第三十一話
「返事」
水神のライブが終わり、その後の打ち上げには少しだけ顔を出したが、
乾杯と少しの談笑だけで直ぐにホテルに戻った。
僕の我が儘を聞いて、明日の打ち合わせの時間を
先延ばしにしてくれた皆の為にも、直ぐに戻る必要があった。
今はツアーの最中で、明日もライブがあるのに、
友達のライブに行った責任だ。
電車に乗り、打ち合わせの時間に充分間に合う事を確認した。
幸い、誰にも声を掛けられる事も無く、タクシーを捕まえてホテルに戻った。
ホテルに帰ると、トシくんと擦れ違う。
「あ、お帰り。どうだった?」
「凄い楽しかったよ。ありがとう。」
「気にすんなよ。良い息抜きになったろ?」
「うん。緊張したけど、他のバンドのライブに出るのも良いね。
HIPHOPってジャンル違うのも勉強になった。」
「そっかぁ。出たんだ。ただ楽しめば良かったのに。
打ち合わせは11時からね。俺の部屋で。」
「うん。」
「805だから。」
そう言うと、トシくんは歩いて行く。
「何処行くの?」
「ん?あ、ああ。タカシの部屋。」
トシくんは苦笑いした。
そっか。と言い、僕は自分の部屋に帰った。
シャワーを浴びて、Tシャツとジャージに着替えた。
窓際に立って煙を浮かべる。
消費者金融の大きな看板が、一定のパターンでネオンを瞬かせている。
死んだ父の事を考えた。
夢に倒れ、現実を見る事となった父。
息子の僕には、同じ様な挫折は経験させたくなかったのだろう。
明言はしなかったが、言葉の端には、そう言った想いが含まれていた。
父さん、でも僕は、後悔してないよ。
声に出して言おうか迷ったが、心の中で呟いた。
こんなにも冷静なのだ。
明日も上手く行く。
僕は成功したと言えるだろうか?
こんな中途半端で満足したくはない。
誰も認めない。
日本で知らない人は居ない…なんてバンドを目指す気は毛頭無いが、
僕等のフィールドの中では、絶対に譲れない。
アイドルやスター達は、僕等とは違う世界で闘っているのだと僕は思うんだ。
僕等のフィールドはあんなに綺麗じゃない。華やかじゃない。
彼等がニューヨーカーだとするなら、僕等はスラム街のチンピラだ。
決して誇大表現では無いし、自虐的な意見ではない。
彼等には彼等の、僕等には僕等のやり方があり、価値観があり、
テリトリーがあり、世界がある。
僕等は僕等の世界で大成する。それが、今、僕の持つ夢だ。
目を閉じた。
溜め息が出た。
最近、悩んでいた。
それはベースの音についてだった。
僕のベースの音は、普通で、聴き易いと言えばそうかも知れないが、
単調で、良くも悪くも無いと言った感じだ。
今までは、曲の中で、セッションの中で、突出しない様に、
だが存在を認識出来る様にと、音を作って来た。
それで良いと思っていた。
ベースは、リズムと、低音で土台を作り、下から支える物だと思って居た。
確かに間違っては居ない。
だけど、僕は自分で幅を狭めて居る事に気付いた。
自由な筈の音楽に、制約をしていた。
それを痛感したのは、新しいCDを聴いた時だった。
自分のパートがつまらない。
有り触れた音だった。
誰も、何も言わないのが不思議だった。
その音は、特に今までと変わらない音だったが、それだけに、自分の主張が無かった。伝わらないと思った。
特に、『エース』を聞いた時に、僕は一人愕然とした。
思い入れの強い曲であっただけに、その反動もかなりの物だった。
『エース』は、僕さえ努力すれば、もっともっと良い曲になると思った。
それ以来、アンプで調節したり、エフェクターを通したりと、
様々な音を出してみた、が、どうも違う。
確かに変わった音は出るが、突出し過ぎて不協和音を生む。
そして結局、自分がどんな音を出したいのか、解らないと気付いた。
何と無くのイメージはある。
が、そのイメージが薄っぺらで、頭の中で雲を掴む様で、
上手く現実世界には出せなかった。
イメージが上手く像を結ばないのだ。
暗中模索のままに、このツアーがスタートしたのだった。
