第五十五話

「悔しい」

「ディスプレイはもういけるの!?」
「はい!!後はギターアンプとマイクアンプの復旧待ちです!!」
「とにかくディスプレイには水神のPV流して!!スペアは!?」
「あるにはあるんですけど…どうしてもクオリティが下がってしまいます。」
「えぇっ!?使えもしないスペアを置いてるの!?」
「すいません!!上からの指示で…まさか雨が降るとは思ってもいなかったんで…。」

やってくれる…。

「あいつ等まだ来てないの!?」
「今こっちに向かってるらしいんですけど…!!」

身勝手なアイドル!!

あたし達スタッフは、突然の大雨の対処に追われていた。
雨で機材が濡れて、故障が相次いだのだ。
予報で晴れると言っていたとは言え、あたし達は雨が降った場合も視野に入れて計画を立てて来た。
それが当然だし、それが仕事だ。
しかし、レコードの方はかなり甘い姿勢でこのイベントに参加している。
どうせ試験的なイベントではあるし、失敗した所で上には何の責任も無い。
全ての責任は、WaterLight Labelにあるのだ。
上は予算を渋る事しかしない。

あたしは舞台袖に走った。
「ごめんね!!水神いる!?」
息を切らせて叫んだ。
「ういー。大丈夫大丈夫。」
タツヤがVサインした。
「今大急ぎで復旧作業してるから、もう少し待ってくれる?」
「はーい。」
インカムにトシくんの声が届く。
「アヤちゃん?機材の準備出来たから!!」
あたしは急いで耳に手を当てた。
「マジで!?サンキュー!!春本くん!!聞こえてる!?」
あたしはスタッフの一人を呼び出す。
「はい。聞こえてます。」
「準備出来た!!直ぐに水神が出る準備して!!」

ディスプレイに『水神』のロゴが点滅する。
観客が歓声で反応する。

ケータがターンテーブルを回す。
低音の聞いたビートがゆったりと流れ出す。
「お待ったせしましたぁ〜〜!!」
タツヤが叫ぶ。

雨で中断した時間は約15分。
その時間を取り戻すかの様に飛び上がる観客達。
しかしそれを鎮火させるかの様に降りしきる雨。
また激しくなった…。

「機材はもう大丈夫なんでしょうね!?」
あたしはインカムに向かって言った。
「大丈夫。完全防備しといたから。」
ユミの声が帰って来る。
「オーケー。」
あたしが言うと、
「アヤ、シズカ、マナ、山下さん、スタッフルームに来てもらえる?」
ユミは静かに言った。
「どうしたの?」
「とにかく。」
ユミはそれだけ。

あたしは少し不安になり、小走りでスタッフルームに向かった。
「HEVENS SEVENの皆さん入りまーす。」
あたしは入り口で立ち止まった。
今頃来やがって。
「あ、どーも。」
マネージャーの磯野だ。
「あ、どうも。お忙しいみたいですね。」
あたしが皮肉ると、
「いやぁ、何とか出番に間に合って良かったです。」
磯野は皮肉にも気付かない。HEVENS SEVENの5人は、あたしに挨拶するどころか、見もしない。
「言え、トリですからまだ大丈夫ですよ?」
苛立ちを奥歯で噛み締める。
「あれ…?聞いてないんですか?」
「は?」
「あれ?そちらの総括係長さんには先程お話したんですけど…。」
「何をですか?」
「言え、ウチの順番を、AiR-styleさんと変えて欲しいと…。」

はぁっ!?

「あぁ…その事ですか…今こちらで検討しているので…少々お待ち頂けますか?」
あたしの股間に生暖かい物が走った。
原因は苛立ち。

あたしは急いでスタッフルームに走った。
乱暴にドアを開けると、既にみんな揃っていた。
「あ、アヤ。」
「ちょっとどう言う事!?」
あたしが言うと、
「え…?」
ユミの動作が止まる。
「あんたの話もあいつ等の事でしょ!?」
「もう聞いたの!?」
「さっき其処でたまたま逢ってね。あいつ等今頃来たんだよ!?」
「やっと来たのか…。」
山下くんが息をつく。
「その上エスタと順番変われって!?」
マナ。
「どうするの!?幾ら何でもゲストをトリにする訳には行かないでしょう!?」
シズカ。
「僕の所にも電話が来たよ。僕等がどう足掻いても向こうは権力に物を言わせて来たからなぁ…。」
山下くんの言葉に、
「どう言う事?」
あたしが尋ねる。
「向こうはこの後音楽番組の撮影があるらしいんだ。トリでやってたらそれに間に合わない。『出るだけでもありがたいと思って欲しい』ってさ。」
「何を勝手な事を…!!」
マナ。
「ユミ!!あんたはその連絡いつ受けたの!?」
「本番始まる前に一回『かも知れない』って感じで連絡あって、それは山下さんに伝えた。次の電話はついさっき。皆を呼ぶ直前だよ。」
あたしは頭を抱えた。
直前に無理な注文をして…それでまかり通ると思ってんの!?

