思う。
見え方の一つを言うと、まず、
ドラムが下の方にテトリスみたいな、四角で出てくる。
あの、車のステレオで、音に合わせて動く、あれと似た感じ。
それで、ギターが、中央を、ギザギザの「面」で流れる。右から左へ。
例えるなら・・・わかんないや。
で、そのギザギザの面の上を、ボーカルの声が、
曲線で流れる。同じ方向に。スピードは違うけど。
それで、ベースの音が、ギザギザの面の隙間から、見え隠れする。
あ、あと、ドラムのシンバルの音が、両サイドに、長方形に囲まれて、ギザギザ・・・。
わかりにくいなぁ。
わかるかなぁ?


俺が、ここで今まで言ってきた事は、「音楽」の、ほんの一部にしかすぎないし、
正しい事だとは言えない。
だけど、こう言うことを伝える事が出来る、
こう言うことを伝える場所がある。
そんな俺は幸せなんだと思う。
まだ、「音楽」について、言いたい事はいっぱいあるけど、
それは、言葉にする事が出来ない。
漠然とした、「音楽のイメージ」にすぎない。
だから、今日はココまでにしとこうと思う。

平成十三年:九月十四日:一時十分
soul: