第十五話

「回転」

打ち上げは12時過ぎまで続いた。
タカシは高野に何度もアプローチしていた。
タカシなりの照れ隠しだ。
本当に高野が好きなのかも知れない。
昔からタカシは、好きな人にはハッキリと好きと言えず、冗談混じりで好きだと言う。
そして勇気を出して本気で告白すると、「え?本気だったの?」と言われるのだ。
結果的に「軽そうだから」と言われ、タカシの恋は終焉を迎える。

実際にタカシが軽いかと言えば、そう言う訳でもない。
過去に付き合った人数は二人。
常に一途で、自分より相手を優先して考える。
付き合ってみると、タカシは本当に真面目なんだ。

今回の恋は実るのかな?
本気かどうかは知らないけど。

コウキと山下が付き合うんじゃないかと言う冗談で盛り上がった。
調子に乗ったコウキが、山下に抱き付いて、少し引いた。
でもまぁ、楽しそうで何よりです。

トオルとメグミは、みんなの前では殆ど会話を交わさない。
たまに話しても、用事がある時だけ。
でも、二人の時は凄い語り合う事を、僕は知っている。

松田はライブの感想を熱心に語った。
「ああもう、もっと良い言葉がある筈なのに…。」
松田は上手く表現出来ない自分を悔しがり、頭を掻いた。
伝えたい事を、正確に伝えるのは、やはり難しい。
それでも、僕は何となくだけど、松田の言いたい事は解った気がした。
そして、熱心に語る松田を見ると、少し嬉しかった。

でもやっぱり、少し苦手かも知れない。
積極的に押して来て、ぐいぐい引っ張ってくれる人は、男であれ女であれ、苦手だ。
タカシやトオルも、押しも引きもあるが、それでも何処か間を空けていてくれる。


家に着くと、いつもと変わらず。
どんなに遅くても、田中はちゃんと僕を迎えてくれるし、
部屋に染み付いたお香の香りは、やんわりと僕を包んでくれる。

「ただいま、田中。」
今日も田中は無言でおかえりと言ってくれる。

僕の生活は正確に回転している。

ベースをケースから出し、チューニングする。
目を閉じて、頭に浮かんだ曲を弾く。
5分程弾くと、また弦を緩め、ベースをスタンドに置く。

田中に霧吹き。
あげ過ぎると腐って透けてしまうので、今日はいつもより少なくしよう。
そんな事を考えて、一人で吹き出してしまった。

大丈夫。僕は至って正常だ。

服を脱いで風呂へ向かう。

お湯を張るのは面倒だが、それでも浴槽の蛇口を捻る。
どんなに面倒でも、風呂に入ったからにはお湯に浸からないと。

お湯が溜まる迄、煙草を吸いながら、テーブルの上の田中を突付く。
田中の棘は柔らかく、触るとすぐに曲がってしまう。
就職して暫く経ち、金銭的にも、精神的にも余裕が出来始めた頃、田中と出逢った。
田中は今年で2歳になる。
正確に言うと、2歳な筈は無いのだが、この部屋に来た日から数えて、2年が経つと言う意味だ。


今日は土曜日だから、洗濯をする日だ。
僕は洗濯物を洗濯機に放り込む。
洗剤を入れ、回す。
ゴウゴウと音を立て、洗濯機は揺れ始めた。
…近所迷惑かな?
思ったが、気にせずお風呂に入った。

髪や身体を洗い、浴槽に浸かると、疲れた身体を熱いお湯が包む。
「う〜ぃ…。」
オッサン染みた声が風呂場に響く。

お湯に浸かったタオルで顔を拭く。
ライブの映像が頭の中を駆け巡る。

ああ、楽しかったな…。

強く息を穿き、浴槽を出る。
この30分だけの為に浴槽にお湯を張ったんだと思うと、とても贅沢な気分になった。
僕はまだまだ庶民だ。

身体を拭いて、部屋着に着替える。
洗面台の大きな鏡に向かって拳を突き出した。
鏡に写る僕の拳から、僕の目へと視線を移した。
そして、目を閉じた。

目を閉じて、4秒…か。

いち、にぃ、さん…
よん。

目を開けると、ピントが合うまでの一瞬、世界がぼやけていた。
ピントが合うと、そこには、こちらに拳を向ける馬鹿な男が僕を睨んでいた。

その男と、僕は同時に笑い、僕は風呂場を出た。

目を開けても、やっぱり世界は変わらず回転している。
僕は少し変わったかな?いや、僕も変わってない。
このまま、会社を続けながら、CDを少しずつ出すんだろう。
急激に売れて、TVにも出るようになって…なんて夢は夢。

現実に生きるには、定職が必要なんだ。
母親が電話で話していたのを思い出した。
そして、同時に少し悲しくなった。

安定、と言うよりも、安全、と言う印象だった。


お香を焚いて、立ち昇る煙を暫し見つめてから、歯を磨く。
磨きながら、カーテンを開け、ネオンが放つ今夜の最後の灯火をぼんやりと眺めていた。

リズミカルに歯ブラシを動かしていると、歯ブラシを伝って泡が手に流れて来た。
「うおっ。」
その途端に唇の端からも泡が流れた。

「ズズズッ。」
口に手を当てて洗面台へ急ぐ。
手とはブラシを同時に洗い、口をゆすぐ。
水を吐き出し、
「あっぶねぇ〜。あ、もう手遅れだったか。」
一人で呟いた。

ふと、田中を見る。
田中は笑っていた。
コノヤロウ。
霧吹きを手に近付く。
「透かしてやろうか?」
銃口を田中に向け、脅す。

僕は笑って霧吹きを置いた。

明日は予定も無いし、ゆっくり寝よう。

外は夜だ。
どうしようもない位、夜だ。
それは誰にも変えられない。
夜を昼に変える技術が発見されたとしても、その権利は誰にも無い。
それでも一生懸命に、夜を照らすネオン。

僕はカーテンを閉じて、ベッドに腰掛けた。
電気を消す。最近はリモコンで電気を消すんだ。
紐を引くあの音が懐かしい。
1,2,3。
電気を消すあのリズムが懐かしい。

今日、最後の一服。

今日の事、明日の事、数日前の事。
心に残った出来事。

色々な記憶をダイジェスト版で送る、僕だけのムービー。

暗い部屋に煙草のオレンジだけが浮かび上がる。
すると途端に眠くなった。

「おやすみ田中。」

OK。
僕の生活は正常に回転している。