第五十二話

「前夜祭」

想像以上だった。
幾度と無くシュミレーションを繰り返し、このセットも、CGや模型では何度も見ていた。
しかし、今、実物が目の前に存在する。
息を呑む程の巨大なステージは最早、建造物と言っても良いだろう。
所々剥き出した鉄骨は、それだけでワイルドだ。
頂上に誇る、『FRESH SUMMER BERRY』のロゴは、そこにあるだけで涙が滲む。

一ヶ月と数週間…あまりに短く、あまりに足りない時間で、
あたし達は、ここまで形を作ったのだ。

文字通り、汗と涙の結晶が、今、ここにある。
そしてその上で、今、AiR-styleが演奏している。

Rain…。この曲で、何度涙した事か。

「すいませーん、マイク、もう少し低音入れてもらえます?」
あたしの隣でP.A.の秋元が複雑な機械を触る。
アキは確認して、手を上げてOKのサインを出す。
「ごめーん、もうちょっとスネアの音上げてー?」
トオルくん。
「ごめんねー、ディストーションちょっと軽くして?」
タカシくん。

一通り音を確認した後、もう一度Rainを演奏し始める。
アキのボーカルが入る。
音を調節するまでとは、まるで違う。

「もう少し、ベースの高音上げてくれる?」
あたしは秋元に耳打ちした。
「え?」
「良いから。」
秋元は首を傾げながら、また機会に手を掛けた。
ベースの高音を上げた事で、低音がグッと締まった。
重低音を重視する時に、低音ばかり上げていては、音がぼやけるだけだ。
高音を上げて初めて、低音の魅力が発揮される。
ベースの音に気付いたアキは、チラリとあたしを見た。


今、一瞬笑った…?
ねぇ…。


エスタのリハーサルが中断すると、秋元が苦笑いした。
「いやぁ、ここまで細かく、適切な注文貰ったの初めてですよ。」
「あいつ等は我が儘な訳じゃなくて、貪欲なのよ。ごめんなさいね。」
「いえ、良い勉強になりましたよ。」
「またまた、秋元さんベテランじゃないですか。」
あたしが茶化すと、
「やめて下さいよー。まだまだ勉強する事がいっぱいです。」
と笑った。

「遅れてごめーん。秋元、ちゃんとやってた?」
トシくんが送れて顔を出した。
「あ、トシくん久し振り。秋元さん頑張ってたよ?」
あたしが笑うと、
「ほんとかよ?」
と、秋元を横目で見た。
秋元は苦笑いする。
トシくんはマイクを持ち、
「わりぃ遅れたー。もっかい音出してくれるー?」
とエスタに言った。
「あんだよテメェ遅れて来たならもっときちんとお願いしろ!!」
タカシくんが言う。
「はいはい、どういたしまして!!」
「ったく。」
タカシくんはそう言いながら、ギターを鳴らした。

虹…。あまりに涙を誘う歌詞。あたしはイントロだけで目が潤んだ。

三人の楽器が揃うと、トシくんは次々と機材のレベルを変えて行ってしまった。
秋元が不安そうにそれを見守る。

「はーいオッケェ。野外にも慣れて来たよ。」
トシくんがそう言うと、エスタは演奏を止め、
「遅刻した分は減給だからな!!」
と、トオルくんが叫んだ。
はいはい、とトシくんは言って、秋元を見る。
「一人でやって見てどうだった?」
「いや、緊張しました。」
「だよなぁ。解るよ。でも、聞く人が居ないから、自分で結構考えたろ?」
「はい。」
「殆ど完璧だったよ。屋内ならな。ただ、野外となると音が全部逃げてくんだ。反響なんて殆ど存在しないからな。」
「はい。」
「俺も野外のイベントは今年が初めてだから苦労したよ。でも、驚いたのは、ベースの音は完璧だったぜ?」
「あ…。」
秋元はあたしを横目で見た。
「え?ベースの設定、アヤちゃんがやったの?」
あたしは急いで首を振った。
「ううん!!ちょっと『高音を上げて』って言っただけ。」
「うーわー…。」
トシくんは頭を抱えた。
「何?何?あたしいけなかった?」
不安になるよ。
「アヤちゃん、P.A.する気無い?」
トシくんはそう言って笑った。
「もぉ〜、びっくりさせないでよ〜。」
「まじまじ。アヤちゃん、耳良いでしょ?」
「あはは。楽器はまるで駄目だけどね。」
「でも、良いとこ突いてるよ。」
「ありがと。」


バンドリハーサルは全て終了し、後は照明や機材運びなどのリハーサルが行われた。


全てが終了すると、日輪町の居酒屋で、FSBの前夜祭が行われた。
TREE STAGEを借り切ってスタッフもバンドも皆集まって呑んだ。
BERRY RECORD『特別人事課』総勢13名、BERRY RECORDからのスタッフ20名。
AiR-style、shin、水神、FUNK ODD SMITH。
HEVENS SEVENは有名人ぶって、リハだけして直ぐに帰った。
AiR-styleのスタッフ、トシくん、秋元、ユカ、森さん。