「山下くん!!どうせ逆らえないんでしょう!?」
山下くんは顎に手を置いた。
「恐らくそうだな。ここで逆らうと、今後に響く。きっとAiR-styleに対する嫌がらせだろうな。」
あたしは舌打ちした。
「皆はそれぞれ準備して!!大急ぎで!!水神が終わるまであと30分も無い!!全員に伝達して!!あたしはエスタに伝えて来る!!」
「わかった!!」

あたし達はスタッフルームを飛び出した。
ステージを覗く。水神の激しいライムが、あたしを急かす。

ちくしょう!!ちくしょう!!


舞台袖に着き、膝に手をつく。
「どしたのアヤちゃん?そんなに慌てて。」
タカシくんが首を傾げる。

「タカシくん!!トオルくん!!アキ!!」
三人の顔を見回す。
「ごめんなさい!!!」
あたしは勢い良く頭を下げた。
「ど、どうしたの!?」
タカシくんがあたしに駆け寄る。
あたしは顔を上げた。
三人はその顔を見て絶句する。
あたしの目には、涙が溢れていた。

悔しい、悔しい、悔しい…!!

「アヤ、どうした?」
アキが言う。
「みんな…ごめんね?HEVENS SEVENと順番を変わって欲しいの…。」
「え?じゃあ俺等がトリになるの?」
トオルくん。
「ごめんね?ごめんねぇ…。」

AiR-styleの順番は水神の次だった。
AiR-styleも心の準備をしていただろう。
しかし、急に順番を変えられて、そのテンションは一気に下がる。
拍子抜け、と言う奴だ。
そして、その後の本番でモチベーションが上がるかと言えば、それは難しいだろう。

「何だよそんな事かぁ。」
タカシくんが笑う。
「そんなに心配するなって。」
アキ。
「寧ろトリになったからラッキーだよな?」
トオルくん。

あたしに、気を遣ってくれたのだ。
タカシくんは暫くあたしの肩に手を置いてくれた。

「ありがとう、ありがとう…ほんとにごめんね…?」

寄りによって、BERRY内部に邪魔された!!
AiR-styleに…アキに迷惑を掛けた…!!
ちくしょう!!

「ごめんなさーい。道空けてもらえるー?」
何の悪気も無しに、大きな態度でHEVENS SEVENがあたしの後ろを通る。
あたしはやつ等の背中を睨んだ。

悔しい!!悔しい!!悔しい!!

ステージを終え、水神が舞台袖に戻って来る。
ただならぬ雰囲気に、水神の三人は戸惑う。

「ちょっと早く準備してもらえるー?」
HEVENS SEVENの1人が言う。
あたしはそいつを一瞥すると、インカムに向かって言った。
「準備は出来てる?」
「はい!!いつでもいけます!!機材も全部好調です!!」
良い返事が返って来た。
しかしあたしはわざとらしく大きな声で、
「え?調子が悪い?」
と返した。
舞台袖の全員があたしを見る。
インカムを耳に付けているスタッフは、首を傾げる。
「え?好調ですよ!?」
戸惑いの返事が返って来る。
あたしは笑った。
「そう、調子悪いの。あぁ別に大丈夫よ?適当な音響で。うん。多少クオリティが下がった所で関係無いから。それよりヘブンズセブン?だっけ?よくわかんないけどその人達がさっさとしてくれって言ってるからさ、適当なサウンドで良いから、適当に仕事してくれる?」

HEVENS SEVENのメンバーがあたしを睨む。
「ちょっとどう言う事ですか!?機材は大丈夫なんですか!?適当ってあんた…!!」
マネージャーが叫ぶ。
あたしはそれを無視して、
「オーケー。始めて?」
と言う。

ステージにHEVENS SEVENのロゴが点滅する。
名前がコールされる。
観客は今までの倍以上の歓声を上げた。
チッ…。
あたしは舌打ちした。

気に入らない。
チケットだって、どう言う訳かHEVENS SEVENのファンが多く購入している。
出演を発表したのは2週間前なのに…AiR-styleと同様に、既に口コミで広まったていたらしい。
気に入らない。

彼等は舞台に立つと急に爽やかな笑顔になった。
そう言う意味では、本当にプロだ。

ささやかな仕返しをしたあたしは、黙ってスタッフルームに戻った。