第五十八話
「チーム」
ハイスピンレコードに来るのは久し振りだった。
雑居ビルの4階に、事務所がある。
エレベーターの前でタカシに会った。
「おう。」
「トオルは?」
「もう着いてるみたいだ。」
エレベーターは僕等だけ乗せて、4階まで止まる事無く上がって行った。
「よう。こっち来てよ。」
「森さん。話って?」
「まぁまぁ。焦るなよ。」
僕等は森さんからの電話で呼ばれたのだった。
ミーティングルームに通されると、トオルも座っていた。
「よう。」
「俺達集めて何の話だろうな?」
「別に怒られる事して無いよな?」
僕等は『呼び出し』と言うものが苦手だった。
悪い事は何一つしていないつもりだが、やましい事は沢山あるのだ。
何せ好きにやって来たのだから。
森さんは人数分の珈琲を煎れてくれた。
「話って?」
タカシは少し引き気味に尋ねた。
「あぁ、お前等の『IDENTITY』のレコーディングの日にちが決まったよ。」
森さんの言葉に、僕等は胸を撫で下ろした。
「へぇ、いつなの?」
トオルが聞くと、
「今月の半ばかな?」
森さんは答えた。
「結構早いね。」
「あぁ、シングルで出すらしい。」
「シングルなんだ。」
森さんは頷く。
「だから、『IDENTITY』の他に、もう2曲作って欲しい。」
「今月の半ばでしょ?2週間で?」
「まぁ今月いっぱいまでには頼むわ。」
森さんの苦笑いに、タカシが答える。
「ま、森さんやハイスピンにはお世話になってるからね。」
「サンキュー。だけど次にCDを出すレーベルは内じゃないんだよ。」
「えっ?」
「まさか…。」
僕等の戸惑いに、森さんは満足げに答えた。
「そう。Fine Musicだよ。」
「ファイン!?」
「ファインなの!?」
僕等はまた驚いた。
「え…?ああ、そうだけど、何を想像してたんだ?」
「ああ、いや…。」
一瞬だが、僕等の頭には、WaterLight Labelがよぎったのだった。
「でも、Fineって事は…。」
僕は呟く。森さんは僕の代わりに言葉を続けた。
「そう、メジャーデビューだ。」
「マジかよ…。」
タカシが頭を抱えた。
「スゲェ。」
トオル。
「何か実感湧かないね。」
僕は苦笑い。
「さぁ、この後は空いてるんだろ?呑みに行こう!お祝いって事で!!」
森さんは笑った。
「勿論森さんの奢りだよね?」
「え…?」
「乾杯!!」
居酒屋には6人。
僕、タカシ、トオル、トシくん、ユカ、森さん。
「悪いなぁ、皆仕事で来れなくて。」
森さんはそう言ったが、僕等は少人数の方が良かった。
「しかしお前等も遂にメジャーかぁ。」
森さんはビールを飲み干した。
「森さんペース速いって。」
僕が言う。
「あたしはともかく、トシくんはどうなんの?」
「大丈夫。トシもむらっちゃんも、みんな一緒に『チームAiR-style』としてメジャー入りだ。」
森さんは親指を立てた。
「マジで?あたし店あるのに。」
「大丈夫だよ。『チームAiR-style』になって、専属のスタッフが増えるらしいから。」
「へぇ〜。」
ユカは頬杖を突いてカクテルで唇を濡らした。
「ま、あんまり人数だけ増えても面倒だけどな。」
トシくんは苦笑いで焼酎を一口飲む。
「まぁ良いんじゃねぇ?やってりゃ何とかなるっしょ。」
「タカシの性格がたまに羨ましくなるよ。」
トオルが苦笑いした。
「でもトオルも、収入が増えて嬉しいんじゃない?」
「まぁなぁ。俺には家族もいるしなぁ。」
「うわ。現実的。」
タカシ。
「うるせー。」
「あんたはどうなの?アキ。」
「んー、僕は何だって良いよ。今の生活に困ってる訳じゃないし。ただ好きに音楽がやってられるだけで、僕等は贅沢だと思うからね。」
僕が言うと、ユカが睨む。
「あんたねー、年寄りじゃないんだからさ、そんな真理じゃなくてさ、もっと他に無いの?ワクワクしてるとか何とか。」
「んー、しいて言えば露出が激しくならなきゃ良いかなって。」
「露出?」
「TVや雑誌だね?」
森さんが口を挟む。
僕は頷いた。
「あー、あんた等三人ともカメラ嫌いだもんね〜?」
「俺達は歌手であって芸能人じゃねぇんだよ。」
「はいはい。」
「その辺は大丈夫だよ。Fineの方にも伝えといたからね。」
僕等は進んでメディアに露出する事はしていない。
TVも雑誌も、最低限度でしか顔を出していなかった。
売りたいのは僕等の顔じゃなくて、音楽なんだから。
ユカと目が合った。
アルコールの所為で、頬が少し赤みを帯びている。
ユカは潤んだ目で、一度だけにこりと笑った。
それから僕等は遅くまで呑み続けた。
皆で笑い合っていた。
新たな世界への旅立ちを祝って。
新たな世界のどんな所なのか、微塵も解っていないのに。
「これで契約は切れた。私の言う通りにしていれば、こんな事にはならなかったのに…。」
片桐は僕等を鼻で笑った。
「明日のライブで僕等は、解散する。」
街のネオンを見下ろす部屋は、いつ来ても居心地が悪い。
遥か下に、様々な色で瞬くネオンサインを僕は哀れんだ。
「AiR-styleにもう商品価値は無い。好きにしたらいい。」
「ああ。」
僕は片桐に背を向けた。
6月の雨は、一年で一番冷たいと、僕は思った。
「ありがとな。お前等と一緒で、今まで本当に楽しかった。」
雨雲に隠れた朝日は、誰の背も照らしてくれない。
僕等は傘も差さずに濡れるだけだった。
「俺もだ。これからどんな事があっても、お前等を忘れない。AiR-styleは最高だった。」
トオルには家族がいる。僕は涙を隠さなかった。
「本当に残るのか?」
タカシは言った。
「ああ、僕はもう少しこの街にいるよ。来月には、僕も日輪町に帰る。」
「そっか。」
AiR-styleは、それぞれ別の道を歩き出したんだ。