第三十八話

「刻々」

「絶対に嫌だ!!冗談じゃない!!」
僕は叫んだ。

日輪でのライブまであと3日。
水曜日の事だ。
スタジオでカバーの練習に必死になっていた。
土曜のライブまで時間が無い。

その合間の休憩での事だった。

「いいじゃねぇか。大体今まで日輪でライブ出来なかったのは誰の所為だよ!?」
「う…。」
タカシの言葉に、僕は口篭った。
「でも…!!」
反論しようとしたが、何を言えば良いか解らない。
「アキの負けだな。」
トオルはスポーツドリンクを飲み干した。
「そりゃ今まで意地張ってたのは僕だけどさ、でも久し振りに日輪で演るのに…!」
「だから、お前に罰ゲームだよ。」
タカシは笑った。
「頼むよー…。」
「だぁめ。」
「おっし。休憩終わり。」
トオルは腰を上げた。
「ちょっと待ってよ!」
僕は言ったが、言っても無駄だろうと思った。

溜め息。



火曜日の夜の事だ。
時雨を受け取った次の日。
午前中いっぱい掛けてコウキの家から緑区に戻った。
そして直ぐにスタジオに入り、夜まで練習して、僕は楽器屋に寄り道した。
ハイスピンレコードが提携している楽器屋もあるのだが、
どうも苦手で、僕はいつも駅前の楽器屋に来ていた。

「このベースなんだけど…。」
そう言いながら、今では馴染みになった店長、シンジさんに時雨を渡す。
父がアヤを通して僕に遺した、漆黒のベースだ。

シンジさんはハードケースの金具を開けながら、
「これの整備と、改造だっけ?」
「うん。音は最高に良いんだけど、あんまり響かないのと、パワーが少し足りないんだ。」
スタジオで集中して弾いて解った事だ。
音は確かに素晴らしく良い。
しかし、一つの音を伸ばした時、若干響きが悪い事と、
音は太いのだが、柔らか過ぎて、多少メリハリが利かない事が気になっていた。

「へぇ…。」
僕への返事の代わりに店長は、時雨への感嘆の声を漏らした。
「真っ黒だな…。面白い。響かないのはナイロン弦だからじゃないか?」
「そうなの?うーん…でも別の弦は使いたく無いんだ。」
「拘り?」
僕は頷いた。

「じゃあイジるしか無いかな。」
シンジさんは時雨を持ち上げた。
そしてその瞬間に、驚いた表情を一瞬だけ見せ、その後はまじまじと時雨を眺めていた。
「…これ…何の木だ?」
「え?知らないよ?」
僕は首を傾げた。
「こんな素材…見た事無いな…何て柔らかい木だ…。」
「確かに、物凄く弾き易いんだ。」
「だろうさ。ネックの木もボディの木もかなり柔らかい木で出来てる…低音重視だな。」
僕は頷いた。
「でも、これは父のベースだ。このベースを、僕の為に再構築してほしい。」
「難しい事を言うな…素材も、下手すると配線も解らないベースを、アキのセンスに合わせる訳か…。一人の人間の為にオーダーされたベースを、全くの別人の為に作り変えるんだ…これに関しては親子とかそんなモンは関係無い。」
「無理?」
シンジさんは不敵な笑みを向けた。
首から下がるシルバーストーンが揺れる。
「面白い。」
僕は安堵して、ありがとうと言った。
「来週までには仕上げるよ。」
シンジさんは頼もしく言った。
「ごめん、金曜日までに出来ないかな?」
「金曜!?」
「やっぱり無理かな…?」
「金曜って、今日入れても四日しか無いぞ!?」
「ごめんっ!」
僕が手を合わすと、シンジさんは諦めた様に、
「そっか。そうだったな…。うーん。今日から徹夜だなぁ…割増料金な?」
と笑った。
「ありがとう!!」
思わず立ち上がった。
シンジさんは今度は声を出して笑い、
「アキがやっと故郷でライブするんだ。俺も力を貸すよ。」
僕はもう一度お礼を言った。
「今度奢れよ?」
僕は苦笑いした。



話は水曜日のスタジオに戻る。
日輪から戻って直ぐに作ったカバー曲は3曲。
昨日スタジオで更に3曲。自宅で2曲。
そして今日スタジオで2曲。
今の所、合計10曲を練習している。
今日中にこの10曲はマスターしておきたい。
明日にはまた更に2〜3曲は仕上げなければならない。
そして金曜には全ての曲をマスターする。


