第四十二話
「キス」
タカシくんは、何の心配も無さそうに笑ってる。
心の中では…本当はアキの事が心配で堪らないのだろうと思う…
しかし、やはりプロと言うべきだろうか、軽快にギターを弾いている。
アミを見ても、とても楽しそう。
先程のMCの時と違い、曲が始まると一転して自信に満ちた顔になった。
目の輝きは、本当に音楽を愛している事を語る。
2曲目は、笑っちゃう位にハイスピードな『柊』。
憂いを帯びたこの曲も、彼等のアレンジでは爽やかなイメージ。
ディスプレイに3人の顔が順番に映る。
それぞれのファンが歓声を上げる。
続けて3曲目。
アミのベースが音を連ねる様に流れる。
「ちょっと遊んでみようか。」
タカシくんが言う。
トオルくんのドラムが入る。
「一筋の、煙立ち上りゆき…。」
低めのボーカルが入る。
これは、『冒険者たち』?
歌詞を知らなければ判らなかった。
音程がまるで違うのだ。
リズムや、タイミングは原曲にある程度沿っていて、
似た感じにはなっているが、これは全くの別物と考えてもおかしくない。
頭の中では、原曲の、本来の音程を考えている。
だからこそ、予想もしない所で急に音符が跳ね上がったり、
逆に落ちたりして、驚かされる。
頭の中のイメージが次々と裏切られるのが、次第に快感に変わって来た。
アミは、原型を崩す事を楽しんでいるかの様に歌っている。
曲が終わり、ギター、ベース、シンバルのまだ余韻が残っている内に、
「Would you marry me!?」
かすれた声で、タカシくんが叫んだ。
歓声がそれに答える。
そしてまた、その歓声に応える様に、AiR-styleが飛び跳ねた。
ディスプレイには、花びらの舞う映像が流れた。
そして、ディスプレイに丸く窓が開き、アミの顔が映し出された。
アミの口が開く。
…まただ…!!
先程の『冒険者たち』と同様に、この曲、『魔法の言葉~Would you marry me?~』も、
アミは完全に崩して歌っている。
原曲の道筋を辿りながら、それでも原曲通りには歌わない。
こんなカバーは、初めて見る…初めて聴く。
そう思い、shinの様子を伺った。
あたしは三人の顔を見て、微笑を隠せなかった。
今なら名前を呼んでも、肩を叩いても、彼らを振り向かせる事は出来無いだろう。
口を半開きにさせ、呆然と、完全に魅入っている。
shinの顔を見て、ふと気付く。
この曲…そしてこの前の『冒険者たち』も…コピーだ…!!
アミのボーカル、タカシくんとトオルくんのコーラスを除けば、
つまり、楽器だけを聴けば、全て原曲に忠実なのだ。
何と言う事!!
あたしは楽器を演奏する才能は無いが、音楽を聴く能力には多少自信がある。
shinのこの表情も成程、頷ける。
この体育館で、あたしやshinの他に、誰が気付いているだろう…?
そう思うと、それに気付いたと言う満足感に浸ってしまう。
ユミに『マニア』とまで言われたshinのファンの気持ちが、解かる気がした。
「YES!! I will!! Thank you!!!」
曲が終わり、タカシくんが叫んだ。
その姿がディスプレイ全体に映し出され、観客は怒号の様な歓声を上げた。
次にアミが映る。
嬉しそうに、楽しそうに笑い、顔を上気させ、息は弾み、目が輝いている。
悔しいかな、嫌悪感など微塵も無い。
アミと違い、あたしは自嘲気味で皮肉った笑みを浮かべた。
その時、ユミは必要以上に小さな声であたしに囁いた。
「ね、あの人胸無いね。」
言われて初めて、アミの体を意識して見た。
成程ユミの言う通り、アミの胸はお世辞にも大きいとは言えなかった。
と言うより、そこに膨らみを感じない。
標準を5とすれば、あたしは4で、アミは2に足るだろうか?
