第四十三話

「決意」

空中に、黒い物が舞い上がった。
目線が上に上がった瞬間…。

「いざ、踊り踊ろうよ。リズムに合わせて!!!さぁ、歌い歌おうよ。ワインを飲み干し…!!!」
乱暴にかすれた声が聴こえた。
あまりの驚きに、直ぐに目線をアミに向けた。
聴き覚えのある声だったのだ。
今日一番の歓声が轟いた。

「花火が山々に鳴り響くmy town。」

アキは尚も歌い続ける。
あたし達の疑問なんて何でも無いと言う様に。

まるでイリュージョン。
つい数秒前までアミが居た場所に、アミと全く同じ出で立ちのアキが居る。
髪を逆立てていないアキは、久し振りに見る。


出来事を目の前にしても、信じられない事はある。
アミとアキの声は、全然違うのだ。
確かにアミの声は所々かすれていて、今思えばそれはアキのそれと似ていた。
だが、有り得ない。

アキは女のあたしより高い声が出せるんじゃないか。
以前そう思った事を思い出した。
あたしより…そんなもんじゃない。
下手な女性ボーカリストより高い声で、上手い…!!

あたしの、いや、会場の困惑を、アキは悪戯心で一掃した。
急にアキの声が変わったのだ。
アミの声に。
姿はアキ、でも、声はアミ…。
アキはアミ。

今になって初めて受け入れる事が出来た。

冷静に整理する。
アキは女装していたんだ。
理由は解らないが、アキは女装して、このライブを決行した。
それなら、アミのスタイルにも納得が行く。
抜群に引き締まった身体、だけど貧乳…当たり前だ。

さっきアミがタカシくんに耳打ちしたのが、
正体を明かす。
と言う事だったら…。
もしそうならアキはアミの姿のままでライブを終えようとしていたの…?


相手がアキなら、タカシくんのキスも許される…恐らく。

ディスプレイいっぱいに、アキの顔が映る。
歓声が渦を巻く。
悲鳴に近い。

急に音が止まる。
アキはゆっくり歌い出した。
「また、雪が積もったら逢いに行けない。ねぇ、春になったなら暮らしてみない…?」

体育館は完全に沈黙し、渇いた空気が熱っぽく流れる。
アキは、下を向いて立ち尽くしている。


パァンっ!!
最高に乾いたスネアの音で弾ける。
タカシくんが高く飛ぶ。
「いざ踊り踊ろうよ」
アキは汗だくになって笑っている。
子供みたいだ…。
何て、不意に思ったりする。
「ありがとう。」
この言葉を何度も歌った。
最後に音を流し、アキがジャンプ。
着地のタイミングに合わせてアタック。

「ありがとー。」
アキ。
「yeah!!おかえりアキ!!」
タカシくんが叫ぶと、トオルくんがドラムを鳴らした。
歓声が体育館にこだまする。
「暑かったよ。カツラ。」
「でもお前ヅラをさぁ、パァーって投げてもそんなにカッコ良く無いよ?」
笑い声。
「あっ、思い出した。お前等泣きを見ただろぉ!?」
タカシくんが観客を指差すと、観客は両手を上げてまた歓声。
「アレはお前が悪い。」
トオルくんが言う。
「嘘ぉっ!?え!?どうなん?アキ。」
「いい。思い出したくない。」
「アハハ…さぁ、それじゃあアキも帰って来た事だし、行きますかぁ。」
「ますかぁ。」
「じゃあラスト!!」
「あ、待って?」
タカシくんがガクッとなった。
あたしも笑ってしまった。

アキはタカシくんに歩み寄る。
タカシくんは驚いた様で、急に真剣な顔になった。
タカシくんが何か言い、アキは頷く。
アキが持ち場に戻ると、
「えー…今日はちょっと約束があってAiR-styleの曲は出来ないんだけど…アキがどうしてもって言うので…。」
歓声が上がる。
「新曲を。」
更に歓声。
そしてアキが…
「えっと、じゃあこの曲は、ある人の為に、」

えーっ!?
誰ーっ!?

