第三十九話
「命名」
『MOONLIGHT RECORDS』
『HYPER DASH RECORDS』
『WATER RECORDS』
『GIVING
RECORDS』
『MIST OF A.M. RECORDS』
『CROSS』
『FULLVOLUME
HEADGEAR』
『SOUNDS LIKE
STORY』
計8つ。
「これが最終候補の8つだ。ここから、この場に居る皆で話し合って1つに絞ろうと思う。」
山下はホワイトボードの前で笑った。
この8つは、BERRYのインディーズレーベルの社名候補なのだ。
営業係長の倉下から、
「社名が上と同じ『BERRY
RECORD』だと、遣り難いし、これから先も必ず必要になる。」
と言う提案があった。
『上』と言うのは、よく上司や、重役達の事を指して遣うが、
この場合は『BERRY
RECORD』の事を指しており、
こちらがインディーズ、つまりアンダーグラウンドな音楽を扱うので、
その対比として、BERRY
RECORDをアッパーグラウンド、
つまり『上』と呼ぶ事もあった。
『上』と言う言葉が、上司を指すのか、
BERRY RECORDを指すのか判らない時があるが、
BERRY
RECORDは、結局『特別人事課』の上司の様な存在なので、
然したる問題は無い。
倉下の提案を受けて、山下は直ぐに動き、上から承諾を受けて来た。
但し、条件があった。
一つは、早急に社名を決定し、それを上が認めれば正式に手続きをする事。
そして、社名は、直ぐには使わない事。
一定のバンドを集めて、本格的にレコード会社として機能する迄、
社名は伏せておくのだ。
しかし、スカウト活動や、関連会社等との営業で使う場合は、
それを認められた。
社名を決めるに当たり、会議を開いた。
メンバーはあたしと、山下、ユミ。
そして、企画係長の遠山。情報係長の堤。
事の発端である、営業係長の倉下。
各部の代表が一人ずつ、企画部から、渡利。
情報部からマナ。営業部から浅原。
合計9人で行われた。
社名は『特別人事課』の全員からアンケートを取り、
その中から良い物を絞るのでは無く、
まずは使えそうに無い物を消去して行った。
13名の内、5人の意見が削除され、そして、
先程の8つの社名が残ったのだ。
「さて、1つずつ検討して行こうか。」
山下が言う。
「ハイパーダッシュってのは、ハイスピンとちょっとかぶってる感じがしますね。」
情報係長の堤が言った。
「あ、それはあたしも思います。」
あたしは直ぐに答えた。
「やっぱりハイスピンの対抗で行くんだから似た名前はマズイよね。」
ユミが言う。
「ミストオブAMってのも長いかも。」
マナは控え目に挙手して言った。
「そうですね。直ぐに覚えてもらえる名前が良いと思います。」
倉下が言った。
山下はハイパーダッシュとミストオブAMの横に×印を書いた。
「ムーンライトはどう?」
山下。
「綺麗で良い感じなんですけど、少し在り来りな気がしますね。」
渡利が言うと、
「あれ、あたしが考えたんだけど。」
ユミが少し膨れた顔をして見せた。
「あ、すいません。」
渡利が少し焦った。
「ユミ、そんな事言ってちゃ匿名で書いた意味無いでしょ?」
あたしが言うと、ユミは悪戯に笑った。
「クロスもどうかと…逆に短か過ぎてレコード会社とは思われないんじゃ…?」
堤。
「あれ、僕なんですよね…。」
山下が苦笑い。
「山下くん。」
あたしが少し睨むと、
「ごめんごめん。」
と両掌をこちらに向けて、
「最後に『レコード』って付けるのを避けたいんだよね。在り来りで。」
「成程ねぇ…。」
「もう、皆が何書いたか言ったら良いんじゃない?」
ユミは言った。
「その方がお互いにどんな名前考えてるか解るしね。」
山下。
まったく。
「あたしはいいよ?皆は?」
あたしが呆れて言うと、皆頷いた。
山下とあたしとユミ、そしてマナ以外は、あまり興味が無さそうだ。
しかし、倉下は積極的な姿勢を見せていた。
「あたしはフルボリュームヘッドギアです。」
「おぉ…倉下さん意外に激しいっすね。」
ユミが言うと、倉下は少し照れた。
「良いね、歯切れも良いし。」
あたしが言った。
「『レコード』も付いて無いし。」
山下。
「こだわるねぇ。」
ユミ。
「あたしはウォーターレコードです。」
マナが口を出した。
「綺麗で良いけど、薄いかな?」
ユミ。
「水って、自由に形を変えれるし、綺麗に光るじゃないですか。」
「あぁ…。」
ユミは少し口篭った。
あたしに気を遣ったのだろう。
熱心に語るマナは、少し疑問の色を浮かべた。
「僕はギヴィングレコードです。」
堤。
「これは…?」
山下が言うと、
「素晴らしい音楽を贈りたいって意味なんですが…恥ずかしいですね。」
堤は頭を掻いた。
「サウンズライクストーリーは?」
ユミ。
「あ、あたし。」
と、あたしは低く挙手した。
「あぁ、あんたにとって音楽は物語だからね。」
ユミは呆れる様に言った。
「ちょっとどーゆー意味!?」
「そーゆー意味でしょ。」
ユミに全ての事情を聞いたマナも、呆れた目であたしを見た。
「ちょっとマナ!?」