納得していないのは僕だけで、それも苛立ちの要因となっていた。
何故皆はこの音に満足するのか不思議だった。
しかしライブの最中は、そんな事を考えている余裕も無く、
ただ夢中に演奏し、そして、この上無い楽しさに身を任せていた。
悩むのはいつも、ライブの後だ。
演奏中はまるで気にならないので、このままでも良いんじゃ無いか…
と思う事もしばしばだった。
ふと時計を見ると、既に11時だった。
早足で部屋を出て、タカシの部屋を訪れた。
そこにはAiR-styleのメンバーと、
ライブのスタッフの主なメンツが既に揃っていた。
「遅いよアキぃー。」
「ごめんごめんー。」
空いた畳の上に腰を下ろすと、
「水神、どうだった?」
トオルが言う。
直接知っている訳では無いが、やはり皆、名前は知っている。
「良かったよー?皆生き生きしてたよ。」
「疲れて無いかぁ?」
「それは大丈夫。任せといてよ。」
それから、明日の予定や段取りなんかをスタッフが説明した。
もう、しっかりと打ち合わせをしているので、
説明は大まかな物で、それはいつもの通りだった。
後は変更や要望等があれば今の内に言ってくれと言う。
前日の打ち合わせはいつも早く終わる。
しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。
「アキ…ちょっと良いか?」
タカシは真面目な顔で言った。
「え?」
急な言葉に、少し戸惑い、また、同時に不安になる。
「TREE
STAGEでライブをする。」
え?
「え?」
「俺等、やっぱり思い出の場所でライブやりたいし、
正直俺達はユミやメグにも逢いたい…
今まではお前に気を遣って言えなかったけど、日輪町に帰りたいんだ。」
僕は、何も言えなかった。
スタッフの何人かは、部屋を後にした。
「なあ、アキ?もう良いだろ?お前とアヤちゃんの問題に、
俺等を巻き込まないでくれ。お前らが辛いのは解ってるけど…。」
高野やメグミは、共に仕事が忙しくなり、長期の休みが取れないのだと言う。
だから、県外でばかりライブをしている僕等のライブには来れないと言うのが現状だ。
僕は、どうにか口を動かし始めた。
「でも、やっぱりアヤとは逢えない…勝手かも知れないけど…
僕は賛成出来無い。」
「アヤちゃんに逢わなければいいだろ?
ライブやって、その後すぐにどっか行けば、逢わなくて済むだろ?
アヤちゃんがライブに来るとも限らないし…。」
アヤは来るよ。
「アヤは来るよ。」
僕は煙草を吸い始めた。
「アヤが来てると解ってて、ライブで上手く出来る自信は無いよ…。」
「あのなぁ、アキ?つーか俺はまず逢わない事に疑問を持つよ。
逢えば良いだろう?逢って、話して、仲直りするならする、
きっぱり別れるならそうすれば良い。
お前も、アヤちゃんも、何を恐れてんの?」
「解らないよ…ただ、逢えないって言う考えしか出来ない…。」
「俺には、逃げてる様にしか見えないけどな。」
トオルが言った。
「俺は、お前の相手は、アヤちゃん以外考えらんねぇ。
直ぐにでも、無理矢理にでも逢わせたい気分だよ。」
タカシは少し声を荒げた。
「AiR-styleの曲は、アヤとの思い出がいっぱい過ぎるんだよ…
アヤの前で、そんな曲を歌う事は出来ないよ。」
「じゃあ、カバーでも良い!!」
「はあっ!?」
「とにかく日輪町でライブやるからな!!もうコウキに言ってハコ取ってあるんだよ!!」
「ちょっと待てよ!無茶苦茶だ!」
「そんな事はどーでも良いんだよ!」
「やるなら二人でやってくれよ。僕は行かない。」
「何でだよ!?お前等意固持になってるだけだろ!?」
「お前等に何が解るんだよ!?僕だって解んないのに!!」
僕が叫ぶと、急に部屋は静まり返った。
気が付くと、既に部屋にはAiR-styleのメンバーしか居なかった。
タカシが俯いて呟く。
「ほんとは…お前には言うなって言われてんだけどな…。」
「何?」
「アヤちゃんな…精神的にちょっと不安定になってんだよ…。」
は?
