第十六話

「雨」

あたしには二面性があると思った。
二面性?

多面性。

人前でのあたしと、
一人の時のあたし。

人前では明るく振舞い、積極的に会話を楽しむ。
だけど、一人の時は、物静かで、考え込んでしまうあたし。

でもそれは、意識して使い分けたり、切り替えたりしている訳ではなく、
自然にそうなってしまっている。
だから別に辛くもないし、悩んでもいない。
どれが本当のあたしなのか、そんな事はわからない。
どれもあたしであり、そんなあたしは、こうして今まで生きてきた。

こんな事考えているあたしは今、一人だ。


打ち上げは楽しかった。
初めて逢った人ばかりだったけど、あまり緊張する事も無く、
そして、そうさせるような人達ではなかった。

坂下くんの事が好きだと、自覚した。

だからと言って、特にいつもと違う素振りは見せない。
平然と、毅然と。

坂下くんの傍から離れなかったり、必要以上に話し掛けたり、
身体に触れたり…。
そんな事はしない。

好きなら好きと、あたしの中で一つだけ本当の心があれば良い。

布張りの薄いブルーのソファに腰を下ろす。
グラスに入れた水を、両手で握り締めたまま、行き場を失くしている。
考えにふけっている間に温くなったそれを、一口だけ体内に流し込む。

あたしの身体の中、どこか知らない部位に、ミネラルが浸透して行く。
それを実感する日は、いつか来るだろうか?

半分だけ飲み、残った水は捨てた。

鞄から、少し湿ったTシャツを出し、洗濯カゴに放り込む。
次々と服を脱いで行き、同じ様に放り込む。

洗濯物が溜まったら、その時に洗濯をする事にしている。
もう3,4日はいけそうだ。

メイクを落とし、腕を背中へ回した。

下着を外すと、鏡の中には全裸のあたしが立っていた。
くっきりと残ったブラの跡が赤くなり、触ると、凸凹が指に何とも言えぬ感触を伝えた。

そのままお風呂場に入る。
少し、肌寒いので、すぐに熱いシャワーを浴びた。
足からゆっくりと上へ…。
髪を濡らし、シャンプーに手を伸ばす。

ふと、空の湯船に目をやる。
泳ぐ場所の無いアヒルの人形が、少し、悲しげに見えた。

今日はシャワーだけで済まそう。

シャンプーで髪を泡立て、頭皮までしっかりと洗う。
トリートメントは髪をマッサージするように。
そして、流さずに洗顔する。
洗顔は掌の上で一度泡立ててから。
柔らかいスポンジで優しく、撫でる様に身体をこする。

めんどくさがりながらも、いつしか習慣になっていた。

最後にトリートメントを流し、お風呂場を出た。
水滴を拭き取るのは大き目のバスタオル。
決して柔らかくは無いが、水分を多く吸い取ってくれる。

下着は下だけ、部屋着は上だけ身に付ける。
小さなタオルを頭に巻き、洗面台に立つ。
コットンに化粧水を染み込ませ、優しく肌に当てる。
その後、同じ化粧水を手に取り、肌に染み込ませる。
時には叩くように、時にはマッサージするように。
乳液を付け、同じ様に塗り込んで行く。
髪をドライヤーである程度乾かす。

お風呂場を出ると、午前1時を回っていた。

カーテンの外をぼんやりと見つめてから、冷蔵庫の水を一杯だけ。
冷えた水は美味しかった。
お風呂上りの熱い体の中を駆け巡って行くのが分かる。

TVを付けて、数分程画面に集中してみたが、すぐに消した。
同時に立ち上がり、冷蔵庫へ。
グラスの中に氷を入れ、ペットボトルから水を注ぐ。
氷ももちろん、ミネラルウォーター。
グラスをテーブルに置く。

グラスについた水滴が、テーブルに流れるのをじっと見つめる。

坂下くんは、もう、寝ただろうか…?

そして、今日の出来事を思い出す。
ライブが三割。
あとの七割は打ち上げでの事。

興奮して、話し過ぎてしまったんじゃないだろうか?
坂下くんは、困っていたんじゃないだろうか?

過ぎてしまった事を…。
そう思いながら、グラスに口を付ける。
唇を湿らせる程度に水を含み、ゆっくりと喉に通す。

高校を卒業してから、男性と特別な関係になった事は無い。
まして、身体での関係なんて、ここ数年皆無だ。

別に欲求不満な訳ではない。
むしろ、時たま過ごす、今日の様な日を、非常に満足に思う。

大事な事は、肝心な所は、あたしにも解らない。
好きになった、告白した、付き合った、愛し合った、別れた、では、
恋愛はつまらな過ぎる。

そこには色々な障害がある。だからこそ、人は恋愛に依存するんだろう。
ストレートな思いを伝えられない自分が居たり、
伝えたい相手の空気が、とても柔らかだったり…。

グラスに口を付けて、勢いよく傾ける。
頭が痛くなりそうに冷たい水を一気に流し込む。
唇の端から水が流れるのがわかる。
流れた水が、首を伝い、鎖骨の窪みに溜まっているのがわかる。
Tシャツの首の所が濡れてしまった。

それでも、お構い無しに、飲み干した。

「コッ!」

テーブルに叩き付ける様に、グラスを置いた。

一人の部屋、静かな四角の中に響き渡る、あたしの溜め息。

どうしたらいいの?
「どうしたらいいの?」

口に出すと、それは現実味を帯びた重みで、あたしの頭を痛くする。
実際にどうしたら良いのか判らないから困る。
いざ自分の恋愛になると、護り身に入ってしまう自分。
人には偉そうな言葉ばかり並べて…。

人間は誰しもが二面性、多面性を持っている。
あたしは電気を消して、布団に潜り込んだ。

真っ暗な闇の中、キャンドルの炎を見つめながら、
「ああ、よかったなぁ」
と、一人呟いた。。