ユミは8か9。
「胸が大きいと肩が凝る」と言う言葉は、ただの自慢にしか聞こえない。
しかし、胸以外のプロポーションはお世辞抜きで抜群と言えよう。
細くて長い腕、指、足。色白で、背も高く、華奢ながらも、締まった躯。
くびれるべき所は、見事にくびれている。
アミはベージュの長袖のTシャツの上に、黒い半袖のTシャツを重ね着している。
Tシャツの胸には、筆で書いた様な白い文字で「無限」。
黒っぽいベルボトムのジーンズの膝は大きく破けていて、和柄の生地で塞がれている。
あたしは抜群のスタイルで貧乳の女を呆然と眺めていた。
沢山の汗は、遠慮無しにステージの床に滴り落ちている。
「暑っついねぇ~…。」
トオルくんが頬の汗を筋肉質な腕で拭いながら、ドラムセットに組み込まれたマイクに言った。
観客達は、それだけで歓声を上げた。
「もう夏ですなぁ。まぁそう言う訳で今日の一曲目は『SUMMER DAYS』をチョイスしたんだけど、どうよ?」
歓声が上がり、時折「サイコー!!」と叫ぶ声がした。
「俺はアミちゃんのエンジェルボイスにメロメロになったんだ!!」
そう言って、ドラムを2,3発打った。
この言葉への反応は、大きく二つに分かれた。
男性達の歓喜の雄叫びと、女性達の否定的な悲鳴。
「イエーイ!!」と「えーっ!?」は、どちらも低い音程だった。
歓声が止むと、タカシくんが叫んだ。
「男共ぉ~っ!!アミちゃんを抱きたいかぁ~~~っ!!!」
雄叫びは、一層厚みを増した。
「最っ低。」
ユミは顔をしかめた。
あたしは苦笑いで答えた。
「女共ぉ~っ!!!……アミちゃんの事好き?」
タカシくんの問いに、女性達はまた、「え~っ!?」っと叫んだ。
中には、「アキ~っ!!」と叫ぶ客もいた。
これには、ステージの三人はただただ苦笑いだった。
アミの目が光って見えたのは、ライトの所為だろうか、それとも、涙?
「一か八か…このライブが終わる頃には、みんなアミちゃんの虜になってる事を願って…。」
次の曲は、タカシくんのギターから始まった。
綺麗なスライドサウンドを合図に、ドラムとベースが入る。
前奏はギターとベースのユニゾン。
この前奏で、直ぐに判った。
『One or eight』
原曲とは違い、音を流さずにカットしている。
メリハリのある感じだ。
そして原曲よりも断然長い前奏に乗せて、タカシくんがタイミング良く
「オーイッ!!!」と、野太くかすれた声でコーラスを入れる。
アミは、曲が始まると強くなる。
歌い始めると、アミは強くなる。
表情に自信が満ち溢れる。
自然に笑顔になっている。
輝く。
勝ちを掴むまで、その足止めるな。
そう歌うアミは、確かに走っていた。
あたしは涙が出そうになった。
あたしはちゃんと走れているのだろうか?
あたしは、立ち止まっていないだろうか?
暑い…。
汗で身体に服が貼り付く。
頭が暑い…。
自分の吐息が熱い…。
気付くとあたしも汗をかいていて、
Tシャツが一部濡れ、その部分だけ色が濃くなっていた。
ステージのディスプレイには様々な模様が曲に合わせ飛び交って、
テンポ良く配色を変えている。
感想で、タカシくんのギターソロが入る。
原曲には無いオリジナルのソロだが、それが曲にマッチして、スピード感を駆り立てる。
ソロを終えたタカシくんは大きな歓声に包まれて、高々と拳を突き上げた。
顔一杯の笑顔は、母性本能をくすぐる。
隣を見ると、ユミが拍手して顔を上気させていた。
あたしは思う。
アキは何処?
アキは何処?
僕は捜す。
アヤは何処だ?
アヤは何処だ?
