第十七話
「無い」
雨が降り続いていた。
今年の梅雨は、静かに、ゆっくりとやって来た。
ここ数日間は、雨音の中で過ごした。
家に居る時、会社に居る時も、時折聞こえる雨音に耳を傾けていた。
あれから何度か、山下や松田、高野と御飯を食べに言ったりした。
それなりに楽しかった。
そして遂に昨日、AiR-style初のCD、「SUGAR SONG」が発売された。
少し悩んだが、やはり気になってCDショップへと足を運んだ。
昨日、今日と2連休だった。
特にする事も無かったので昨日は一日家で本を読んでいた。
今日位は外に出よう、そう思ったのもきっかけだった。
雨が降り、夕方だと言うのにもう充分暗かった。
インディーズのコーナーに立ち寄る。暫く探してみる。
AiR-style…
SUGAR SONG…
ん?
もう少し探してみる・・・。
あれ?
無い。何処にも置いていない。
発売は昨日だった筈。だけど何処を探しても無い。
その後20分程、探してみた。
色々なコーナーを見て回った。
だが結局この店には置いていなかった。
このCDショップはここら一帯ではかなり大きい店で、
探しているCDが見付からなかった事なんで殆ど無かった。
僕は肩を落とし、店を出た。
CDを出したのに、売っていなければ意味が無い。
傘を差した。雨粒がパラパラと傘を撃つ。
甘い世界では無い、と解っていた。
だから過大な期待は持たぬようにしていた。
だが、やはり自分にも淡い期待があった事に気付いた。
帰り道の事はあまり憶えていない。
ただ、下を向き雨水を蹴り進む自分を見ていた。
こんなにも落胆している自分に驚き、また、同時に腹が立った。
何を夢見ていた?少しずつ、地道にやれば良いじゃないか。
駅のホームで電車を待っていると、電話がなった。正確に言うと、震えた。
松田だった。今は出る気分じゃない。
松田綾
その名前をじっと見つめた。綾の後にハートマークが入っている。
面倒だったので放って置いたが、いつか消そう。
数十秒程で、電話は切れた。
着信履歴を見ると、当たり前だが、松田綾と表示された。
僕は携帯の電源を切った。
電車が来た。
濡れた暗闇の中を抜け、家に着く頃には気分も落ち着いていた。
黒い、革張りのソファに腰を下ろす。
煙草を点け、立ち昇る煙と、天井を見上げる。
テーブルの上に置いてあるCDに視線を転じる。
「SUGAR SONG」
薄紫色のジャケット。
AiR-styleのロゴが踊っている。
CDを手に取り、コンポの電源を入れる。
中身は既にコンポの中に入っている。
曲が流れ出す。
タカシのギター、トオルのドラム、僕のベース。
3人が一つになって作り上げた曲。
CD発売が決定した時、曲を作っている時、レコーディングの時、
様々な思い出が頭を駆け巡る。
カーテンを開けた。
降り続ける雨は、窓ガラスを、立ち並ぶビルを濡らしている。
田中を見る。
こんな日は、田中も泣いている様に見える。
蛇口を捻って、コップに水を溜める。
透明な水を、部屋の電気に透かす。
揺れる水を眺め、口に含む。
CDは既に2曲目、wordicに入っていた。
水を飲み干し、流しに置いた。
カーテンを閉め、決めた。
「もっともっと、良い曲を作ってやる。」
一人の部屋で、呟いた。
そうなれば後は簡単だった。
ベースを掴み、ソファの上にルーズリーフを3枚置いた。
様々な音を鳴らす。
様々なリズムを刻む。
そのまま、2時間程ベースをかき鳴らした。
そして、ベースを置いた。
指がヒリヒリする。
結局、曲なんて出来なかった。
僕はお風呂に入って、電気を消した。
9時。
寝るには早い。
僕は闇の中でしっかりと目を開けていた。
漠然と闇を睨む。
「ふぅ。」
力を抜いて、息を吐いた。
電気を点けて、本の続きを読んだ。
結局寝たのは12時過ぎだった。
布団を被ると、目が冴えてきて眠れなかった。
CDが売っていなかったからじゃない。
曲が作れなかったから。
曲を作ろうと思って作れなかった事は嫌になるほど経験している。
でも、何度経験しても慣れる物じゃない。
やっぱり悔しいんだ。
頭の中で何度も曲を作ろうとした。
結局眠りに落ちた。