第四十五話
「動ケズ」
最後の『IDENTITY』で全てを消耗した。
僕等三人は楽屋代わりに使っていたロッカールームに入るなり倒れこんだ。
「しんどー。マジで疲れた。」
タカシが言う。
「腕つりかけたよ。」
トオルが言う。
「恥ずかしかったぁー。」
僕が言うと、
「お前なにヅラ取ってんだよ。反則だぞ??」
タカシが言った。
「だって暑かったんだよマジ。ほっぺたとかにスゲェ貼り付くしさぁ。」
「大体お前は正体見せないって約束だっただろぉ?」
「ってぇかお前こそ俺にキスしただろぉ!!ぞわっとしたよぞわっと!!」
「お前等二人とも馬鹿。」
トオルが口を挟んだ。
「んだとぉ!!」
三人で倒れたまま会話していると、
「お疲れ様。アンコールされてるよ?」
トシくんはドアにもたれ掛かって言った。
「アンコール何するんだっけ?」
「えーっと、『Gates of Heaven』と『SUMMER DAYS』の早いヤツ。」
「今更やるのかぁ〜〜?」
「ちょっとキツイよなぁ〜?」
『IDENTITY』の出来が、予想以上に大きかったのだ。
「あれ以上の曲、アンコールで出来る自信ある人〜?」
僕はトオルとタカシに聞く。
「そんな事言いながらもう腹ん中では決まってんだろ?」
「バレた?」
「よいっしょ。」
タカシは身体を起こして、テーブルの上の紙とペンを取った。
タカシが紙にさらさらと文章を書いていく。
『本日はAiR-style Limited Live “無限”にお越し下さいまして、誠にありがとうございました。そして、アンコールもありがとう。しかし、本日のライブはこれにて終了致します。』
と、そこまで書いて、少し考えた後、
『と、アキが言いました。タカシ。』
と付け足した。
「なんか僕の所為みたいじゃん。」
「その通りだろ?」
ったく。
「ったく。」
僕はタカシから紙とペンを奪い、
『今日のライブは僕等にとって最高の形で終わったつもりです。つーか、アンコールであの曲(IDENTITY)以上の曲は用意出来ません。今日は大人しく帰って下さい。どうもありがとう。』
と書き、更に
『追伸…文句や苦情はタカシに言って下さい。アキ。』
と書き足した。
「これで良し。」
「良しじゃねぇよ。」
僕等は笑って、
「じゃ、これ流してもらって?」
と、紙をトシくんに渡した。
「ったく。お前等にはいつか天誅が下るからな。」
「だって仕方ないだろ?あれ以上を求められても今の俺達には無理。もっと頑張るよ。」
僕がそう言うと、
「お前等に頑張られると、俺の仕事も増えるんだよ。」
とトシくんは捨て台詞を吐いて笑いながらロッカールームを後にした。
タカシとトオルにはどうだったかわからないが、
僕にはこの後、本当に天誅が下る事となる。
体育館のロッカールームの隣には、都合の良い事にシャワールームがあった。
「シャワー浴びてくるわ。」
トオルが立ち上がり、僕等も一緒に行くと言った。
シャワールームの薄いベニヤ越しに、
「打ち上げ何処でやるの?」
僕が聞くと、タカシが答えた。
「酔拳。」
『酔拳』とは、居酒屋チェーン店の名前だ。
「あぁ、駅の方?」
トオル。
「いや、ホテル近くにあるよ。歩いて10分ちょっとかなぁ?前に「レンスタ」ってスタジオあったろ?あの隣だよ。」
「あぁ。あそこね。」
シャワーを終え、楽屋に戻っても話を続けた。
「あれ?トオルは?」
「まだシャワー浴びてる。」
「綺麗好きだねぇ。」
僕は煙草に火を点けた。
「で?どんな気分?」
タカシがにやっと笑う。
「何が?」
「アヤちゃんに逢うの。」
「前も逢っただろ?」
「バッカ、前は完全にビジネスじゃねぇかよ。今回はプライベート。そりゃぁ気分も違うでしょ?」
「まぁ前は逢う時間も少なかったしな…正直、緊張してるよ。」
「緊張か。アヤちゃんってどんな人なの?」
ユカが言った。
「むらっちゃん。びっくりした。」
僕が言うと、
「お疲れ様。」
ユカは笑った。
「アヤちゃんはね、アキのお嫁さんになる人だよ。」
タカシが言った。
「バッ…!!!何言ってんだよ!?」
「いーじゃーん。結婚しちゃえよ。」
「お前はどうなんだよ?高野と。」
「あー…まぁ、ね。」
「落ち着いたら結婚するらしいよ。」
ユカが言う。
「マジで!?」
「結婚は良いよ〜?」
メグミも楽屋に入って来た。
「おぉ。メグ。」
「お疲れ。トオルは?」
「後ろ。」
「うわっ!!」
「お前旦那見てそんな驚くなよ。」
トオルが言うと、
「そりゃびっくりするよ。いきなり背後にこんな筋肉の塊がいたら。」
僕等は笑った。
携帯にメールがあったのは、その辺りだったと思う。
皆で楽しく笑っている時。
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ライブお疲れ様でした!!!
