第三十七話
「再会」
今週の末には、日輪町でライブをする。
緊張感は徐々に、しかし確実に、僕の中で大きくなっていた。
カバー。
と言う事だが、実の所、未だに何をするか決まっていなかった。
しかし、メンバーの誰もが、全く焦り等感じて居なかった。
その自信に似た気持ちが、何処から来るのか解らずに、
しかしまた、それに身を任せて居る自分が居た。
そんな折に、タカシから着信。
今から、日輪町に来い。
唐突な電話に、僕は戸惑った。
アヤの顔を思い出さずには居られなかった。
理由を聞いても、来れば解るの一点張り。
仕方無く、僕は電車に揺られた。
緑区のマンションから、電車だと半日は掛かる。
そう思って、空港へ向かったのだった。
日輪町に空港は無く、少し離れた春日野台の空港への飛行機に乗る。
一番早い飛行機に、予約無しであったが、席は空いていた。
春日野台からまた電車に乗り換え、1時間。
マンションを出てから、3時間足らずで日輪町に着いた。
「着いたよ。」
タカシに連絡すると、
「ARTERで待ってる。」
との事だった。
訳も解らぬまま、また電車に乗り換える。
カランッ。
ARTERのドアを開けると、ウエイトレスが近寄って来た。
「いらっしゃいませ。」
「あ、友達がもう来てるんで。」
そう言って中へ。
奥の方の席で、タカシが手を挙げた。
タカシの前には、二人の女が居た。
後姿だけでも、充分に判る。
高野と、アヤだ。
突然のこの状況に、困惑した。
いや、ここに来るまでの3時間弱の間に、予想はしていた事だ。
僕はそのまま真っ直ぐに席に着いた。
タカシの隣。アヤの向かい。
「いきなり呼び出して悪いな。」
タカシが言う。
「いつから日輪に帰って来てたの?」
「昨日。」
タカシと話す、と言うより、向かいの席に目を向けられない。
「アキ…。」
力無い声で、僕の名前を呼ぶ。
僕は、その声に初めて、アヤと向かい合った。
一瞬、僕の思考が止まった。
そして、次の瞬間には、畏ろしい程の速さで回転した。
アヤは、明らかに痩せて居た。
痩せこけた、と言う程では無いが、
アヤの表情から健康的な印象はどうしても見られない。
アヤは続けた。
「久し振り。元気だった?」
「うん。変わらない。」
アヤも元気だった?
そんな質問が出来る訳が無かった。
「せっかく久し振りに逢ったのに、ごめんね。仕事の話。」
仕事…?
「仕事…?」
アヤは頷いて、
「あたし、今はレコードの方で働いてるの。こう見えても部長。」
「へぇ。凄いな。」
アヤは唇の端を少しだけ持ち上げて、表情だけで笑った。
「今ね、若いインディーズのバンドのスカウトみたいな仕事してんの。
それで、良いバンドを見つけたんだけど…ちょっとこれ聞いてみてくれる?」
アヤは静かにウォークマンをテーブルに置いた。
僕はそれを耳に付ける。
再生ボタンを押して、数秒後に、僕の意識は、全て耳に集中した。
SUGAR SONG…。
伸びやかで、安定感を保ちながら疾走するSUGAR SONG。
僕は目を閉じた。
凄い…完全な「コピー」。
正確なテンポ、正確なリズム。
しかし、それだけだった。
僕はイヤホンを外し、
「凄いね。」
とだけ言った。
「どう思う?」
タカシが僕に問う。
「安定してる。リズムもテンポも。僕等の音源を完璧に『コピー』してる。
でも、それだけだ。僕が他の曲をやるなら、絶対に避ける事。」
「俺もそう思った。アキとは逆だ。忠実にコピーする事に美学を持ってるらしい。」
