第八話

「後輩」

昼休みが終わり、淡々と仕事を続ける。
お茶を出し、コピーをとり、電話を受ける。
つまりは雑用。
最近は男性と女性の仕事を差別しない会社が増えている。
それでも、やはり男性と女性には相互に出来る事と出来ない事があるので、
完全な意味で全く同じ仕事が出来る訳ではない。
しかしそれは差別をしている訳ではなく、ただ単に区別しているだけである。

その点あたしの勤める会社は違う。
昔ながらの経営が色濃く残っている時代遅れの企業。
完全に男性と女性の仕事を区切られている。
未だに女性の事を見くびっている。
「ちゃん」付けで呼ばれるのは当たり前。
酷い人なんて「お姉ちゃん」とか、「お嬢ちゃん」なんて呼んだりする。
もう慣れた事。

「セクハラだ」なんて騒ぐのも馬鹿らしい。
そんな事で会社を辞めるのも馬鹿らしい。

給湯室でお湯が沸くのを待っていると、後輩が空の湯呑を持って来た。
「あ、先輩、お疲れ様です。流し使っても良いですか?」
「別にここならいつも通りで良いよ?」
「あ、そう?ごめんね。じゃあこっち使わせて貰うから。」
「どうぞ。」

彼女は高野弓。
一つ下の後輩だが、一度CDショップでバッタリ逢い、それから話す様になった。
今ではユミは先輩のあたしにタメ口で話す程仲良くなっている。
だが、この会社の縦組織はこう言う所にもうるさく、
職場では弓は一応敬語で話すようにしている。

「あれからどうなの?坂下くん。あんたよく川に行ってるみたいだけど。」
ユミはスポンジを握って泡立てている。
「別に恋愛感情なんて無いよ?」
「でも、会社で探すとなると坂下くん位しか居ないんじゃないの?
山下は有り得ないし、まぁ黙ってればカッコいいけどさ。」
山下はユミの好みの顔らしい。でも、話しをしただけでユミは諦めた。
「別に会社で見付けなくても良いって。多分坂下くんあたしの下の名前知らないんじゃない?」
あたしが笑って言うと、
「マジで?それはいくらなんでも無いでしょう?
職場でもオヤジに名前で呼ばれてるのに?逆に名前知らないって方が無理よ。」
「そう、あれマジでやめて欲しいんだけど。いい歳したオヤジが『アヤちゃ〜ん』って。」
「あははは。あたしもユミちゃんって呼ばれるしね。」

あたしの名前、松田綾。
坂下くん知ってるよなァ?

「そう言えばあんた昨日どうだったの?AiR-style行ったんでしょ?」

ユミと仲良くなったのは、音楽の趣味が合うからだった。
ユミは多分あたしより詳しい。
よく一緒にライブに行くのだが、昨日はユミ別のライブに行っていた。

「あっ!!言うの忘れてた!!」
「え!?何?どうしたの?」
「ちょっとあんた今夜時間ある?御飯食べながら話すわ。」
「うん。わかった。またアヤの家で良い?」
「うん。あ、駄目。今日は坂下くんと御飯食べる約束したんだった。」
「もう、馬鹿。じゃあアヤの家で待ってるから、良いでしょ?」
「うん。ごめんね。」
「遅くなっても良いから。時間は気にしないで?って言うか帰って来なくても良いよ?」
ユミはニヤニヤしている。
「だから恋愛じゃないって。」

お湯が沸いた様なので、きゅうすに入れ替える。
残りのお湯はポットに入れる。

ユミは湯飲みを洗い終えると、籠に入れ、
「じゃああたし行きますね、お疲れ様です。」
と、会社モードに入った。

AiR-styleのボーカルが坂下くんだって行ったら、ユミはどんな反応するかな?

仕事が終わり、ユミに家の鍵を預け、あたしは川辺に向かう。
坂下くんはもう座って煙草を吸っていた。
「そう言えば何吸ってるの?」
背後からいきなり声を掛けると、坂下くんは一瞬肩を縮ませて、
「びっくりした。ホープだよ。」
「ホープ?強いの吸ってるんだね。」
「よく知ってるねぇ。」

坂下くん独特の空気。
ゆっくりとしていて、穏やかで、柔らかくて…。
あたしはこの空気が好きになっていた。

「昔コンビニでバイトしてたから。」
「成程。このホープには意味があるんだ。」
「何?」
坂下くんは照れたようで、頭を掻いた。
「そのまんま。希望。昔全然売れてない頃…今もそんなに売れてないけど、
もっと売れてなかった時期に、いつも希望を持って居ようって思ってさ。」
「へぇ…。」
「まぁ、後付けの理由なんだけどね。ほんとはただ親父が吸ってたからってだけ。」
あたしは笑った。
「そうなんだ。」

坂下くんは立ち上がって、両手を広げて見せた。
一度も着崩した所は見た事が無いスーツ姿。
シャツのボタンも一番上までしっかり留めてあり、ネクタイもきっちり締めてある。
黒いスーツに、いつも暗い色のネクタイをしている。
「さぁ、何処に連れて行ってくれるの?」
「あ、どうしよ。考えてなかった。」
坂下くんは笑った。
「じゃあ僕が案内するよ。」
「美味しいの?」
「んー、まあまあかな?」
あたしも笑う。
「まあまあなんだ。」

歩きながら駅に向かう。
「遠いの?」
「んっと、20分位かな?」
駅名を指差す。

あ、大丈夫。あたしの住んでる駅の次の駅だ。
「あ、大丈夫。あたしの住んでる駅の次の駅だ。」

「あ、そうなんだ。僕この駅に住んでるんだよ。」
「へぇ、近かったんだね。」

電車に乗り、並んで座る。
電車の中で、弓の話をした。
あたしの一番仲の良い後輩だと言う事。
音楽の好みが合っていると言う事。
坂下くんの事を話そうと思ってると言う事。

「高野さんに?うーん…恥ずかしいなぁ。」
「ごめんね。でも言い触らすつもりじゃないから。弓には教えてあげたくて。」
「あんま他の人には言わないでよ?」
「わかってる。」

20分はすぐに経ち、目的の駅に降りた。
10分程歩くと、鶏料理の店に着いた。
「ここ?」
「うん。結構美味いよ?」
「まあまあなんでしょ?」
言うと、坂下くんは笑って
「うん。」
と頷いた。

のれんを割って、中に入る。

「いらっしゃいませ!!」