そして急に音が止まった。
勝ちを掴むまで、その足止めるな。
一か八かでもやるときゃやるのさ。
アミのボーカルだけで、周りの空気が一瞬で引き締まった。
なんて声量。
そして、いきなり楽器が入る。
何だこれ…!?
こんな事初めてだ…。
自分の身体が…別の物になった様な感じ…。
3つの楽器が加わって、それに乗って踊る4つ目の音。
アミの声は少しかすれているけど、こんなに落ち着くのは何故だろう…?
曲が終わると直ぐにベースソロが始まった。
驚いた…。
あたしだけじゃないのは体育館の空気が物語っている。
誰もが息を呑む、アミのプレイ。
暗転した舞台に一筋のスポットライトが降りている。
…速い…!!!
細かい指の動きに目が着いて行かない。
流れる様に続くベースの音。
ギターも、ドラムも入らない。
休む間も無く、一拍の休符も無く、彼女のソロは続く。
そして彼女の表情…。
真剣に、ベースのネックを見つめている。
両手の指は止め処無く、そして速く動き続けているが、
表情は一切の挙動が無い。
完全な静と動。
真一文字に引き締めた口、そこに流れる汗。
一点の曇りも無い澄んだ目。
微細に揺れる長い髪。
今あたしを魅了する全てがそこにあった…。
最後に一つ、高い音を鳴らし、ベースソロが終わった。
観客が上げる大歓声。
ディスプレイに、真っ直ぐこちらを向いたアミの目がアップで写る。
ステージ上のアミを見ると、こちらに向かって真っ直ぐに拳を突き出していた。
その姿がアキと重なる…。
急に全ての楽器が止まり、直ぐにアミが歌い出す。
同時に会場全体が明るくなる。
「何処までも何処までも落ちてゆくこんな時を…縦横無尽にあたしは歩いてく、明日の為に…!!」
『135』だ。
さらに歓声。
「ニッポン!!!」
タカシくんが叫んだ。
「ニッポン!!!」
トオルくんが叫んだ。
観客も合わせて叫ぶ。
体育館全体で日本コール。
それに合わせて前奏が始まった。
重い響きのある音が体育館を包む。
その音に乗って、アミは軽やかに歌を乗せる。
すぐにサビが来て、次々と日本を憂う歌詞が飛び出す。
ディスプレイに世界地図が映り、日本列島がズームアップされた。
そして日本地図に四方から幾本もの細い線が引かれ、その中の一本が赤く光った。
明石市の真上を通るその線が点滅する横に、
『135』という数字が激しく点滅した。
東経135度が日本を表す数字。
そして急に曲調が変わった。
ハイテンポな135が急にミドルテンポになる。
そして、タカシくんのギターが別の曲を演奏し出した。
135の重い音の中、クリアなギターサウンドが軽やかに突出する。
どんなにスピードが上がっても判る、『あいのうた』の前奏。
細かく速く動くタカシくんの左手。
ディスプレイにタカシくんの全身が映った。
少し長めに前奏を続けた後、感動する位にタイミング良く、三人の音が一つになった。
ディスプレイでは、パステルカラーの水玉が、ピンク色の背景に溶けて行く。
アミも凄いスピードで指を動かしている。
そして、だんだんテンポが遅くなって来た。
だんだん、だんだん…。
あれ?
前奏だけで、終わってしまった。
プロローグが、いつの間にかエピローグに変わってしまった。
戸惑いを隠せない観客を他所に、トオルくんがスティックを2回鳴らした。
「ブランコが、揺れてる…笑うよに、揺れてる…月明かり照らす公園であの日の私に出会う。」
アミのボーカルと同時に、ミュートしたギターサウンドと低音のベース、そしてバスドラムが入る。
そしてテンポは、速い!!!
