第二十四話
「プロポーズ」
頭の中が真っ白だった。
人を殴ったのは高校の時以来だった。
アヤが倒れるのを見て、
気が付けば身体が勝手に動いていた。
アヤを傷付けられ、頭に血が上った。
僕は今、アヤをどんなに大切に思っているか、気付いた。
アヤに近寄り、震えているアヤを抱き締めた。
怖かったんだろう…目を大きく見開き、身動き出来ないでいる。
「…結婚しよう。」
こんな時に、こんな場所で言う事ではないのは承知している。
だけど、これを逃せば、もう言えない気がした。
アヤは黙って震えている。
僕の言葉を理解していない様だった。
「アヤ…」
もう一度同じ言葉を繰り返そうとしたが、アヤによって遮られた。
「ふざけないで!」
「え…?」
「冗談じゃない!何言ってんの!?」
「アヤ?」
アヤは僕を振り解いた。
「信じられない!!アキは自分をなんだと思ってんの!?何も考えてない!!」
確かに、衝動に駆られてプロポーズしてしまったが、ここまで責められるとは思わなかった。
そして瞬間、左頬に痺れる様な痛みが走った。
一瞬何が起こったか解らなかった。
気が付けば僕の顔は右を向いていた。
アヤは悲しそうな顔で、僕を叩いた右手を、自分の左手で覆った。
「もうやめて!!こんな事二度としないで!!自分の事をよく見てから行動してよ!!」
僕は茫然とした。
「…あたし帰るね。」
アヤは走り去った。
その背を追う事は出来なかった。
愕然として、歩き出した。
僕はアヤにとって何なんだろう?
恋人としては認められるが、結婚となると別なのだろうか…?
アヤの言葉を思い出す。
自分を何様だと思っているのか。
自分の事をよく見てから物を言え。
つまり、僕にはアヤと結婚する資格は無いと言う事だろう。
僕は自分の立場を考えた。
安定した会社を辞め、これからどう転ぶかもわからないバンドマン。
夢を追い、売れる保証も何も無い。
これじゃあアヤが拒否するのも無理は無い。
それでも、アヤはわかってくれると思っていた。
苦労や喜びを一緒に分かち合ってくれると、
勝手に信じ込んでいた。
家までの道程は記憶に無い。
ただ惰性で足を進めていた。
帰ると田中に迎えられた。
「どうしたの?」
そう尋ねる田中を無視してベッドに倒れ込んだ。
僕は何を殴ったんだろう…?
あの男達?
自分自身?
バンドマンとしての自分?
アヤへのプロポーズ?
それとも…アヤ?
何を殴ったのかなんてわからない。
そう言えばアヤを殴ったのは誰だったかな?
そんな事も覚えていない。
僕はただ何かを殴りたかっただけなのか?
僕が何かを殴ったのは確かだ。
でなければ、こんな事にはなっていない。
何かを…。
僕は起き上がってベースを手にした。
直ぐにチューニングを済ませ、乱暴に掻き鳴らす。
自己嫌悪。
感じているのはそれだけで、
それを掻き消すのがベースだった。
次々とルーズリーフに書き込んで行く。
こんな時に限って曲が浮かんで来るなんて、皮肉以外の何物でも無い。
30分で大まかな形が出来上がった。
何度もその曲を繰り返し、磨き上げて行く。
2時間後には、これ以上無い程の曲が出来た。
直ぐに録音機材を引っ張り出して録音した。
そしてタカシに電話する。
「もしもし?直ぐに来れるか?」
「はぁ?今からユミと久し振りの夜を過ごそうって時だぞ?」
電話の向こうで高野の「やめてよ」と言う声が聞こえた。
「新曲が出来た。すぐ聴いて欲しい。」
「明日じゃ駄目なんか?」
「イメージが固まってる内にギターとコーラスを入れて欲しいんだ。」
タカシは舌打ちした。
「直ぐ帰るからな?」
「ああ。悪いな。」
「ぜってートオルも呼んどけよ?」
「ああ。」
電話を切って30分後にタカシが来て、その15分後にトオルが来た。
3人集まった所で、先程作った曲を聴かせる。
ベースと僕の声しか入っていない拙い音だが、