「あながち間違いじゃ無い。誰かが作った曲は、その人が作った時点で完成してるのかも知れない。それを下手に歪曲させたりするのは、カバーする人間のエゴなんだろうな。でも、僕はその曲の可能性を、作った人も気付かなかった様な可能性を見つけてみたいって思ってる。カバー曲は、どうしても原曲と比べられる。けど、評価は全く別だと思う。原曲をベースに、全く別の曲を作る。そう言うのも美学だと思う。」
「このバンドは、『shin』って言うんだけど、オリジナル曲を持ってないの。」
「オリジナルが無い?何故?このバンドのオリジナル…聴いてみたい。」
「オリジナルを作る事よりも、限りなく原曲に近付ける事、それに信念を持ってる。」
「僕には無い考えだな。」
「shinのオリジナルを、あたし達の手で、世に出したい。どうしたら良いと思う?」
「そいつ等の気持ちだけだと思う。オリジナリティに興味を持たせる事。それが一番早い。」
「そう思って、お願いがあるんです。」
高野が言った。
「土曜日のライブ、shinに特等席で見せてやりたいんです。」
アヤを見ると、アヤも頷いた。
「僕等は、どうすれば良い?」
「ただ、招待して欲しい。それだけ。」
「そんな事…全然構わないよ。」
「ありがとう。」
そこで、一段落が着いて、僕は煙草に火を点けた。
そして気付いた。アヤの後ろの柱に、ギターケースが立て掛けてあった。
「何それ?」
僕が聞くと、
「これ…これが、アキを呼んだ理由。」
アヤはそう言うと、テーブルの上の珈琲カップを隣のテーブルに移した。
タカシ達も、僕も、それを手伝う。
何も無くなったテーブルの上に、ギターケースが乗せられた。
「開けてみて?」
アヤの言葉を受けて、僕はギターケースに手を伸ばした。
ハードケースの蓋を開けてみると、中にはベースが入っていた。
僕は目を丸くした。
なんて存在感のある楽器なんだ…
ベース自体が、まるで一つの生命体の様に息衝いている。
そしてこのベース、黒一色だった。
形はPB…プレジションベースだ。
ボディは勿論、ネックも真っ黒で、フレットも、ポジションマークも無い。
ネックは唯の黒い柱の様だった。
ヘッドも黒く、ロゴは無い。調弦の為のペグやナット、テンションピン等、
各金具も黒…チタンだろうか?
ピックアップも勿論だが、黒く、ピックガードは付いていない。
アクティヴコントロールは、ツマミが二つしか付いていない。
恐らくボリュームと音域のツマミだろう。
ブリッジもジャックも黒い金属で出来ていて、本当に全て黒なのだ。
そして、一番驚いたのが弦。
弦も黒い。
名前だけは聞いた事がある。ブラックナイロン弦。
実物を見るのは初めてだ。
「これは…?」
アヤを見上げると、
「アキの、お父さんのベース。」
「え?」
「アキのお父さんもベーシストで、アキと同じ夢を持ってたんだって…。」
僕は呆然とした。
「そんな事…聞いた事無い。」
「ずっと、黙ってたんだって。そのベースは、アキのお父さんが、あたしに遺したの…。」
「アヤに?」
「可笑しいよね。あたしに遺すなんて。お父さんは、
このベースは、あたしの好きにしてくれって。誰に渡しても良い、って。」
僕は変な気分になった。
そんな遺し方、どう考えてもアヤと僕の橋渡しの為じゃないか。
「これ…。」
僕が言い掛けると、
「受け取ってくれる…?」
涙目で、アヤは言った。
僕が頷くと、
「そのベース、『時雨』って言うの。」
時雨…。
その言葉を聞くと、縁側に座っている父を思い出した。
お、雨だ。
アキ、良いか?この雨はな、時雨って言うんだ。
シグレ?