「は?」
タカシは何を言ってるんだ?
「どう言う事?」
「言葉の通りだよ。お前と離れてから、次第に変わって行ったんだ。」
「変わって行ったって?」
僕が聞くと、
タカシは僕と別れてからのアヤの精神状態の変化について話してくれた。
アヤが、異常なまでにミネラルウォーターに固執する事。
もう随分と、満足な食事が採れていない事。
僕は、怖くなった。
アヤの事だから、サバサバしてて、直ぐに明るいアヤに戻って仕事や…
もしかしたら恋愛にと、毎日をしっかりと生きているんだと思っていた。
「病院には行ったの?」
『病院』…この言葉が、畏怖すら感じる程に重かった。
しかし、タカシは首を振る。
「アヤちゃんが嫌がって、どうしても行かないらしい。
最近は結構マシんなって来て、会社にはちゃんと行って、
仕事も出来てるらしいんだけど…。」
「そんな…それを聞いて僕はどうしたら良いんだよ…。」
「あのなァ、アヤちゃんを元に戻せるのは、お前しか居ないんだよ。」
「原因を作ったのはお前だろう?なら、その責任を取るのもお前なんじゃないのか?」
トオルは殆ど僕を睨んで言った。
「責任って…。」
「そんな重く考えなくても良いけどさ、俺らがライブやって、
それでアヤちゃんが元気になってくれたら、それで良いと思わないか?」
僕は黙り込んでしまった。
時間にして3分位だろうか?だがそれは、無限に似た時間だった。
「アキ…。」
堪え切れなくなったのか、タカシが僕の言葉を促す。
「ちょっと…考えさせてくれないか?」
「ああ。でも、明日のライブに影響出すなよ?」
「うん。朝には、答えを出すよ…タカシ、トオル…なんか、ごめんな?」
「は?何が?」
「いや、何か色々心配させて。」
「ああ、気にするなよ。」
「ありがとう…。」
僕はそれだけ言うと、自分の部屋に戻った。
直ぐにベッドに横になる。
こんな時、田中なら何て言うだろう?
きっと、タカシやトオルと同じ事を言うんだろうな。
外のネオンは、既に消えていた。
時計を見ると、もう12時半だった。
1時間半も、タカシの部屋に居たのだ。
時間が過ぎるのは、何て早いんだろう。
この速い流れに乗って、時間が、僕等の関係を、全部流してくれる…。
僕は、そんな風に思って逃げていたのかも知れない。
確かに、どちらかが動かなければ、ずっとこのままだ。
忘れる事なんて出来る筈が無いなんて解り切った事だろう?
だけど、僕は怖かった。
何が怖いのかも解らないのに、漠然と恐怖を感じていた。
あの件は、互いに誤解していたに過ぎなかったじゃないか。
何も恐れる事は無いじゃないか。
アヤに助けが必要なら、僕が助けなくてどうするんだ…!?
僕は勢い良く起き上がった。
「…そうだ。そうだよ…。」
僕は大きく目を見開いて、呟き続けた。
「そうだ。まだじゃないか。僕はまだ聞いていない…。」
僕はまだ、プロポーズの返事を聞いていなかった。