「良いの?お店借り切っちゃって。」
ユミはコウくんに言った。
「良いの良いの。」
コウくんは笑う。
「あれ…?確か前にこのハコ、この日に予約入れたよね?」
あたしが言うと、
「そうだっ!!そしたら先約が入ってたんだよね!?」
とユミが言う。
「どう言う事?」
コウくんを睨むと、苦笑いして、
「いや、つまり、1ヶ月前からこの前夜祭は企画されてたって事で…なぁ、タカシ?」
タカシくんに目配せする。
「お前かぁぁ!!」
ユミはタカシくんを小突いた。
「まぁまぁ、どうせこうなるって思ったからさぁ。」
タカシくんは陽気に笑った。
「あのねぇ、あの時あたし等がどれだけ苦労したと思ってんの?」
あたしは頭を抱えた。

チラリと、横目でアキの姿を確認する。
アキはshinのイチルと談笑していた。
「声掛けて来なよ〜?」
ユミは言うが、
「ううん。良いの。」
あたしはしっかりと笑顔を見せた。
ユミは
「そう。」
と言って笑い掛けてくれた。

「アヤ姉アヤ姉!!これマジ美味いで!?」
あたしはまた頭を抱えた。
F.O.S.のコウジだ。
「アンタねぇ、『アヤ姉』って呼ぶのやめなさいよ。」
「いーじゃんアヤ姉。スゲェよ?何か色んな食いもんがあるで?魚はあんまし美味くないけど。」
「いなかもーん。」
目を細めて言うと、
「あっ!!それ言っちゃいけんわ!バレるじゃん!!」
とコウジ。
「あのね、もうバレバレだっつの。田舎で新鮮な魚介類食べてるから、都会の魚が受け付けないんだよねー?」
「うぅ…香桃の魚が恋しい…。」
あたし達は笑った。
F.O.S.のメンバーは、何故かあたしによくなついた。同郷だからだろうか?

あたしが笑っていると、shinのユウスケがあたしの肩を叩いた。
「アヤさん、俺達のリハ、どうだった?」
「ん?良かったよ?」
「そっか。何か緊張しちゃってさ。」
と言うユウスケに、
「おいおいユウスケ〜、今から緊張してどうするで!?」
とコウジが笑った。
「つーかお前は少しは緊張しろ。」
あたし達はまた笑い、
「大丈夫。あんた等のオリジナル、あたし凄い好きだよ?初めて聞いた時鳥肌立ったもん。」
あたしはユウスケに優しく言った。
「マジ?ありがと!!」
ユウスケは仔犬の様な笑顔を見せた。
「俺もリハで初めて聞いたけど、ちょっとびっくりしたよ。やるじゃねぇかshin。」
タカシくんの言葉にユウスケは飛び上がって喜んだ。

「アヤ〜〜〜〜…。」
あたしの肩に圧し掛かって来たのはマナ。
「ちょっ、マナ!?あんたまた酔ってんの!?」
あたしは背中のマナに言った。
「え〜?酔ってないよ〜?まだまだ、よゆー。」
「もー、ほら、水。ちょっと休憩しな?」
「はいはーい。任してくだせぇ。」

ったく。
「ったく。」

「アヤ姉アヤ姉!!」
F.O.S.のヒロユキの声で振り向く。
「今度は何!?」
「ほら、香桃名物ONAKA☆DANCE!!」
「何してんのよあんた!!ただの腹踊りじゃない!!」
ヒロユキは油性ペンでお腹に有名な『あのキャラ』の顔を書いていた。
「も〜みっともない!!レイちゃんに言うからね!!」
あたしが言うと、
「ごめんって!!頼むけそれだけはやめてや!!」

あたし達の周りは一斉に笑っていた。

「アヤ、あんたすっかりお姉さんだねぇ。」
頬を染めたユカが言った。
「も〜、ユカ姉助けてよ〜?」
「ちょっとあたしに押し付ける気!?あたしは関係無いよ!?」
「ケチ。」
「ケチって…。」
また笑う。

すると突然、重低音がホールを支配した。
何事かとステージに目をやると、コウくんがいつの間にかターンテーブルを回していた。

「何何?」
ユミが目を輝かせる。

コウくんはマイクを手に取り、
「オッケェ、今日は皆さん準備おつ様でしたぁ〜!!」
と叫んだ。みんな口々に「おつ様!!」と叫んだ。

「そんじゃ、まずはこの二人に登場してもらおうか!!夢のコラボレイション!!アキ!フロムAiR-style!!アンド、タツヤ!フロム水神!!」
あたし達は歓声をあげた。
二人が出て来る。
「どーもー!!明日のFSBはきっと伝説になるぜ!!それを祝して!!な?アキ!?」
タツヤくんが言う。
「はいどうも。僕もそう思うよ。」
アキは言う。
「もっと喋れ〜〜!!」
タカシくんとトオルくんが叫ぶ。
ホールに笑いが満ちる。
「んじゃぁ行こうか!!」
コウくんがそう言うと、曲調がガラリと変わった。

