第十八話

「不通」

部屋には「SUGAR SONG」が流れている。
何故、発売日の1週間前にあたしがこのCDを持っているかと言うと、
答えは簡単。坂下くんがくれたのだ。
坂下くんは恥ずかしそうな顔で、CDを渡してくれた。
あたしは本当に嬉しかった。


雨が降りそうな空を、カーテンの隙間から覗いて少しだけ憂鬱になる。
もう、梅雨が近付いているんだな…。
会社が休みでも、こんな天気だとどこにも行く気にならない。

「SUGAR SONG」に元気をもらいながら、沢山売れてほしい、ひたすらそう祈るばかりだった。

部屋にはユミが居た。
あたしの家でくつろぎながら音楽雑誌に目を通している。

「あ、あったあった。」
ユミが声を上げる。
AiR-styleが載っていると姉に聞いて、2人でこの雑誌を買ったのだった。

「どこ?」
あたしはユミに近寄る。
「ここ、ここ。」
ユミがページの隅を指差す。
あたしは少し驚いた。
「…小っさ。」
つい、口から漏れた。

雑誌の隅には、「SUGAR SONG」のジャケットと、その横に「注目のバンドのCDがついに発売!」と書かれていた。

ユミが笑う。
「まぁ、しゃーないんじゃない?」
「だよね。」
あたし達は苦笑した。

あたしはグラスにアイスコーヒーを作り、コンポの電源を落としてTVをつけた。
まだ寝そべって雑誌を広げているユミの傍にグラスを置いた。
「ありがと。」

あたし達は暫く会話もせず、あたしはTVを流しながら『SUGAR SONG』の歌詞を読んでいた。
和訳が無いので、ひとつひとつ、じっくり目を通した。

「ねぇ、」
突然にユミが顔を上げる。
「ん?」
あたしは歌詞をテーブルの上に置いた。
「発売日の次の日、一緒に見に行かない?」
「店に?」
「うん。売れてるかどうか気になるでしょ?」
「うん。でも何で次の日なの?」
「発売日に行ってもよくわかんないでしょ?次の日に、どんだけ減ってるか見ようよ。」
「成程ね、いいね、行こうか。」
幸い、発売日とその次の日は会社は休みだった。
あたし達は、一緒にCDショップに行く約束をした。


店に行ってもCDが無いとは知らずに…。


アイスコーヒーを飲み干し、ユミと夜まで家の中で過ごした。



そして1週間後。

あたしとユミは駅で待ち合わせ、電車に乗り、CDショップへ向かった。

ここ数日、雨が降り続いている。
梅雨が来たのを、はっきりと認識させる雨。

夕方の雨の中を、電車は走る。
外の景色は悲しげに濡れていた。


別に家の近くにもCDショップはあるのだが、この辺りで一番大きいCDショップへ行こうと言うユミの提案だ。
その後何処かで御飯を食べるのにも、丁度良かった。

CDショップの前に立つと、柄にもなく少しだけドキドキした。
「売れてるかな?」
あたしは、不安を掻き消すように呟いた。
「大丈夫だよ。」
ユミは堂々と笑顔で言った。

そんなユミが、最近タカシくんとメールのやりとりをしているのを、あたしは知っている。
ユミはタカシくんにCDを貰った。

自動ドアが開くと、少し薄暗い店内には、柔らかなジャズが流れていた。

「インディーズんとこだよね?」
ユミがあたしに確認する。
「うん。だと思う。」

二人、神妙な面持ちでインディーズのコーナーへ向かう。

「あったぁ?」
聞くと、ユミは首を振った。
五十音順に並んでいる棚の、『エ』の段にも無い。
もしや!?と思い、棚の横にある特集コーナーに回る。
このコーナーには、話題になったり注目されていたりするバンドなんかのCDを、目立つように置いてある。
そこに、「SUGAR SONG」があるのでは!?と思ったのだ。
期待を膨らませて特集コーナーへ近付く。
このコーナーにあれば、かなり期待出来る。

しかし、無かった。
特集コーナーには、B-DASHの歴代のCDが並べてあった。

ユミがあたしに近寄って言う。
「他のコーナーも見てみたけど、どこにも無いよ?」
「え〜?入荷してないんかな?」
「聞いてみる?」
ユミはレジに向かった。
あたしはその背中をただ見ていた。

しかし、ユミはレジの手前で立ち止まり、店員と話す事無く、踵を返しこちらへ戻って来た。
「え?」
あたしはつい声を出した。
ユミは頭を掻いている。「あったの?」
聞くと、
「いや、無かった。」
「店員に聞いた?」
「ううん。行けばわかるよ。」
あたしは首を傾げた。
疑問を抱いたままレジへ向かう。

行けばわかる?