観客が叫ぶ。
「えーと、今度、『WATERLIGHT』って言うレーベルが出来るらしいんだけど…」
あたしとユミは顔を見合わせた。
何を言い出すの!?
「そこのレーベル、イチ押しのバンド、shinに送ります。」
shinを見る。
口を開けて固まっている。
「よく聴いとけよ、shin!!」

パァン!パァン!パァン!パァン…!
スネアとシンバルが同時に打ち鳴らされる。
何度も、何度も…。
ボォン!ボボン!!
ベースが入る。
何て重く響く音…。
あたしはとっくに時雨のサウンドの虜になっていた。
ベースは次第に早くなり、あたし達の心拍数を吊り上げて行く。

「アイデンティティ!!!」
アキが叫ぶ。
観客が飛ぶ。

アキが歌い出して、あたしは目を見開いた。

どんなに目を凝らしても、音は見えないのに…。


HIPHOPなのだ。
しかも、よくある真似事の様なちゃちなHIPHOPじゃない。
『水神』の様な、重みがあり、尚且つ速い…!!
違うジャンルの曲でも、しっかりエスタらしさを出している。
何より凄いのは、アキ。
複雑に踊るベースラインを弾きながら、それ以上に速い言葉を乗せる。
そして、タカシくん。
アキのボーカルの隙間を縫う様にコーラスを入れる。
shinはと言うと、口を真一文字に引き締めて、キラキラと目を輝かせていた。
男って…バンドやってる奴等って、ほんとバカ。
…いいなぁ。
『アイデンティティ』と言う曲は、スピードを緩める事無く疾走し、
衝撃の余韻を残して熱っぽく終わった。

「ありがとー。」
アキ。
「shin見てるかー?」
タカシくんが手を振る。
shinはそれに応えようと、必死で手を振った。
タカシくんが笑う。
トオルくんは親指を立てた。
ディスプレイに『無限』の文字を残し、AiR-styleはステージを後にした。


「良かったね。」
shinに言うと、一杯の笑顔で頷いた。
「あんたもね。」
ユミが言う。
「あんたもねー。」
あたしも負けずに言い返す。
「何が!?」
「タカシくん、キスの相手がアキで良かったねぇ。」
「や、許さないよ?あの時点ではアミだったからね。」
厳しい。
少し経つと、直ぐにアンコール。
何度も、何度も…。
そして、体育館の照明は暗転した。
沸き上がる観客。

ディスプレイに、文字が流れる。
『本日はAiR-style Limited Live “無限”にお越し下さいまして、誠にありがとうございました。そして、アンコールもありがとう。しかし、本日のライブはこれにて終了致します。』
ここまで文章が流れ、観客は
「えーっ!?」
と叫んだ。

ほんの少し間が空いて、
『と、アキが言いました。タカシ。』
という文章が流れ、笑い声と共に
「アキーっ!!」
と声が上がる。
「アミーっ!!」
と叫ぶ人も居た。

『今日のライブは僕等にとって最高の形で終わったつもりです。つーか、アンコールであの曲(IDENTITY)以上の曲は用意出来ません。今日は大人しく帰って下さい(笑)どうもありがとう。』


「残念。じゃあお疲れ様の3人に逢いに行きますか。」
山下が言う。
「そうだね。」
…山下、居たんだ…。

体育館が少し笑いに包まれた。
ディスプレイを見ると、

『追伸…文句や苦情はタカシに言って下さい。アキ。』

だって。
あたしも笑った。
体育館に明かりが燈る。

さあ、ここからがあたしの本番。
アキに逢いに…。
前回一度逢っているから、プレッシャーは少なめ。
ライブ後、打ち上げを一緒にする事になっている。

今日のライブはとても良かったね。
あたしは心の中で、これから逢う相手に言った。
この後、人生で一番思い出したくないライブになるなんて事も知らず…。


混雑した正面出入口を抜け、一旦外に出た。

興奮覚めやらぬshinの3人は一生懸命AiR-styleの偉大さを語り合う。

あたしとユミは、トイレで着替えた。
汗でびしょびしょに重くなったTシャツとジャージを脱ぎ、持って来たTシャツとジーパンに。
ライブ後の乾いたシャツの、独特の爽快感。

