第六話
「田中」
ライブが終わって、トオルとタカシはぐったりしていた。
顔には、満足な笑みを浮かべている。
汗で絞れる程に濡れたTシャツを脱ぐ。
タオルで汗を拭き取り、替えのTシャツに袖を通す。
濡れた髪はワックスが溶け、うな垂れている。
今夜、松田は来ていたのだろうか…。
見てはいない。でも、あんなに楽しみにしていたし、やっぱり来たんだろうな。
特に隠す必要は無いけど…それでも、
僕の中で、何処か「気が変わったり、用事が出来たりして来なかったんじゃないか」
なんて、都合の良い考えが頭をよぎる。
打ち上げは「ARTER」で行われた。
「80」のドラム、シンジと少し仲良くなった。
DJ-Coは、高校の時からの付き合い、本名はコウキ。
AiR-styleの3人と、コウキとで、今夜のイベントを企画した。
コウキは笑いながら何度も僕等と握手した。
今ではアメリカ人も使う日本語、「サイコー」を繰り返した。
結局打ち上げが終わったのは終電も無くなった午前2時。
「ARTER」のマスターは途中から諦めたように、そして呆れて笑っていた。
タカシが運転する、バンド用のバン(名前はリンダ)でウチまで送ってもらった。
家のドアを開ける。
僕の住むマンションはワンルームの簡単な作り。
必要最小限の物しかない殺風景な部屋。
部屋に中央のテーブルの上には小さなサボテンの田中。
「ただいま、田中。」
田中は無言でおかえりと言ってくれる。
オーケー大丈夫、問題無い。
僕は正常だ。
ベースをケースから出し、少しだけメロディ。
ライブを思い出し、目を閉じる。
そしてスタンドに置き、服を脱ぐ。
ライブから帰った夜の、習慣だ。
ポットのスイッチを入れお湯を沸かし、
その間に風呂場に行き、蛇口を捻って浴槽にお湯を溜める。
「お前もシャワー浴びる?」
田中に霧吹き。
突然携帯が鳴る。
着信音を鳴らさないので、フローリングの床に転がった携帯は硬く唸った。
驚きと焦りから、タオルで滑った。
唸る携帯を止める。
後ろを振り返る。
田中が笑っている。
「このやろう。」
霧吹き攻撃。
松田からのメールだった。
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用事、お疲れ様。今日、見ました。
凄かったよ。びっくりだった。
ファンになりそう(笑)
なんて、もちろんAiR-styleのだよ?
では、明日に疲れ残さない様に、早く寝て下さいな。
おやすみなさい。
@@
やっぱり来てたのか。
僕はズボンを脱ぎ、パンツだけ持って風呂へ向かう。
浴槽の中で考える。
明日、どんな顔して逢おう…?
浴槽に沈むタオルに空気を入れ、風船を作る。
ゆっくり沈めて行く。
細かな気泡が何十、何百と浮かんでは弾ける。
一通り、身体と疲れを洗い流し、身体を拭く。
湯気で曇った鏡に映る僕の顔からは、表情は読み取れない。
身体を拭き終え、パンツを水滴の少し残る足に通す。
鏡をタオルで一拭きする。
現れた目は、充血していて、真っ赤だった。
僕は風呂場から出ると、部屋着を着て、
水を一杯飲んだ。
少し生ぬるい水道水は、それでも、風呂上りの喉に気持ち良かった。
時計を見ると3時半。
すぐに寝た方が良さそうだ。
歯を磨きながら、少しTVを見る。
深夜のTV番組は落ち着いて見る物じゃない。
冷静に見ても、分析してしまうだけ。
TVを消し、口をゆすぐ。
カーテンの外は真っ暗だ。
もうすぐ夜が明ける。夜中には煌びやかに光るネオンサインも、もう役目を終え、
街は朝への準備に取り掛かる。
電気を消す。
この部屋にも暗闇が滲む。
布団を被って4秒程、意識を集中させた。
今日のライブの反省、感想、喜び。
そして、次の4秒は明日への希望、不安、期待。
松田の顔が頭に浮かぶ。
仕方無いか。
覚悟を決めて眠るなんて、何年振りだろう…?
「おやすみ、田中。」