第二十九話

「久し振り」


円町に来ていた。
一人。

ツアーで隣の県まで来たから、少し足を伸ばした。

宛も無く来た訳では無い。
友達のバンドが今日この町でライブすると言うので、
見に行く、と言うと、ゲストとして出てくれ、と言われた。
高校時代の友達では無く、卒業してから、ライブハウスで知り合った友達だ。
タカシとトオルとは面識が無いし、あいつらを連れて来ると、
日輪町まで行くと言いそうだったから、一人で来た。
アヤには逢えないから…。

あの一件は、誤解だったらしい。
タカシが必死で説明してくれた。
アヤは、僕が人を殴った事がショックだったらしい。
僕の拳や腕を心配してくれたらしい。
あの時僕は、何も考えられなかった。
アヤを殴られ、途端に頭に血が上った。

僕は溜め息をついた。

あれからどれくらい経っている。
未だに忘れられないのか。
そう思いながらも、心の奥の方では、諦めていた。

「忘れられないだろうなぁ…。」

そもそも忘れる事が良い事なのか悪い事なのか、判断しかねる。

もう少し足を伸ばせば、日輪町だ。
少しだけ、戻るのも良いかも知れない、そう思ったが直ぐに思い直した。

父の、葬式以来、日輪町には帰って居なかった。
僕等が町を出て、3ヵ月の事だった。
タカシやトオルには言ったが、口止めした。
高野からも、メグミからも、アヤに知られる可能性がある。



一度や二度じゃない。

アヤを家に連れて帰った時、父は喜んだ。
それからというもの、息子の僕より、アヤが来る事を待って居た。

別れた。

そう言うと父は、
「絶対に後悔するぞ。」
「あんな良い娘は他に居ない。」
と僕を責め、果ては
「親不孝者が。」
と言った。
別れたばかりの僕は、その言葉に苛々し、直ぐにアパートに帰った。

「松田さん以外は嫁と認めんからな。」
最期まで、父はそう言って居た。

父の最期には立ち合えなかった。
だから、その言葉が僕の聞いた最期の言葉だ。
父は癌だった。
亡くなってから初めて知ったのだった。
父はいつも自分の事を隠していた。
自分の病状も、若い頃に見た夢も…。

ライブ前に喫茶店に寄って、ケーキセットを頼んだ。
ゆっくりとケーキを食べ、店を出る。
帽子やサングラスなんてしない。
そんなのは有名なタレントなんかがする物だ。

思えばタレントとは何をする仕事なんだろう?
ミュージシャンでも無ければ俳優でも無い。


何人かに握手とサインと写真を求められたがごくわずか、一組だけ。
僕の事を、ましてや僕の顔を知っている人なんて殆どいないだろう。

ライブの時間が近付いて来たので、
ライブハウスに向かった。
円町は日輪町と隣町と言っても、正直あまり来た事は無かった。
駅から離れていると聞いたので、タクシーを使う事にした。

「FREEDOMってライブハウス解ります?」
運転手に言うと、
「あぁ、もう今日は2往復してるからね。あんたも今日はライブか?」
「はい。」
「何てバンドだったっけな?さっき聞いたんだけど…有名なのか?」
「うーん…どうなんですかね?」
言うと、
「なんだそりゃ。ファンなんだろう?」
運転手は笑った。
「まぁ、友達なんで。」
「付き合いか?それもいいさ。」

ライブハウスには10分程で着いた。
入口の周りには、既に大勢の人が座ったり、話をしたり、
思い思いに開場を待って居た。

僕はタクシーの中からショータに電話を掛けた。
「もしもし?僕。着いたよ?」
「おう。待ってたよ。俺は出れないから、入口のスタッフに言って中入ってくれよ。
あ、変装してきたか?」
「一応帽子は持って来たけど…ほんとに必要あんの?」
「当たり前だろ?AiR-styleなんてそこにいる奴等全員知ってんよ。
シークレットゲストなんだから絶対バレんなよ?」
「じゃあ裏口から入れろって。」
「それがこのハコ裏口無いんだわ。」
「わかったよ取り敢えず行くよ。」
僕は持って来たキャップを目深に被り、運転手にお金を払って、
タクシーを降りた。
そのまま、視線を落として入口へ向かう。
周りが少し僕を気にし出したが、僕は直ぐにライブハウスの中へ入った。


ステージの上に、ケータが居た。
僕が手を挙げると、ケータも笑顔で手を挙げた。
ステージの下に居たタツヤが歩み寄って来た。
「久し振り。」
「ショータは楽屋に居るよ。今日は来てくれてありがとう。」
「いえいえ。」
スタッフの人が僕に説明する。
「出番は最後から2番目の曲です。」
「『It's been a long time.』だよね?」
「はい。ショータさんが紹介しますんで、そしたら出て下さい。」
僕は頷いて、ステージに近付いた。
ステージ脇から、ショータが出て来た。
「アキくん。来てくれてありがとう。」
「暇だったからね。」
笑うと、
「暇潰しかぁ〜?」
と、ショータも笑った。

皆で控室に入り、今、お互いどうしているか、これからどうするのか、
と言う話を冗談混じりに話した。
「でも久し振りだなぁ〜。」
ショータは「久し振り」と何度も言った。

本番が近付いて、メンバーはスタンバイに入った。
「じゃ、楽しんでってよ。」
ステージの袖で、僕はゆっくり頷いた。
高まる歓声。
次第に会場が熱を持つ。

ライブを見ていると、どうしてもうずうずしてしまった。
ライブをやりたい。
ツアーの真っ最中の癖に、そう思った。

会場からの熱が、ステージ袖に流れ込む。
僕の中の奥の方が、熱を持つ。
立っているだけで、汗を掻いた。




「今日は皆に誕生日プレゼントがあるんだ。」
ショータが言うと、会場から大きな歓声が湧いた。
スタッフが合図する。
「プレゼント登場!!」
僕は歓声を聞きながらステージに出た。
すると、大きな歓声は、更に大きくなり、僕を迎えてくれた。
歓声がおさまって来ると、
「AiR-styleのベースボーカル、アキです!」
とショータが叫んだ。
短い歓声の後、僕は口を開いた。
「何?ここに居る人達は皆今日誕生日なの?」
言うと、皆笑った。
「そうなんだよ。皆誕生日おめでとう!!」
笑いと、歓声。
「じゃあ行こうか。アキくんが歌います。『It's been a long time.』」
ショータがギターを鳴らす。
会場はゆったりとした空気に包まれる。

僕は、歌い出した。

It's been a long time.

歌いながら、アヤの事を思い出していた。
一瞬、観客の中にアヤに似た人が居た気がした。
もう一度探したが、わからなかった。
人違いだろうとは思っても、視線は会場を行き来していた。



優しさに意識して、胸の奥から込み上げる想いを歌に乗せた。

楽しい。

次第に、感情はそれだけになっていった。

曲が終わり、歓声と拍手の中、僕は舞台を後にした。