練習が再開して、2時間が経った。
タカシのスパルタは相変わらずで、
「じゃ、今のサビんとこだけもう5回合わせて、それから1曲通す。
その後全部通して、また気になる所探そう。」
僕とトオルは頷いた。
気になる所が見付かったら、また同じ様に繰り返す訳だ。
気が遠くなる練習も、慣れれば当たり前になる。
「アキさん。」
スタジオのスタッフが顔を出した。
「はい?」
「村田さんが来られました。」
「おっ!来た!?」
僕より先にタカシが返事をした。
「むらっちゃん?何で?」
僕が首を傾げると、
「お前の為だよ。」
タカシとトオルは笑った。
「やってんねー。面白いアレンジだね。」
村田由香は整った眉を吊り上げて笑った。

ユカは美容師をしており、僕等と同い年だが、
個人の美容院を経営している。
そろそろ2号店が出来ると自慢していたのは、半年前だ。
「アキぃ、お前幾つんなったんだっけ?」
ユカは笑った。
「23。同い年だろ?」
僕は呆れて答えた。
毎度の事だ。ユカにとっては挨拶なのだ。
「そうだったねー。ごめんごめん、アキがあんまりベビーフェイスだからさ。」
ユカは悪びれずに笑った。
緑区に越して来て、直ぐに知り合ったスタッフがユカだ。
美容師をやっている傍ら、メイクや衣装等、スタイリストとして、
たまに活躍している。
美容院より儲かっているのは明白だが、本人はバイトと言っていた。
「はいはい。何しに来たの?」
僕が言うと、
「失礼だねー。次のライブのスタイリストとして来たの。仕事だよ。」
由佳は心外だと言わんばかりに嫌な顔をした。
「そうなん?ハイスピンからの協力は殆ど無かった筈だよ?」
僕は気にせずに話を続ける。
僕等の我が侭で臨時に、しかもツアーの最中に行うライブなので、レコード会社は殆ど協力してくれなかった。
チケットの発行とポスターや地方テレビ局へのCM位である。
それだけで僕等は充分だったが。

僕等は思いの外優遇されていない。
売れたと言っても、インディーズなのだから。
「無償奉仕だよ。タカシに頼まれてね。」
タカシは笑っている。
「後が怖いよ?」
タカシに苦笑いを向けると、
「特等席で手を打つよ。」
ユカはまた眉を吊り上げて笑った。
そして、
「アキ、何読んだ?」
と僕に視線を向けた。
「『諸葛孔明』と『楊貴妃』。」
「…よし。まぁ上出来だ。」

ユカは僕に課題を出す。
以前曲作りに詰まって相談した時に、
嫌いな事を学べ。
と言われた。
僕の場合は中国史だった。
それ以来僕は、たまに、中国の歴史について学ぶ様になった。
とは言っても、年代も全然別だし、頭ではあまり整理されてはいない。

「諸葛孔明の言葉は?」
「僕の印象に残ったのは、『鞠躬して尽力し、死して後、已む』かな?」
「意味は?」
「『身を屈めて敬い、真剣に尽力し、死ぬまで戦いをやめない』」
「っし。」
ユカは満足気に笑った。

「アキ、あんたの顔、ちょっと見せて?」
「顔?」
すると、ユカは僕に近寄り、顔をじろじろと見た。
「うーん…成程ね。あんた綺麗な二重だねぇ。目も大きいし。」
「な、なんだよ?」
僕は何だか恥ずかしくなって、少し焦った。
「照れんなよ。ベビーフェイス。っし。」
「もう帰るの?」
タカシが言う。
ユカは頷いて、
「あたしだって忙しいんだよ。それにここにあんまり居ると、
ライブの楽しみがなくなるだろ?」
と笑った。
「そう言えば、むらっちゃんが俺等のライブまともに見るのって初めてじゃない?」
僕が言うと、
「あんた等もやっとそこそこになって来たって事だよ。」
ユカはまた眉毛を吊り上げて笑った。
僕等は苦笑いした。

ユカが帰り、それからまた暫く練習を続けた。
こうして、水曜日も無事に過ぎて行った。
次の日の、木曜日も同じ様な一日で、僕等の疲労はピークに達していた。
それでも、三人が木曜日に頑張った甲斐もあり、
金曜日にはライブでやる曲順通りにゆったりと通すだけで、後は休息にした。
その他の用意に関しても、僕の想像を超える計画が為されていた。
タカシはコウキに連絡して、その夜だけ、もう一度DJをしてくれとお願いしていた。
トオルは、知り合いのデザイナーに頼んで、ステージの後に流す映像を早急に作って貰っていた。

どちらにしろ、この二人はかなり前から計画していたらしい。
僕は呆れたが、楽しそうな二人を見ると笑顔を隠さずには居られなかった。

「遂に明日かぁ…。」
そう呟く僕のポケットで、携帯電話が震えた。

そう。
時雨が仕上がったのだ。

「タカシ。僕、言ってくる。」
タカシに事情を話すと、タカシは直ぐに行けと言った。
歩調が早まる。
予約したゲームソフトが、やっと発売された時の感覚に似ている。

「シンジさん!!」
僕はスマイリィ楽器に着くと直ぐに叫んでいた。
「慌てるなよ。アキ。出来てるよ。コイツが新しい、時雨だ。」
シンジさんは時雨のケースを開けてくれた。

漆黒の四弦の其の佇まいは以前と変わった様子は無かった。

纏った気配が、以前より強くなった気がするのは、
僕の勝手なイメージだろうか…?