レジへ近付く。

あと数歩の所で立ち止まった。
と言うより、動けなくなった。

鳥肌が立った。

あたしはその文章から目が離せなかった。


『SUGAR SONG/AiR-styleは品切れ中です!次回入荷未定。予約受付中!!』

店員がおかしな顔をしてあたしを見ていても、あたしはただ立ち尽くすだけだった。

ユミがあたしの肩に触れる。
「良かったね。」
「うん。良かったね。」

そして、踊る様な気持ちの中、暫く店内を廻り、外へ出た。

「坂下くんに電話してみようかな。」
あたしが言うと、
「いいね。おめでとうって言ってあげなよ。」
ユミは親指を立てた。

坂下くんの短縮を押す。


「あれ?」

出ない。
もう寝ているのだろうか?
時計を見ると五時半。
まだ寝るような時間じゃない事は、時計を見なくてもわかっていた。
「どうしたんだろ?」
「まぁ、また電話すればいいよ。」
ユミはそう言って、少し買い物に行こうと言った。

茶色の傘を差し、近くのデパートへ向かった。
赤い傘の中で、ユミが携帯電話を開いた。
「タカシくん?」
言うと、
ユミは照れるように笑った。
「何か、タカシさん本気なのかわかんないんだけどね。」
「でも、いい人そうじゃん。」
「うん。」

ユミの顔がほんのり赤くなった気がした。
けれどそれは赤い傘の所為だったのかも知れない。

デパートをあても無く、ブラブラした。
特に買う物も無いので、色々な店を回った。

ただ、商品を見ているだけなのに、あっと言う間に2時間が経った。
こんなあたし達は何て平和で、幸せなんだろう。

「そろそろ御飯食べる?」
「うん、あ、もう一回坂下くんに電話してみるよ。」

デパートの外に出て、携帯電話を取り出す。


今度は、電源が切れていた。
少し、心配になった。
「電源切れてる。」
言うと、
「全く、電池でも切れてんのかな?折角アヤが祝福してあげようとしてんのに。」
ユミは頬を膨らませた。
「まぁ、またかけてみるよ。」
「もうほっときなさい。おいしい物食べよっ。」


あたし達は少し歩いて、呑み屋街まで足を伸ばした。
パチンコ店や、ゲームセンター、風俗店などのネオンが眩しい。
それでも、やはり雨の所為か、暗い感じは拭い切れない。

韓国料理専門の居酒屋に入った。
あたしは韓国料理はあまり得意ではないのだが、ユミがたまにはと言うので付き合った。

チゲだの、ナムルだの、写真を見なければどんな料理かわからない。

「これ、どんなの?」
ユミに聞くと、
「辛いよ?」
とだけ言った。

辛いだけの料理?
結局どんな食材を使っていて、どんな味なのかわからなかった。
辛い、それしかわからなかった。

「SUGAR SONG」の売り切れに乾杯した。

運ばれてくる料理は、どれも味が濃く、そして辛かった。
それでも、中々美味しい物が多かった。

頭がやけに大きなモヤシが少し気になった。



ほろ酔い気分で家路に着く。
ユミとは駅で別れた。

家に着いて、すぐに坂下くんに電話してみる。
時計を見ると、11時。
まだ起きているだろう…。
家に帰って、携帯電話を充電しているだろう。

しかし、電源は切れたままだった。
少しだけ苛立ち、酔い覚ましも含め、ミネラルウォーターをグラスに注いだ。

グラスから一度も口を離さずに、飲み干した。
「ぷはっ。」
テーブルの上にグラスを置いて、お風呂に入る事にした。
雨に濡れて、少し寒かったので、今日はゆっくり浸かろう。

湯船の中で呟いた。
「今日はもう寝よう。」

水音の響くお風呂場で暫く考えを巡らせながら、AiR-styleが売れていく経過を想像して楽しんだ。

お風呂から上がり、いつもの様にミネラルウォーターを喉に通すと、
何もせずに、寝る準備に入った。

ベッドの端に腰掛け、もう一度坂下くんに電話する。

受話器の向こうでは、女性のアナウンスが流れている。
今日の雨よりも冷たいその声を聞きながら、あたしは一言だけ、呟いた。

「おめでとう。」