奏天からはるばる来た甲斐がありました★
って言っても隣の県ですけどね(笑)
アミちゃんが実はアキさんだったなんて…って、あたしには判ってましたよ♪(笑)
今から少し逢えませんか?少しでも話が出来たら嬉しいです。
ユウも一緒に来てます。
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メールはリナからだった。
先週、奏天でライブをした時に知り合った、同じ苗字の人。
ユウと言うのは、ライブの前に寄った喫茶店のウエイトレスで、
リナと知り合った切っ掛けは、ユウだった。
ユウとは携帯番号の交換はしなかったが、
交換したリナとは、たまにメールのやり取りをしていた。
隣の県からわざわざ来てくれたんだから、少し位逢ってみようかな?
思えば、そう考えたのが間違いの元だったのかも知れない。
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オーケー。じゃあちょっとだけ逢おうか。
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メグミとトオルは喜美に電話しに行った。
トオルの両親に預けているそうだ。
ユカはスタッフと話をしに行った。
僕は残ったタカシに言った。
「なんか、奏天の時に知り合ったファンの子が逢いたいって言ってるから、ちょっと逢って来るよ。」
「やるねぇ〜。」
「そんなんじゃないよ。ったく。『酔拳』だよね?ちょっと遅れる。直ぐに行くから。」
「わかった。まぁ、なるべく早く来いよ?」
「ああ。」
「香水の匂いに気を付けて〜。」
「バーカ。」
タカシは着替えを済ませ、楽屋を出て行った。
「じゃ、『酔拳』で。トオルに「リンダ」で待ってるって言っといて?」
「ん。」
トオルとメグミが楽屋に戻って来ると、
「あれ?タカシは?」
「もうリンダに乗ってるよ。」
「わかった。お前は?」」
「ちょっと遅れる。」
「ん。」
ユカが帰って来た。
「ありゃ。誰も居ない。」
「僕が居るだろ?」
「口説いてんの?」
「違いますー。」
「ガキの癖に。」
「同い年だろ。」
「そうだっけ?」
「ったく。」
僕はぬるくなった珈琲を一口飲んだ。
「タカシとトオルはもう車乗ってるよ?」
「え?」
「打ち上げ。行くんだろ?」
「あたしも?」
「行かないの?」
「行きたいけど、良いの?」
「そりゃむらっちゃんはスッゲェ良い仕事してくれたからね。」
「そりゃどーも。アンタは?」
「僕は少し遅れて行く。」
「さすがヒーロー。」
誰も居なくなった楽屋で着替えていると、メールが届いた。
@@
ありがとう★
何処に行けば良い?
@@
僕はホテルの名前をメールに乗せた。
僕は目を閉じて、今日のライブを思い出した。
『one or eight』の終わり頃から、『135』が始まるまでの、ほんの数分間…。
僕は…僕の指は、信じられない位速く動いた。
これが初めての経験なら、まぁ気の所為で済んでいるのかも知れない。
だが、練習中にも一度あったのだった。
急に、暴れ出す様に、指が流れる。
気紛れな…雨の様に…。
時雨…。
僕は時雨を見た。
父は、何を思ってこのベースを作ったのだろう…?
ブーン、ブーン…。
ヴーン、ヴーン…。
不快な音が、頭の中で鳴って居た。
それが携帯のバイブだと気付くまでに、暫く掛かった。
僕は勢い良く起き上がった。
寝てしまっていた!