ユミとマナ、山下は笑って居た。
他の人間は絶句。
マナには辛い役目をお願いしている…。
この課の上下関係を成るべく無くす、と云うポジション。
「ちょっと倉下さんどう思います!?」
あたしは、賭けに出た。
先程から積極的な姿勢を見せてくれている倉下に、
キラーパスを送ってみた。
倉下は、一瞬躊躇した。
が、
「どうって…高野さんにその辺の話聞きたいですね。」
言葉の最後の方は、ニヤリと笑って居た。
真面目で堅そうなイメージの倉下が、おどけて笑った。
ユミも、マナも。
「倉下さんまでっ!!」
あたしが膨れた顔をすると、
「倉下さん後でねー。」
と、ユミは倉下に手を振った。
倉下も、笑顔で手を振り返した。
嬉しかった。
「ユミっ!絶対言っちゃ駄目だからね!!」
「いーじゃないですかぁ。」
と、倉下はまだ笑って居た。
「はいはい。その話はまた後で僕も入れて話すとして…」
「山下っ!!」
5人の笑い声が響いた。
「さぁ、どうしようか…?」
山下は仕切り直した。
「ちょっと良いですか?」
真面目な顔に戻った倉下は、ゆっくり挙手した。
「何?」
「別にこの中から決めなくても良いと思うんです。」
「どう云う事?」
あたし。
「この中の意見を参考にして、また新しく考えても良いんじゃないでしょうか?」
「成程ねぇ…。」
山下は顎に手を当てた。
「何か良い名前考えたの?」
あたしが聞くと、倉下は小さく頷いて、
「ムーンライトとウォーターを合わせて、ウォーターライトレコードって云うのはどうですか?」
「ウォーターライトかぁ…良いっすね!!」
ユミは言った。
「響きも良いし、イメージも綺麗…どんな意味ですか?」
マナが尋ねた。
「特に意味は…無いんですけど…組合せると良いかなって思っただけで…。」
「でも、そんなもんでしょ。」
ユミが言った。
あたしも頷いて、
「うん。良い名前が先に来れば、後付けでも、素敵な意味が生まれるよ。」
あまり遣わないが、敢えて「素敵な」と言った。
本当に良い名前だと思ったからだ。
「ウォーターライト…良いですね!!」
堤は急に顔が明るくなった。
「僕も良いと思います。」
渡利が口を出す。
「それ、本当に良いですよ。」
「賛成です。」
今まで全く口を開かなかった遠山と浅原が、急に賛同した。
少し驚いたが、やはり嬉しかった。
倉下の意見が、興味を持たない人間を動かしたのだ。
山下もそう思ったのか、
「これから、『特別人事課』は変わるかも知れないね。」
と、優しく笑った。
「でも山下さん、『レコード』って付いてますよ?」
ユミは悪戯に笑った。
「あっ!ほんとだ!取ろう!!」
「でもウォーターライトだけだとちょっと…。」
倉下が困った顔をした。
「じゃあ『レーベル』にしたら?」
あたしがぽつりと言うと、全員が一斉にあたしを見た。
え?
「え?」
あたし、何か変な事言った?
そう思い戸惑って居ると、
「それ良い!!」
最初に叫んだのは渡利だった。
「だね!それで行こうか!」
ユミ。
「『レコード』より響きが良いかも…。」
倉下。
「そう思ったら、それしか無い気がして来た。」
マナ。
「ちょっとちょっと、『レコード』と『レーベル』の違いだよ?」
あたしは少し焦った。
「良いんだって。これがあたし等の看板になるんだから。響きが良い方にしよう。」
ユミは笑った。
「じゃ、会議は終わり。かな。」
山下がにっこり笑って、資料を片付け始めた。
もう。
会議が終わると、あたしとユミは倉下に話し掛けた。
「倉下さん。今日はありがとうございます。」
倉下は真面目な顔をして、
「良いんですよ、部長と総括を見てたら、あたしも楽しくなって来て。」
と笑った。
「アヤって呼んで下さい。」
「あたしも、ユミで良いです。」
言うと、倉下は呆れた表情で、
「言われると思った。浅見さんにも同じ事言ったでしょ?」
と言った。
お見通し?
あたし達が頷くと、
「あたしも、静香って呼んで下さい。」
そう、照れながら笑った。
あたし達も。
昼休みが終わり、情報部の資料に目を通していると、
「早っ!!アヤ本当に資料見てるの?」
マナが驚いて言った。
「うん。昔からこうなんだ。パッと見て、文章は大体覚えられる。興味無い事は直ぐ忘れちゃうけどね。」
「へぇ…。なんか、便利だね。」
「コラコラ。人を道具みたいに言わない。」
「いやいや。そんなつもりじゃ。」
そんな会話で笑い合いながら、あたしは次々と資料を重ねて行った。
資料に目を通すのに掛かる時間は、大体0.5秒。
昔からそうなのだ。
文章を記憶すると言う感覚ではなく、
その紙自体を記憶する。
そしてそれを思い出して、頭の中で読むと言う感覚。
資料を写真に撮って、アルバムから写真を出して読む様な物だ。
伝わってる?
普通の文庫も、大抵は15分で読み終わる。
これが勉強に生かせれば良かったんだが…何故かそれが出来なかった。
便利な様で、不便な能力。
「あぁ、アヤってそう言うのはほんと凄いよね。あたしも始めて知った時はびっくりしたよ。」
ユミは缶ビールを片手に笑った。
ユミの家での呑み会。
その日の夜は、そんな話から始まった。