第三十六話

「朝見」

時雨を部屋の柱に立て掛けて、じっと眺めている。
かれこれ、1時間はこうしている。
この楽器の重みに潰されそう。
アキのお父さんの形見。
アキへ繋がる鍵。

ミネラルウォーターを一口。
明日から新しい部署での仕事が始まる。
時雨をケースにしまって、眠りに就いた。


「おはようございます。『特別人事課』課長の山下です。」
「部長の松下です。」
「総括係長の、高野です。」
3人がそれぞれ挨拶すると、その度に拍手がちらついた。
「それじゃあ、まずは皆に自己紹介してもらおうかな。」
山下が言うと、
「企画係長の遠山です。イベント等の企画を担当します。」
真面目そうな男は、20代後半位だろう。
「情報係長の堤です。スカウト対象の情報管理を担当します。」
30代前半に見えるその男は、笑顔の爽やかな印象を受けた。
「営業係長の倉下です。この課のマネージメントを担当します。」
20代後半だろうか。
オフィスレディと言った感じの、いかにも仕事の出来そうな人だ。
「じゃぁ、後は君から順番に。」
管理職の自己紹介が終わり、山下は一般社員に促した。
「田中です。宜しくお願いします。」
20代後半、男。
「岸名です。宜しく。」
30代後半、男。
「朝見です。宜しくお願いします。」
20代半ば、女。

こんな感じで、『特別人事課』、総勢13名の自己紹介が終わった。

「皆さん、この『特別人事課』は、BERRYグループの中でも、一番新しい課です。課長の僕も、昇進したばかりの若輩者ですが、これからどうぞ、宜しくお願いします。」

そう。この課のほぼ全員が、あたし達より年上なのだ。
「早速で申し訳無いんですが、企画担当、営業担当の方は、FRESH SUMMER BERRYを、情報担当の方は、スカウト関係の情報整理を、お願いします。特にFSBについては迅速な作業をお願いします。」
「はい。」

明瞭な返事が返って来たが、
この中の何人があたし達を良く思っているのだろうか…。
BERRYから来た人間が、レコードで何が出来る?
そう思っている人間ばかりだろう。

負けない。

あたしとユミは早速情報担当の朝見と一緒に、
shinにオリジナルの曲を作らせる為の計画を話し合った。
「一度、shinに逢ってみたいですね。」
朝見は言った。
「ダメだよ。あいつら頭堅すぎ。」
ユミは口を尖らせた。
「完璧にコピーする事に意識を持ってるからね。
でも、その方向を変えてやれば何とかなる筈。」
あたしが言うと、
「そうですね。コピーとカバーは、似ている様でまるで違う。そこにオリジナリティが求められるから、曲によってはオリジナルを作るよりも難しいですよ。原曲を作ったアーティストのイメージもありますから。」
「どうにかしてコピーをやめさせる?」
「いえ。アルバムの中に1曲や2曲は必ずカバーを入れるバンドも居ますから。コピーをカバーの方向に持って行けば…。」
「成程。アレンジの楽しさを覚えてもらって、オリジナルも作らせるか。」
あたしは顎に手を置いた。
「ですが、簡単には行かないと思います…彼等の信念と言うか、ポリシーが強いなら。」
「だよねぇ…shinだって今までカバーも沢山聴いてるだろうし。」
あたしと朝見は頭を抱えた。
「あ…。」
ユミが小さく呟く。
「どうしたの?」
「えっと…アヤ…ちょっと待ってよ?」
「え?うん。」
解らぬまま頷いた。
「朝見さん。朝見さんがFSBに一番出て欲しいバンドは?」
「え…?はい。やっぱりAiR-styleです。」
「なんで?」
朝見は目に力を入れた。
「やはり、彼等のセンスと、それを充分に補える技術。そして、音楽に対するポジティヴな意欲だと思います。」
「そんな事聞いてないの。朝見さんがエスタをどう思ってるか。」
朝見は戸惑った。しかし、直ぐに表情を緩めた。
仕事では無い、本当の顔を、もしくはその片鱗を見た気がした。
「やっぱ、エスタは聴いてて気持ち良いです。嫌いな曲なんて無い。CD聴いてて飛ばす曲が無いんです。疾走感たっぷりの爽やかな曲や、泣きそうな位に淡いバラードまで…全部好きです。」
あたしは心の中で微笑んだ。
きっとユミも。
朝見の印象が一気に良くなった。

単純?

「じゃあ、あたし等を客観的に見てどう思う?」
「ちょっ、ユミ?」
仮にも上司だ。本人を前にして、酷な質問だ。
「えっと…。」
朝見は必死で言葉を選んでいる様だ。
「上司とかそんなん抜きにして、ただの同年代の女として。」
ユミはそう付け足した。
「ちょっと…ここじゃあ…。」
朝見は周りを気にした。
「確かにそっか…じゃあ課長室でも行く?」
「そうだね。」
あたしは賛成した。

「ちょっと課長ー?部屋借りるねー。」
「おー。」
ユミと山下のやり取りに、特別人事課の全員が凍り付いた。
古くから存在するこの会社では、縦のラインは絶対なのだ。
この会社の常識で考えると、今のは上司との会話では無い。
いや、会社で遣う言葉では無かった。
しかし、そんな事は構わず、ユミは課長室に入って行った。
あたしは驚きを隠せない朝見のスピードで、
ゆっくりとユミの背中を追った。

課長室のドア付近に近付くと、急にユミが出て来た。
「ちょっと!!山下さん!?何で初日からこんな汚いの!?」
ユミが叫ぶ。
「い、いや。引越しの荷物がそのまま…。」
山下は苦笑いした。
「昨日『心機一転』とか言ってたのは誰よ!?」
ユミはそう言ってまた部屋に入った。
後に残ったのは、山下の苦笑いと、あたしの心の中の大笑いと、
他の全員の、頼りない課長に対する不信感、
そして生意気な小娘への嫌悪感だった。