時計を見る。
11時。
「うっわぁー・・・。」
携帯はまだ震えていた。
「もしもし。」
「あっ。良かった。アキさん大丈夫ですか?今忙しい?」
リナだ。
「あ、ごめん。寝てた。」
「あはは。寝てたのかよ〜。お疲れですもんね。どうします?」
「今何処に居るの?」
僕はジャケットを羽織り、楽屋を出た。
「今、ホテルです。アキさんもうチェックアウトされたみたいですね。」
「あ、そうなんだぁ。じゃあちょっとロビーで待っててよ。」
「いえ。外に綺麗な庭があったんで、そこで待ってます。」
「あぁ、そこか。わかった。」
タクシーを捕まえて、乗り込む。
「ホテルニューシャインズ・イン、ヒノワまで。」
「寒くない?」
「大丈夫ですよ?涼しいくらい。」
「そっか、それなら良かった。あっ。」
ピピピピピピピピ…。
不快な電子音が鼓膜をつんざく。
「どうしました?」
「ごめん。電池切れそう。そこで待ってて?直ぐ行くから。」
「はい、わかりました。あ、ユウは…。」
ツー、ツー、ツー…。
切れた。
「あーあ…。」
真っ直ぐ居酒屋行けば良かったかな…?
タカシ怒ってんだろうなぁ…。
アヤは…心配してるかな?
体育館から15分位でホテルに着いた。
ホテルの庭はライトに照らされて、鮮やかな緑が美しかった。
真ん中の広場は、結婚式で良く使われる様だ。
ざぁっ…と、木々が葉を揺らす音が響く。
広場中心に、リナが一人で立っていた。
「ごめん。待ったでしょ?」
リナは振り向く。
「あ、良かったぁ。大丈夫ですよ。来てくれただけで嬉しいです。」
「あれ?一人?」
「あ、ユウは門限あるから帰りました。」
「そっかぁ、悪い事したなぁ。」
煙草を咥え、火を点ける。
「あたしはラッキーでしたけどね。」
「何が?」
「アキさんと二人っきりで逢えるから。」
「あはは。またまた。今日は来てくれてありがとね。」
「いえ。アキさんの綺麗な姿も見れたし。大満足です。」
「あー。それは言わないでくれよ…。」
僕が苦笑いすると、リナは無邪気に笑った。
「最後の曲…。」
「あ、『IDENTITY』?」
「はい。あれ、凄かったです。AiR-styleのHIPHOPって初めて聞いた。」
「あぁ。確かにね。最近HIPHOPのバンドのライブにゲストで行ってさ、影響されて…。」
「へぇ〜。」
「水神って知ってる?」
「いや…知らない。」
「そっか。今度CDデビューするみたいだから、聴いてみてよ。凄いカッコ良いんだ。」
「へぇ…そうなんだ。楽しみ。」
吸い終えた煙草を携帯灰皿に押し込み、
「立ち話もなんだから、何処か移動する?」
「良いの?これから打ち上げとかあるんじゃないの?」
「うーん…まだやってるかなぁ?携帯電池切れちゃって連絡取れないんだよね。」
「あらぁ…場所はわかるの?」
「うん。まぁね。」
「なら、早く行った方が良いんじゃない?」
「まぁ、でも、せっかく奏天から来てくれたんだし、もう少しなら良いよ?」
「ほんと!?嬉しい!!」
「じゃ、どっか喫茶店でも行く?」
そう言いながら僕はまた煙草に火を点けた。
「うん。…あのね…?」
「何?」
「嘘…なの。」
「え?何が?」
「ユウが…帰ったって…。」
「え?居るの?」
「ううん…そうじゃなくて…元から来てないの…。」
「ライブに?」
「ここに…。ライブ終わって、ユウには帰ってもらったの…あたし、友達に逢うって嘘ついて…。」
「え…?何で?」
「だって…。」
一瞬だった。
急に、唇に温かい物を感じた。
首に腕を回されている事に気付いたのはその後。
僕は驚いて、目を見開いた。
直ぐ近く…数センチ先には、リナの、閉じた目があった。
まつ毛は涙で湿っていた。
タンッ…!!
足音が聞こえたのは、10メートルほど先。
一瞬誰だか判らなかった。
薄暗い、広場の入り口の方で立っている人影。
アヤ…!?
僕は焦った。
この状況をどう説明したら良い…!?
僕は目まぐるしく動く周りの変化に、我を忘れていた。
リナとキスしている事は、頭では解っていても、その感触は既に無かった。
僕の目には、アヤしか映って居なかった。
アヤ…。
何処からか聴こえる水音…アヤを見ると、アヤのGパンの色が濃く変化していた。
濃い部分は段々広がって行き、遂には股間から地面に落ちる水滴まで見えた。
え…?