「弾いてみな。」
シンジさんは既にアンプをセッティングしてくれていた。
「ここで?」
シンジさんは大きく頷き、
「俺だって、お客の喜ぶ顔が見たいからな。」
胸のシルバーストーンが大きく揺れた。

シールドを繋ぐ。
シンジさんがアンプの電源を入れた。
僕はツマミを調節する。

息を吸う。
息を吐く。
手を弦に添える。
その手を、弾く。

鳴り響く、重低音。
腹に響く、その音は、長く長く、息をしていた。

「シンジさん…。」

「結局何の木かは判らなかったけどな。性質は大体把握した。お前に説明してもどうせ理解出来ないだろうから言わないけどね。」
シンジさんは笑った。
僕は、御礼を言った。
「一曲弾いてくれるか?」
シンジさんの思わぬリクエストに、僕は戸惑った。
「何でも良いんだよ。」
そう言われ、僕は、エースを弾いた。
唯、物凄くゆっくりな、エース。
シンジさんは笑っていた。
気の所為か、目に涙が溜まっている様に見えた。

僕はエースを弾き終わると、もう一度シンジさんに御礼を言い、時雨を担いでスタジオへと戻った。

イメージは、止め処無く溢れてくる。


スタジオに帰って、皆に新しい「時雨」のサウンドを聴かせた。
皆、心の底から喜んでくれた。

それから、練習はせずに、明日のライブの段取りなんかを話し合った。
「これさ、ここでこの子が真ん中に立たなきゃなんねぇ訳だろ?そっからどうやって左に移動するん?」
トシくんが言った。
「うーん…ワイヤレスマイク使う?」
トオル。
「あの頭に付けるヤツ?」
タカシ。
「嫌だよ。あんなの絶対変だって。」
僕。
「一曲目はトオルと被るけど仕方無いか?」
タカシ。
「だな。まぁドラムの下に台付けるんだろ?」
トオルの言葉に、トシくんが頷く。
「でも、イキナリ出て来て、徹に被ってしまうとなると、客的にはちょっと「え?」って思うかもよ?この子プレッシャーじゃない?」
「まぁ、大丈夫でしょ。あの子はこう見えても結構タフだから。な?アキ?」
僕は煙草を咥えた。
「知らないよ。」
トオルが言葉を繋ぐ。
「いくらタフでもなァ…下手したらブーイングもんだぜ?良いのか?アキ。」
「ま、仕方無いんじゃない?」
僕の代わりにタカシが答えた。
僕は、溜め息を吐くだけだった。
「ま、そりゃァいきなりエスタのメンバーじゃない奴が出てきたら、客も焦るだろうしな。」
「それが男だったら別に良いんだろうけどね。」
トシくんが笑う。
「女のファンってのは、結構キツイよ?」
僕の前でユカが口を挟んだ。
「そうなん?」
僕が言うと、
「ブーイングで済めば良いけどね。だってあの子はあんたのポジション取って、しかもステージのセンターで歌ってトオルが見えなくなる訳でしょ?ほらアキ、煙草貰うよ?女のファンは怖いよォ?普通に『死ね』とか言ってくるからね。」
ユカは僕の口から煙草を奪った。
「マジ?」
僕は少し、怖くなった。

そして、ユカは煙を吐くと、
「っし。まぁあんたは気にしない事だよ。あんたは精一杯やれば良いんだ。」
鏡の中の女にウインクした。
その女は、心配そうにユカを見て、溜め息を吐いた。
「そんなんじゃ可愛い顔が台無しだよ?胸張って。」
ユカのその言葉に、女は苦笑いした。
ユカは女の口に煙草を咥えさせた。
「大丈夫。いざとなったら俺が護ってやるよ。」
トオルは無責任な事を言った。
「ま、今回のライブだけのゲストの予定だから。リラックスしてくれよ。」
タカシも、やや無責任に励ました。

僕はと言うと、唯溜め息をついて、部屋の天井を一瞥してから、
女に目をやった。

女は、つまらなそうな顔で、僕を見つめ返した。
ライブは明日だ。
リミットは、十数時間しかない。

女の目に、光が燈った。

「お。良い顔出来るじゃん。」
ユカは言った。
女は、煙草の煙を吸い込むと、ゆっくりと吐き出した。
慌てたのか、少し咽た。