第九話
「名前」
あたしは、あんまりお酒が強い方じゃない。
だけど、坂下くんに勧められて呑んだウイスキーは、とても美味しかった。
「そんなに強くないだろ?」
坂下くんは笑って言う。
「うん。呑み易いね。」
坂下くんは色々と話してくれた。
高校時代にやっていたバンドの事、
就職してから組んだバンド、AiR-styleの事。
売れない時期の苦労、売れ始めてからの苦労、
次に出すCD…。
あたしは頷きながら、相槌を打ちながら、真剣に聞いていた。
「こんな話、つまんなくない?」
「そんな事無いって!」
「今度は松田さんの事も聞かせてよ?」
「あたしの事?あたしなんて話す事無いよ?」
「いやいや、僕松田さんの事全然知らないからさ。」
それを聞いて思い出した。
「あ!ちょっと坂下くん携帯見せてくれる?」
「え?何?」
言いながらも、坂下くんは携帯を渡してくれる。
アドレス帳を開く。松田綾…松田綾…。
あった。
松田…。
「どうした?」
「坂下くん、あたしの名前知ってる?」
「え・・・?」
「知らないでしょう〜!?」
「い…いや…。」
「もう、信じらんない。会社でも呼ばれたりしてるのに。」
「…ごめんなさい。教えて下さい。」
あたしは携帯を返す。
「はい。」
携帯に打ち込んでおいた。
松田綾。
その後にちゃんとハートを入れといた。
「綾…?」
不覚。
ドキッとした。
いきなり名前を呼ばれて動揺しない女なんて居るだろうか?
「いきなり名前言わないでよ〜。」
「え?あ、ごめんごめん。憶えた。」
結局ハートには何にも言ってくれなかった。
逆に恥ずかしいんですけど。
もも肉の照り焼きが凄く美味しくて、また来ようと思った。
「今日は付き合ってくれてありがとう。ライブの日にちとか決まったらまた教えて?」
「うん。わかった。」
坂下くんは駅まで見送ってくれた。
電車で5分。駅を一つ戻る。
ユミにメールする。
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今から帰る。
待たせてごめんね。
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返事はすぐに返って来た。
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早いじゃん。
さてはふられた?
@@
もう。
家に帰ると、ユミはキャミソール一枚に、ジャージを穿いて待っていた。
あたしは笑って
「随分くつろいでるねぇ。」
ユミはあたしの部屋に自分の部屋着を置いている。
「早くお風呂入っちゃいな。今日の話聞きたい。」
あたしはミネラルウォーターを一杯飲み、
「うん。」
そう言うと、スーツを脱ぎ、部屋着と下着を持ってお風呂場に向かった。
ユミが待っているので、シャワーだけ浴びる。
熱いシャワーは、熱を持った体に心地良かった。
薄かったとは言え、ウイスキー。酒の弱いあたしは結構酔った。
口当たりが良いので、呑みすぎてしまった所為でもある。
お風呂から上がると、ユミは市販のカクテルをグラスに注ぎ、待っていた。
「で?どうだったの?」
「どうだった?」
「坂下くんよ。」
「ああ、その前に、今日の会社で言い掛けた事。」
「そんな話後で良いって。あたしは坂下くんの事が聞きたいの。」
「坂下くんの事だって。て言うかこれを話さないと始まらないし。」
「もう、何?」
「坂下くんね、AiR-styleのボーカルなの。」
「はぁ?」
あたしは昨日の事を詳しく話した。
ユミは黙って聞いていた。
話し終えると、ユミはグラスに口を付け、
「え?マジで?」
「ほんとだって。」
「うっわぁ〜…。信じらんない。あたしも行けば良かった。」
「凄い良かったよ。ハイスタとか、ハワイアンに似てるけど、何かもっと尖ってた。」
「エルレみたいな?」
「う〜ん…ニーヴみたいな感じ。」
「外人じゃん。」
「いや、マジ発音良かったよ?」
あたしもグラスに口を付ける。
「で?これからどうするの?」
「何が?」
「坂下くん、好きなんでしょ?」
「はぁっ!?」
「解るってその位。絶対あんたは坂下くんが好き。」
「無い無い無い無い。そりゃカッコいいけど、違うでしょう?」
「違わない。だってあんたが男褒めるのって好きな人くらいだもん。」
「そんな事無いって。」
「じゃああたしが坂下くん貰っても良いの?」
「え?それは嫌。」
ユミは笑った。
「何それ。」
正直、自分の気持ちなんて解らない。
恋愛ってそう言う物なのかも知れない。
人の恋愛なら凄く良く解る、相談にも乗ってあげて、アドバイスだってする。
でも自分の事となると、まるで駄目。
人に偉そうに言っておいて、自分の恋愛なんて理解出来ない。
皆、そんなモンじゃないかな。
その後、色々と話した。
坂下くんの話が主だったけど、会社の事や、山下の事も話した。
次のライブはユミと二人で行く約束をし、電気を消した。
「じゃあおやすみ。」
あたしは台所に立って、水を一杯飲んだ。
ずっとミネラルウォーターを飲んでいると、今まで気にしていなかった癖に、
水道水を飲むのは気が引ける。
「おやすみ。」
明日は一緒に会社に行く。