正気を取り戻したのは、アヤの姿を完全に理解してからだった。
僕はリナの肩を掴み、身体から離した。
瞳を濡らして僕を見るリナ…。
僕はそんなリナの事など頭に無く、股間を濡らし、立ち尽くすアヤの名を呼んだ。
「アヤ…?」
呼んだ、と言うより…思わず漏れた様な声だった。
アヤは呆然と僕の目を見て居る。
リナは、僕の様子を見て、初めて第三者の存在に気付いた。
僕の目線の先を振り返り、アヤの姿を見て、驚いた様に口を塞いだ。
息を呑むリナの声が、耳に残った。
「アヤ…お前…。」
どうしたんだ?と、その後に続く言葉が出て来なかった。
アヤに、今のアヤにどんな声を掛けて良いのか、僕には解らなかった。
一瞬、アヤの目に火が燈った様に見えた。
そしてアヤは、下を…自分の股間か、もしくは地面を見て、
「え…?」
と、声を漏らした。
気付いて居なかったのか…?
自分が、失禁していた事に…。
すると、アヤは糸の切れた操り人形の様に、その場にへたり込んだ。
びちゃ。
と、濡れた水が弾く音がした。
アヤの顔がみるみる真っ赤になるのが解る。
慌てた様子で、必死で、自分の座り込んだ地面を見回す。
濡れた地面、Gパン…。
アヤは頭を抱える様に、こめかみ近くに手を当てていた。
慌てるアヤを見て、僕は可哀相だと思った。
そして、そう思った自分を激しく嫌悪した。
可哀相…?
可哀相だと思う感情は…僕は嫌いだ。
上からの視点で見る感情でしかない。
だが、確かに今、僕はアヤの事を可哀相だと思った。
少なくとも一瞬僕は、アヤを…軽蔑したに等しい。
僕はアヤに何を求めていたんだろう…?
アヤは…今何を思っているんだろう…?
アヤはぽろぽろと涙を零して、熱く濡れた目で僕を見た。
僕はその視線に耐えられなかった。
だが、目を逸らす事も出来なかった。
感極まった様に、アヤは息を吸い込み、
「いやああああああああああああああああっ!!!」
そう叫んで、振り返りながら立ち上がり、よろめきながら走って行った。
「アヤッ!!!」
手を伸ばしても…足が着いて来ない…。
僕はその場を動けなかった。
行ってどうする?アヤに何て言う?
キスを見られた僕が、失禁したアヤに何を言うんだ??
「アキ…。」
リナは心配そうに僕の顔を覗き込んだ。
僕は、リナに対しても何も言えなかった。
「アキ…あたし…アキの事が好き…。」
「今…そんな事言わないでくれ…。」
「あたしは、今しか言えない。」
「頼むよ…混乱してるんだ。」
「アキは悪くない。今の人が誰なのか、あたしには判らないけど、アキは絶対悪くない。」
その言葉に、少し救われる気がした。
「ありがとう。でも、ごめん。今日は帰ってくれ…。」
「わかった…返事だけ…聞かせてくれる?」
「今のは、僕の彼女だった人なんだ…僕は、アイツ以外は…。」
言葉に詰まる…。
涙が出そうになった。
「…何?」
リナが僕を急かす。
僕は、一度大きく息を吸い込んだ。
「僕は、アヤ以外の人の逢い仕方なんて、もう解らない。」
「そっか…。ごめんなさい。」
リナは俯いたまま、その場を駆けて行った。
さよならも言わず。
僕は一人広場に残された。
少しふらつきながら、ついさっきまでアヤが座り込んでいた部分の地面まで歩く。
地面はそこだけ濡れて、色が変わっていた。
黒く濡れたアスファルトはきらきら光っていて、綺麗だった。
その部分を指でなぞっても、濡れた感触は指には感じられなかった。
何故、直ぐにアヤの元に行ってやれなかったのか…。
アヤを抱きしめて、何でも良いから言葉を掛けてやれれば…。
何も言わなくて良いから、アヤの傍に居てやっていれば…。
僕は動けず、ただアヤを見る事しか出来なかった。
アヤから見れば、僕の目は蔑む様な目に、見えたかも知れない。
後悔は、涙になって頬を伝った。
「I'll see you again...」
泣きながら、馬鹿みたいにスローな『エース』を歌った。
どうする事も出来ず、僕はただ『酔拳』に向かった。