ああ。今の季節な、ちょうど、秋から冬に変わる季節に、
よくこんな小雨が降ったり止んだりする。
この雨が、時雨って言うんだ。
へぇ…時雨かぁ。
俺はなァ、この時雨が好きだな。
何で?チョロチョロ降るなんて、男らしく無いじゃん。
バァカ。馬鹿みたいにザーザー垂れ流す様な雨なんてつまんねぇよ。
この雨はなぁ、雲の上で、天気の神様が、絶妙な調節をしてんだよ。
何言ってんだよ。もうオッサンの癖に。
「大丈夫か?」
タカシが僕を心配する。
「ああ。」
「今日は、来てくれてありがとう。あたしの役目はそれだけだから。」
アヤはそう言うと、直ぐに立ち上がり、鞄を手にした。
「え、アヤ?もう帰るの?」
「もう少し話して行けよ。」
高野とタカシがアヤを止める。
「今は、お互い大変出し、大事な時期でしょう?邪魔したくない。」
僕は、アヤに笑い掛けた。
「解ってる。また。」
僕の顔を信じられない様な顔で見た後、高野は立ち上がり、
アヤを追い掛けた。
「あ、タカシ、お勘定お願いね。」
それだけ言い残して。
タカシと少し話して、
「さて、帰るか?」
「そうだな。」
「あ、ちょっとTREE STAGE寄って行こうか。コウキの顔も見たいし。」
「うん。僕も時雨の音を聴いてみたい。」
僕等はARTERを出て、向かいのライブハウスに顔を出した。
コウキは懐かしいと笑い、事情を話すと直ぐに機材を用意してくれた。
懐かしいステージの上に立つ。
「オッケー。ライブ張りのセッティングだぜ。いつでも良いよ。」
そう言うコウキに苦笑いし、僕は、時雨のジャックにシールドを通した。
アンプを、いつものレベルに合わせて、最後にマスターボリュームを上げる。
ヴン…。
その音と共に、時雨は暴れだした。
凄まじいノイズ。
ガリガリと言う音が、ライブハウス内を乱反射する。
僕は慌ててボリュームを下げ、シールドを引き抜いた。
「壊れてんなぁ…そりゃぁ仕方無いか。二十年以上前のベースだろ?」
コウキはそう言って、工具を出してくれた。
「ジャックの部分だけだと良いけど…。」
言いながら、ドライバーを回してジャックの部分を取り外した。
「あ、やっぱり。接触が悪くなってんだよ。」
半田ゴテで接触部を修理し、再びジャックを元に戻した。
「じゃ、もっかい行ってみよう。」
約十数分の修理の後、再び、時雨にシールドを通した。
アンプのセッティングはさっき合わせたまま。マスターだけを上げる。
ヴン…。
時雨よ…生き返れ。
僕はそう心の中で唱えてから、3弦の、ネックの真ん中辺りを、
フレットで言うと、6フレット目位の所を、中指で弾いた。
ヴォゥン…!!
その音に…鳥肌が立った。
僕は続けて、適当に音を奏でた。
タカシもコウキも、驚いた顔で、呆然と僕を見ている。
これだ…。
何と無くのイメージ…。
薄っぺらで、雲を掴む様なイメージが、
今、僕の中で完全なる情景を描いた。
上手く現実世界には出せなかった音。
しかし、何かが足りない。だけど、それは直ぐに分かった。
アンプのセッティングが、僕のベースのセッティングなのだ。
時雨は、このセッティングは望んでいない。
父がどんな音を出していたのかは知らない。
そんな事は僕には関係ない。
僕は、『僕の持つ』時雨が望むセッティングをするだけだ。
中音を少し下げ、高音と低音を上げる。
他のツマミも、思うが侭にいじりまくった。
かくして、僕と時雨の望む音が、ステージを包んだ。
でたらめに速くベースラインを右往左往する。
時雨の特徴を必死に掴む。
弦の振動を掌で止めると、ライブハウスには静寂が戻った。
「…スゲェ…。」
タカシは漠然とした答えを出した。
しかし僕も、そう思うしかなかった。
「俺、ギター持って来る。」
そう言うと、タカシはステージ脇の、コウキのギターを取りに走った。
コウキは無言で、ギターアンプのセッティングを急いだ。
「ついでにマイク出してくれる?」
僕の我侭に、コウキは親指を立てた。
タカシの準備が整うと、僕はマイクに向かって呟いた。
「エース。いける?」
タカシは頷いた。
前奏で、ハッキリと違いが判った。
これが、僕が求めていた「エース」だった。
僕は嬉しさの余り、本気で歌い出した。
タカシも、嬉しそうに僕を見る。
こうして、結局その夜は時雨と遊ぶのに夢中になってしまい、
緑区に帰る事が出来ず、僕等はコウキの家に泊まる事にした。
その夜は、時雨について語り合ったり、
懐かしい話に花を咲かせたりして、ひたすら酒を飲んだ。
そして、寝る前。
部屋の電気を消して、真っ暗な中で、僕は呟いた。
「土曜日のライブ、何やるか決めたよ。」
「まだ決めて無かったんかよ!!」
コウキが叫んだ。
僕等はひとしきり笑うと、
「そっか。決めたか。」
タカシが言った。
「うん。時雨の音を聴いて決めた。」
そして、僕等は再認識した。
今、僕等は、音楽をする事が異常に楽しくて仕方が無い。
幸せな僕に、試練が待っていたのだが。