『ブランコ』が始まって、観客の熱は戸惑いも忘れて上がった。
そして、この『ブランコ』は、曲調だけじゃなく、アミのボーカルも凄くアレンジされていた。
3曲目、4曲目の『冒険者たち』や『魔法の言葉』の様に、
原曲の筋に囚われない踊る様なボーカルがあたし達の心を弾ませる。
暑い…。なんて熱いんだ…。
もう、限界だ…。
壊れてしまいそうだ…。
頭がクラクラする…。
スピードに乗ったまま、二回目のサビが終わり、アミが初めて観客に対して大きなモーションを見せた。
ベースをスタンドに置き、ステージの前に、ギリギリまで前に出て来た。
歓声が上がる。主に男の。
アミは何度も拳を突き上げた。
そのタイミングに合わせ、観客達が掛け声を上げる。
あたし達から見て左、彼女の持ち場からだんだん右へ歩いて行く。
その姿がディスプレイに映し出される。
アミは汗だくでも、最高の笑顔が輝いていた。
タカシくんの隣で、拳を上げるアミ。
アミがタカシくんに耳打ちした。
ディスプレイに二人の顔が大きく映る。
あたしは咄嗟にユミを見た。
顔いっぱいに不機嫌が表れている。
あたしは苦笑いしながらも、内心ハラハラしていた。
そんなユミの想いを知らず、アミから何かを聞いたタカシくんは突然笑い出した。
アミの言葉はもちろん、タカシくんの笑い声も、楽器の音で聞こえない。
笑いながらギターを弾くタカシくんは、嬉しそうにアミの頬にキスした。
歓声…いや、悲鳴が上がった。
あたしの隣から、体育館全体から…。
ユミはあたしの腕を力強く掴んで、困惑した怒りに顔を真っ赤にしていた。
そして当人達はと言うと…。
アミは突然の事に目を見開いて驚き、ユミの様に顔を真っ赤にして、怒っていた。
キスされた綺麗な頬から、湯気でも出そうな位。
何度もタカシくんの背中を叩く。
それでもタカシくんは笑いながらギターを弾いていた。
「何考えてんの!?」
ユミが力いっぱい叫ぶ。
あたしに聞こえる様になのか、それとも怒りからなのか…。
アミが自分の持ち場に戻ると次第に曲調がゆっくりになって行く。
そして、前半とは違い、しっとりと歌う。
「母に見送られた田舎の駅を木枯らし吹けば思い出す。結局父とは話さなかった、生き方が違うと思っていた。」
寂しげに、歌うアミを見て、何故か涙が出そうになった…。
結局最後まで、ゆっくりなまま、しかし体育館全体が熱い困惑に包まれたまま、曲が終わった。
『ブランコ』はそのタイトル通り、あたし達の心を揺らした。
「タカシーーッ!!」
口々に叫ぶ観客達。そして、ユミ。
アミは知らん顔。タカシくんは苦笑い。トオルくんが何故か大笑い。
「何なのタカシやつ!!マジでむかつく!!絶対後で殴ってやる!!!」
「どうしたんだろうねぇ…?」
あたしは、それ以上の言葉を掛ける事が出来なかった。
「まぁまぁまぁまぁ。見逃してくれよ。」
タカシくんの言葉に、会場はブーイング。
「ごめんってばぁ~…。怖いから次の曲ねっ。」
またブーイング。
「お前等後で泣き見る事になるからなぁ~。」
タカシくんは悔しそうに言った。
そしてギターソロを始める。
曲が始まると、会場は少し大人しくなった。
この前奏は『Thanksgiving Day』だ。
元々キーボードで出している音をギターでやるから、タカシくんは細かく手を動かす。
しかも、またテンポが速い。
今日は速い曲が多い。
「広場にはためいた万国旗…my town…。」
爽快なスピード感。カーソングにピッタリだと思った。
ボーカルが入った途端にミュートになったギターサウンド。
流れる様なベースライン。
飛び跳ねる様なドラムリズム。
そして、サビが来て、驚くべき映像が目の前に広がった。
タカシくんの言葉通り、あたしも、多数の観客も、泣きを見る事になったのだ…。