トイレを出ると、シズカ、マナ、瑞穂さんの三人がshinと山下と合流していた。
「お疲れ様です。」
瑞穂さんに言うと、
「ほんと、疲れた。」
苦笑いが帰って来た。
あたし達は笑った。
「エスタの皆も準備とかあるだろうから、ライブ前の喫茶店でも行って時間潰す?」
ユミ。
「そうだね。」
シズカ。
「てか、こんな多人数で行って大丈夫なんですか?」
マナ。
「大丈夫だよー。広い店予約しとけ!!って言っといたから。」
ユミは親指を立てた。
「あたしは帰ろうかな。」
瑞穂さんはそう言って笑った。
「えぇっ!?何で!?瑞穂さんも行きましょうよー!!」
ユミは泣きそうな顔をした。
「あはは。良いの。充分満足したし、疲れちゃったしね。それにこんなおばさんが行ったら場の空気が悪くなるわ。」
「そんな事無いですよ!!」
ユミとマナは同時に言った。
「ありがとう。でも、アキも母親のあたしが居たら色々煩わしいだろうし、それにほんとに疲れたから。」
「良いんですか?」
あたしは最終確認として聞いた。
瑞穂さんは優しく頷いた。
「じゃ、瑞穂さんを見送って喫茶店行きますかぁ。」
あたしが言うと、
「えー!?ほんとに来ないの!?」
ユミが言った。
「ユーミ。」
「はぁい。」
「見送り位はさせて下さいね?」
言うと、瑞穂さんは笑って
「読まれてるのね。」
と言った。
見送りすらさせない気だったのだ。

「僕も帰るよ。」
山下が言った。
「へー。」
ユミは横目でちらりと山下を見ただけだった。
「何それっ!?僕も止めてくれよー!!」
「わかったわかった。また明日ね。」
「ひでー。」
山下の場合は、本当に泣きそうな顔をした。
「じゃ、打ち上げ行くのは7人ね。」
あたしは纏めると、
「じゃ、行きましょう。」


瑞穂さんを駅まで見送ってから、喫茶店に入った。

「なんかドキドキしますね…。」
shinのベース、イチルが言う。
「そんな緊張しなくていーのよ。これから逢うのはバカばっかりなんだから。」
ユミはケラケラと笑った。
「今はまだ、憧れが強いだろうし、緊張するかも知れないけど、その内良いバンド仲間になるよ。」
あたしが言うと、
「そんな事言って、アンタが緊張してんじゃないのぉ?」
シズカが茶化した。
「うっさいなっ。」
「あはは。アヤの方がドキドキだねー。」
マナ。

「わかったわかった。で?shin、あなた達の気持ちを聞かせてくれる?」
あたしはギターのユウスケ、ベースのイチル、ドラムのイツキ、と順番に目を向けた。
「オリジナルで曲を作って、ウチのレーベルからデビューしない?」
マナは誘う様に言った。
「あたし等が全力でサポートする。」
ユミは拳を顔の高さに掲げた。
「責任を持って、あなた方をプロデュースします。」
シズカは営業口調になった。
真面目だね。