まずはタツヤくんがラップを乗せる。
みんな歓声を上げる。
誰の曲と言う訳じゃない。今、まさにこの瞬間に作られている、この場所だけのオリジナル。
タツヤくんは即興で韻を踏む。
タツヤくんは歌い切ると、両手を上げた。
あたし達は拍手と歓声を送る。
「アキ〜〜〜〜!!」
タツヤくんが叫ぶと、アキが歌い始める。
アキも即興のラップ。こんな事が出来るなんて…。
激しいライム。フロウ。楽しそうに飛び跳ねる二人。
アキが歌い切ると、あたし達の歓声を浴びたまま、今度は二人交互に歌い出した。

これ、本当にフリースタイルなの?

そう思わずにはいられない。
すると突然、舞台袖からイチルがベースを持って出て来た。
普段のshinのベースとは違う、跳ねる様にファンク。
それもその筈、shinは以前は完璧なコピーをしていたんだから。
色んなタイプのベースを弾けて当然だ。
「あっ!!イチルずりーぞ!?」
ヒロユキはステージによじ登り、舞台袖から『何故か』セットしてあったドラムを引っ張り出した。
下に台が付いているので、一人でも簡単みたいだ。
そしてイチルのベースに合わせて、ヒロユキがドラムを叩く。
するとコウくんは次第に音量を下げて行き、聴こえるのはベースとドラムだけになった。
いても立ってもいられなくなったのか、水神のショータがギターを持ち出した。
アキとタツヤくんは、見事に音に合わせ、流れる様に歌を歌った。

ショータがステージ中央に立つと、急に『SUGAR SONG』のイントロを弾き出した。
あたし達は大きな歓声を上げる。

しかし、何とF.O.S.のユキトが歌い出した。
いつの間にステージに…?
だがみんなはお構い無しに歓声を上げる。

感動の連続。
あたしのオムツは既に、その許容量を超えていた。
気付くと、太腿を温かい感触が一筋走った。

トイレに入ると、溜め息を突いてオムツを交換した。
情けない。
ついでに用を足し、もう一つついでにメイクを直して、ホールに戻った。
ホールは静まっていた。

「来ました!!我等がアヤ姉!!」
コウジが叫ぶ。

え?あたし?

会場の拍手に迎えられ、戸惑っていると、ユウスケが無理矢理あたしをステージに上げた。
「明日のFSBに向けて、最高責任者であるアヤさんに一言もらいましょう!」
ユウスケが言うと、みんなが歓声を上げた。
「ちょっと!最高責任者は山下くんでしょ!?」
言うと、山下くんは肩をすくめて笑った。
あの野郎…。
「はい。」
ユウスケにマイクを渡される。
「え?あ…えっと、1ヶ月って言う短い期間で、みんな本当によく頑張ってくれました…ありがとう。」
言うと、また歓声。
ここが…ステージ…。何て気持ち良いの?

「辛い事や、苦しい事もあったけど…」
続けようとすると、ユミが遮る。
「そんな真面目な話は良いの〜〜!!」
もう…。
「わかったわかった!!じゃあ一つだけ!!」
そう言うと、みんながまた歓声を上げたので、それが止むまで待った。
会場がしんと静まる。
みんなあたしの言葉を待っている。
あたしは嬉しくなった。息を吸い込む。


「あんた達。愛してるぜ?」


言うと、張ち切れんばかりの歓声が上がった。
言って、照れた。

「それじゃあ歌って頂きましょう!!アヤ姉が歌うのは、ご存知、AiR-styleで、『月夜』!!」
また歓声が上がった。
「ええええ!?」
あたしの戸惑いを無視して、タカシくんがギターを淡く響かせる。
後ろを振り向くと、ギターもドラムもベースも、いつの間にか正式メンバー…AiR-styleになっていた。
「ちょっ、ちょっと!!」
コウジもユウスケもステージを降りた。
ステージ上にいるのは、AiR-styleの三人と、あたしだけ。
淡いギターに、ドラムとベースが混ざり合い、蒼いバラードになった。

チラリとアキを見た。困惑して、不覚にもアキに助けを求めてしまった。
アキはマイクに口を近付ける。
「始まるよ?」

あたしは大きく息を吸い込み、そして吐いた。
音に集中する。覚悟を決めた。
人前で歌うなんて、カラオケ以外では初めて。ましてやステージでなんて…。

頭に浮かぶのは、月。脆く、儚い月。

あたしは寂しく蒼い曲に、ゆっくりと声を乗せた…。