絶対音感と言うものは知っているだろう。
有名だ。
奥の方までは知らないが、大体ならわかる。
つまり、絶対音感とは、日常生活においてでも、
周りの音がすべて音符になり、ドレミに変換できる事。
うん。こんな感じだろう。あってるだろうか?

もちろん、俺にこんなもん無い。
唯、俺はたまに音が見える。
頭の中で、音が映像化される。
前にも言ったので、この話は省く。

唯、最近音が見える回数が多くなったと言うか、
感覚が敏感になったのかもしれない。


よく「見る」。


俺は、たまにトランス状態に近くなる。
自分で言ってて恥ずかしい上にカナリ受けるけど。
いや、多分「トランス状態」っていう言い方が悪いんだ。
なんて言うんだろう。
周りの音全部が視覚化する。

「絶対音視」

敢えてこう言おう。
此れに近い状態になる。
そういう時は、物凄く満ちた気分に成って、感性が高まる。
時もあれば、流石に周りの音全てが見えるようになってウザくてしょうがない。
時もある。

音が見える。
ハッキリした形ではないが、見える。

目を閉じると、目の前をちらつく星のような影のようなもの。
そんな感じかもしれない。
そこまでぼやけては無いけど。


唯、急になる上に人に説明しづらいし、その上あんまり凄い事じゃないんだよね。
だから、自慢できない。
だから、こういうとこでいう。

本当は、皆見えてるのかもしれない。
でも、別に気にもしないで生きている?
俺だけが気にしてる?

それでも、俺はこの状態を楽しむ。

絶対音視に陥った時、俺は、心の底からその状況を楽しもうと思って
色んな方向に耳を傾ける。
絶対音視の時は、普段より耳が聞こえる(ような気がする)から、
別に耳を傾けなくてもいいんだけど。

楽しめない時もあるけど、楽しい時が多い。
人の話し声や車の音や信号の音電車の音ライターの音葉っぱの音…
皆見えてくる。
この音はこんな形。
あんな形。


音楽を聴いてても、
街を歩いてても、
何もしてなくても

絶対音視。

平成十四年十一月十二日
以心伝心   竹下泰敬