あたしと朝見が部屋に入り、ドアを閉めると、
「あはははは!!」
朝見は急に笑い出した。
お腹を抱えて、顔を真っ赤にして。
「そんなに可笑しかった?」
ユミが驚いて言う。
「だって、上司にあんな事言う人なんて初めて見ました。」
「アヤも一応上司だけどね。」
「一応とは何さ?」
3人で笑った。
「じゃ、さっきの質問に答えてもらおうかな?」
あたしとユミを客観的に見てどう思うのか。
上司や部下と言う壁は抜きにして。
「正直に言います。」
朝見は真面目な顔に戻った。
あたし達は頷いた。
「正直、何故レコードじゃなくて、電化の人がこの課の管理者なのかって、内心…良い気はしなかったです。他の皆もそうだと…思います。」
不安気に、朝見はあたし達を見た。
大丈夫。
あたし達はそう頷いた。
「でも、課長と部長と係長がFSBを計画している方だと聞いて、少し納得しました。」
「少し?」
ユミが言う。
「すいません…やっぱり、何処か認めたく無いと思う部分がありました。」
「いいよ。仕方無いし。続けて?」
あたしが言うと、朝見は頷いた。
「でも実際に話してみて、そして、shinの音楽を聴いて、お二人の真剣さが伝わって来ました…。」
朝見はゆっくりあたし達を見た。

「堅い。」

ユミは一言そう言った。
「朝見さん何歳?」
あたしが聞くと、
「え…24です。」
「あたしは21。今年22。アヤは?」
「あたしは23。」
「つまり、あたし達は朝見さんより歳下で、後輩なの。もっとさ、柔らかく行こうよ。」
ユミは笑った。
「じゃ…。」
朝見は軽く深呼吸した。
そして、気持ちを切り替えたようだ。
「第一印象でいーよね?高野さんは何か生意気っぽいけど可愛いなーって思った。妹みたい。逆に松田さんは頼れるなって。でも、ちょっと暗いかも。」
朝見は笑う。
あたし達も。
「朝見さん言うねぇ。」
あたしが言うと、
「もう真奈でいーよ。」
「あたし達も呼び捨てでいいから。」
「え、でも一応上司だしさ。」
「この課は…ほんとは何処の課でもだと思うけど、上司だろうが部下だろうが、正直に意見を言える方が良いと思うんだ。だから、一応、身分みたいなのはあるけど、皆同じスタッフだと思ってほしい。そう、山下くんと話してたんだ。」
「だから、マナから、皆の空気を変えてってほしいんだ。」
「あたしにそんな大役…」
「ま、頼むよ。」
ユミはマナの背中を叩いた。

「で、ユミ?さっき言おうとしてた事って?」
「あ、忘れてた。shinに、カバーの素晴らしさを伝える方法があんの。つーか、うってつけのライブがタイムリーに来週あんのさ。」
「来週って…。」
あたしが言うと、ユミは笑った。
「そゆ事。エスタのシークレットライブ。マナ?今から話す事はまだ誰にも言わないで?」
マナはきょとんとして頷いた。
「タカシの話だと、来週のライブは全部カバーらしいの。つまり、shinを連れてけば、なんか感じる物があると思うの。」
「カバー?なんで?」
「レコード会社と衝突があったらしいの。元々は、坂下さんがアヤの前でエスタの歌を歌うのは辛いって言ってたらしいの。」
あたしは少し俯いた。
「それで、タカシがそれならカバーやろうって。でも、坂下さんもやる気んなってくれて、結局はエスタの曲をやる事になったらしいの。でも、ハイスピンの信用とかあるらしくて、予定外の場所でやるのは困るって言われたらしい。チケットもどうするか問題あるし。」
「それで、結局カバーになった訳?」
「そゆ事。カバーなら、会社は承諾してくれたんだって。」
よくわかんないなぁ…。

あ。
「あ、ユミ?そのライブまでにアキに逢えるかな?」
「そんなん自分で言いなよ。」
「いや…それはまだ…アキも驚くだろうし。タカシくんに言ってもらえる?」
「良いけど…どうしたん?」
「ちょっと渡す物があってね。」
「引導?」
「違うー。」
「ま、いーや。タカシに言っとく。」

「あの…。」

「ん?」
「何の話してるんですか?」
「え?AiR-styleだよ?」
「タカシとかアキって…AiR-styleのですか?」
「マナ?また敬語になってるよ?」
「あ。えっと、つまりユミとアヤはエスタの知り合い?」
「つーか、あたしはタカシと付き合ってる。アヤは坂下さん…アキさんの元カノ。」
「えぇっ!?マジで!?」
「この事は言わないでね?」
あたしが言うと、
「どうせアヤも直ぐヨリ戻すだろうし。」
ユミは悪戯に笑った。
「それは無いって。」
あたしは苦笑い。
「そう言えば…エスタのアキがウチの電化に居たって噂聞いた事ある…。」
「『家電広報課』。あたし達と、アキが居た課。」
信じられない。
マナはそんな顔をした。
「ま、詳しくはあたしが話すわ。アヤじゃあ話し難い事もあるだろうし。」

「わかった。じゃあ、まずはshinをエスタのライブに連れてく事だね。」
マナが言う。
あたしは頷いて、
「shinはエスタのライブなら喜んで来てくれると思う。」
笑った。

そして同時に覚悟を決めた。


アキに逢う…。

時雨を渡す為に。

今はまだ…それだけで良い。