二人は黙って聴いていた。
ギターとドラムをどう言う風に入れるか、そして入れる事によってこの曲がどう変わるかをイメージしているのだろう。
僕は曲を止めた。
「これがさっき僕が作った曲だ。」
二人は黙っている…トオルが煙草に火を点けた。
タカシがゆっくり口を開いた。
「これ…急に思い付いたのか…?」
僕が頷くと、
タカシは溜め息をついた。
「信じらんねぇ…。」
「…どう?」
僕は恐る恐る聞いた。
ハッキリとした言葉で評価を付けてほしい。
だが、タカシは何も言わずに電話を掛け始めた。
「もしもしユミ?ごめん。今日は帰らない。」
少しして電話を切って、ギターを取り出した。
「直ぐに完成させるぞ。こんな曲聴かされたら寝れねぇよ。」
と笑った。
「じゃぁ…」
僕はタカシとトオルを交互に見た。
「お前は天才だよ。」
トオルは小さく呟いた。
「何て曲?」
タカシは聞いた。
僕は息を吸い込み、強く返事した。
「Some
Strike。」
「面白いな。」
その夜は3人で曲作りに集中した。
「こんな良い曲なんだから、絶対妥協したくない。」
トオルの発言が嬉しかった。
そして、朝方になって、
そろそろ寝ようと電気を消した。
暗闇の中でタカシが呟いた。
「アキ、何かあった?」
僕の頭の中に、数時間前の出来事が走った。
「何で?」
「いや、何となく…。」
「ふられた。」
「はぁっ!?」
僕は全てを正直に話した。
「アヤちゃん…結婚までは考えて無かったのかな?」
タカシが小さく呟いた。
「わからない。でも多分、そうなんだろうな。」
「大丈夫?」
トオルが言った。
「何が?」
「明日直ぐにレコード会社に連絡取るよ?そしたらまた忙しくなる…少し待とうか?」
「いいよ…忙しい方が気が紛れる。」
「ん…。」
そして3人、黙ったまま、眠りに落ちた。
次の朝はタカシがレコード会社に連絡し、
午後から担当の森さんに逢って、出来たばかりの曲を聴かせた。
「直ぐにレコーディングしましょう。」
森さんは熱の入った表情で言った。
彼は僕らと同じ位の年齢で、AiR-styleをかなり気に入ってくれ、
熱心な仕事をしてくれる。
僕らは戸惑いながらも、レコード会社直営のスタジオに入り、
レコーディングを開始した。
レコーディングのスタッフはSUGER
SONGの時と殆ど同じメンバーで、
特に支障無く、事は運んだ。
途中で、どうしても女性のコーラスが必要になり、
急遽メグミを呼んでお願いした。
レコーディング一日目は無事終わり、メグミと森さんも含め、
5人で喫茶店に入った。
「今回のCDの初回限定でステッカーを入れようと思うんだけど…
全部ウチが手配するつもりなんだけど、出来れば誰かがデザインしてくれないかな?
その方が君らも納得出来るだろ?」
と言う事なので、デザインはメグミに任せた。
「あたしまだちゃんと聴いて無いんだけど…。」
トオルの希望で、CDが完成するまでメグミにはハッキリと曲を聴かせないようにしていた。
曲の感じがわからないまま、メグミにはコーラスを頼んだので、メグミは苦労しただろう。
「完成したらきちんと聴かせるよ。」
トオルが言った。
「しかし…正直驚いた…あんな曲を持って来るとは思わなかったよ。これで売れなかったら、完全にウチの責任だよ。」
森さんは苦笑した。
「お願いしますね。」
僕は笑って珈琲を飲んだ。
3日間のレコーディングが終わり、CDの発売日も決まり、全てが波に乗っていた。
ただ一つ、僕とアヤは再び逢う事は無かった。
高野に聞くと、アヤは会社を休み、
携帯の電源も切れているらしい。
家を訪ねても門前払い。
僕に成す術は無かった。
でも、何故プロポーズを断ったアヤの方が、
こんなに塞がってしまっているんだろう…?
僕は少し不安になりながらも、忙しくなりつつある日常を過ごしていた。