第五話

「うた」

楽しみと不安が交差し、溶け合い…変な気分。

山下の事は考えない様にしていた。
今日は初めてのバンドに出逢うんだから。

動き易いジーパンに半袖のTシャツ。
上からは少し厚手のジャケットを羽織る。

待ち合わせは駅。山下はスーツで来た。
何処に行く気?

「ラフなんだね。」
は?
「え?」
「私服。」
「そう?」
あたしは苦笑い。
ほっといてくれ。価値観の違い。


「TREE STAGE」の前には早くも行列が出来ていた。
でも、開場の30分前になるとチケットの整理番号順に並ばされたので、
あたし達は割と前の方に並ぶ事が出来た。
早い内に買っていて良かった。

中に入り、凹んだロッカーに荷物を入れる。
ロッカーが空いていたのはラッキーと言って良い。
人数分のロッカーなんてある訳無いのだから。

500mlのスポーツドリンクのボトルを貰う。
ドリンク代の500円はチケット代に含まれている。
あたしは理不尽な値段のスポーツドリンクを一口含み、喉へ流し込んだ。
そして開場へ。

DJが色々な曲を流しながらMC。
「今夜は『HAiR-style』に来てくれてどうもありがとう。DJ-Coでーす。
皆ヘアスタイルはばっちりキマってる?」
程好い歓声と、笑い。

『HAiR-style』とは、今日のこのイベントの名前。
メインのAiR-styleにちなんだタイトルだ。
ちなみにポスターやフライヤーにはリーゼントに櫛を通すロッカーの絵が描かれていた。
この場合のロッカーとは、ロックミュージシャンを指す。

「ちょっとダンスしようか。」
DJコウはそう言うと、黒いドーナツ盤を一枚選び、回し始める。
ゆったりとしたスカが流れ出した。
最初は皆動かなかったが、少しずつ、体が揺れ、次第に飛び始める人も出て来た。
流れる様に、滑り込む様に、曲は移り変わる。
スカからレゲエ、ラテン、ポップ、ジャズ。
低音がお腹に響く。
30分位そうして居ただろうか、BGMの音量が急に上がる。
「OK!!ウエルカム・トゥ・ザ・HAiR-style!!」
DJコウが叫ぶと、最初のバンド、「ピュア・ノイズ」が出て来た。
皆が叫ぶ、と同時に、後ろから強い圧力が掛かる。
ピュアノイズが配置に着くと、曲が止まる。
「今晩は、ピュアノイズです。まずは一発目!!」
ドラムから曲が始まり、続いてギター、ベースが加わる。
皆その場で飛び跳ね始める。

気持ち良い。

ピュアノイズは4曲ほど演奏し、続いて「カマキリ」、
「FLAVOR」、「80」と、それぞれ3〜4曲の演奏。
バンドとバンドの間にはDJコウが気持ち良い曲を流してくれる。
このDJの技術も凄い。あたし達の気持ちを自在に変化させる。

そして、遂にメイン。
「さぁ、今夜はこの人達目当てに来た人が多いでしょう?お待たせしました!!」
観客は大歓声を上げる。
「AiR-style――――――っ!!」
一際大歓声。
「AiR-style」のメンバーがステージに出て来た。

と、思ったら、山下が何やら話し掛けて来た。
折角存在を忘れていたのに…。
こんなに気持ちの乗ってる時に…。

大歓声と、DJコウの70年代のロックで、山下の声はあたしの耳には届かない。
だがその表情は何かを訴え掛けている。

メンバーが配置に着く。
曲が止まる。歓声も一瞬止む。
一瞬の静寂。その隙を突いて山下がやっと聞き取れる言葉を発した。


「坂下!!」


曲が始まった。
スピード感。だが決して軽くなく、あたしの好きな低音が心地良い。

山下は何故こんな時に坂下くんの名前を叫んだんだろう…?
思った瞬間、あたしの頭の中で絡まった疑問の糸は解け、

解けて、弾けた。

坂下くん!?
ベースを弾いているのは坂下くんだった。
会社に居る時とはまるで別人。
髪を逆立て、あんなにも飛んでいる。
そう言えばあの雑誌に書いてあった…。
「ベースボーカルの彼は会社員、ギター、ドラムは専門学校生をしながら曲を作っている。」

ベースボーカル…?

その瞬間、鳥肌が立った。

前奏で盛り上がっていた観客の殆どが呆然とした。
恐らくAiR-styleのライブが初めてじゃない客でさえ。

上手い。

としか言えない。それしか言葉が見付からない。
日本人とは思えぬ声、発音。
LとRの発音が完全に違う、と思った。
見事なまでのタンギング。

一瞬の沈黙の後、観客は沈黙の前の数倍叫び、飛び上がり、もうダイブ。

明らかに他のそれとは違う。
綺麗であり、激しくもあり…もう、とにかく上手い。
あたしがもっと上手く言葉を紡げたら…もどかしい。

1曲目が終わると少しMC。
坂下くんはベースのネックを上から持ち、マイクに向かう。
「今夜はありがとう。えっと、あー、その、頑張ります!」
観客がどっと笑った。中には「頑張れー!」という女の子も居た。
坂下くんはそれに照れながらも手を挙げて答える。

やっぱり坂下くんだ。中身はあたしの知っている坂下くんと変わらない。

「じゃあ2曲目、ライフスタイル。」
2曲目はシンバルから入った。
1,2,3…4発目のシンバルと同時に坂下くんとギターの人が高く飛んだ。
心臓に直接届く様なアタック。
目はもう坂下君を追い続けていた。

昨日も川辺で一緒に話した坂下くん。
いつも会社で失敗ばかりしている彼が、今、信じられない位、激しい歌。
綺麗な声だったり、時にかすれていたり、
微妙なアクセントを見つける度に、心が躍る。

この後、3曲、全部で5曲を終え、最後の曲となった。
「っと、来月、CD出ます。」
坂下くんは頭を掻きながら苦笑いした。

歓声。

「良かったら買って下さいねー。」
ギターの人が付け加える。

歓声。


「じゃあラスト。今夜はどうもありがとうございました。Circle。」