あたしは最後に言った。
「おいで?」

ユウスケは歯の隙間から空気を出すだけの笑いをして、
「アンタ等卑怯だな。」
と言う。
「何がっ!?」
ユミ。
「今日のラスト、俺達の為に歌ってくれた曲。あんな曲を届けられたら、そりゃぁ来る物があるよ。」
「タイトルも『アイデンティティ』だったしね。まさに俺たちに『自分らしくしろ』って言ってるようなもんでしょ?」
イツキ。
「あたしたちも知らなかったよ?エスタがあんな曲を、しかもあなた達の為にやるだなんて。」
ユミはアイスティーを口に運んだ。
「と言うか、本人達も突然だったんじゃない?アキの思いつきでしょう。」
あたしが言うと、
「ほんとに?」
ユウスケは言った。
あたしとユミは頷く。
「あの曲がどうとか、あなた達の為に演奏してくれたからどうだったとか、そう言う事じゃないの。」
あたしはゆっくりと言った。
「え?」
イチルは目を丸くする。
「今日、エスタのライブを見て、どうだった?そして、あなた達はどうしたい?」
あたしが言うと、shinのメンバーは顔を見合わせて、頷きあった。
「もう、決まってるんです。」
イチルが言う。
「松田さんがこの前言ってたでしょ?『何か感じて欲しい』って。初めてエスタが人のカバーをやってるのを見た。あんなアレンジ、どうやったら考え付くんだろって思った。」
ユウスケ。
「前は、カバーやってる人を見ても、『ちゃんとコピーも出来ない癖に』って思った。でも、エスタは違った。」
イツキの言葉に、あたしは口を挟んだ。
「『冒険者たち』と、『魔法の言葉』でしょ?」
あたしの言葉に、三人は一斉にこっちを向いた。
「気付いてたの?」
イチル。
「前にも言ったかな?あたし、演奏は出来ないけど、耳には結構自身あるんだ。」
あたしが笑うと、
「どう言う事?」
ユミが言う。
「あの2曲は、アミ…アキさんのボーカルは派手にアレンジされてたけど、楽器だけは完全なコピーだったんだ。」
あたしも頷いて、
「もしかしたら、こっそり、あなた達へのメッセージだったのかもね。」
と付け足した。

「で?結局どうなの?」
マナが痺れを切らした。
「あ、そうだ。」
ユミが思い出した様に言う。
「あんたたち、やんの?やんないの?」

ユウスケはしっかりとあたしを見て言った。
「今日、ライブ終わってから三人で少し話したんだ。俺達は、やる。」
あたしとユミ、シズカは自然と笑顔になった。
「オリジナルを作って、エスタを驚かせたいって、ユウスケが。」
イツキが言うと、
「お前言うなよそれ!!」
ユウスケが慌てた。

「ありがとう。あたし達も、全力でサポートする。」
あたしが言うと、shinの三人は座ったまま頭を下げた。
「宜しくお願いします。」

あたしは、ちょっと泣きそうになった。

「あたし達も、試行錯誤しながらやっていくと思う。迷惑掛けるかも知れないけど、宜しくね。」
「よっしゃぁ!」
ユミは拳を固めた。
シズカとマナがハイタッチする。

shinの三人は、水の入ったグラスをテーブルの中央に寄せた。
「これが、俺達の決意だ…俺は、最高を目指す。」
ユウスケ。
「俺は、shinを護る。」
イツキ。
「俺は…良い物を作る。」
イチル。
あたしは笑って、
「スイマセン。空のグラス一つ貰えますか?」
と店員に言った。
ユミも、お冷のグラスを中央に滑らせた。
「あたしは、あんた達を大きくしてあげる。」
ユミ。
「あたしは、あなた達が上に登るのを手伝う。」
シズカ。
「あたしは、あなた達を世に広める。」
マナ。
あたしのグラスが届いた。
あたしは黙って、そのグラスにミネラルウォーターを注いだ。
皆の視線が集まる。

「あたしは…。」
少し考えて、そのコップを、6つのグラスに寄せる。
「あたしは、あなた達に最高の舞台を用意する。」

七人が顔を合わせ、笑い合った。
「shin、ありがとう。」
あたしが言うと、
「松田さん、ありがとう。」
イチルが返す。
「あたし達って…七人の…」
「それ以上は言わなくて良いから。」
ユミの言葉を、あたしが制した。
「ちぇー。」
ユミは膨れた。


誰の示したタイミングでもなく、
あたし達は同時に、グラスの水を飲み干した。


コトッ。
グラスをテーブルに置いて、唇の端から零れた水を手の甲で拭う。
「エスタの打ち上げより、shinとの契約成立パーティする?」
あたしが言うと、
「いやいやいや!!!それはまた今度でいいから!!マジでエスタに会いたい!!」
ユウスケはまた慌てた。
あたし達は笑った。
本当に、嬉しかったんだ。

本当に、嬉しかったんだ。
…この時までは…。