第五十九話

「Fine」

その日僕等は、Fine Musicのオフィスに招待された。
挨拶と契約内容の説明の為だ。

「初めまして。」
同年代の男性が迎えてくれた。
「取り敢えずこちらへどうぞ。」
と、僕等は小さな部屋に通された。
「小さな部署で使う会議室の様なもんです。僕はたまにサボる時にも使いますけどね。」
と笑った顔は、少年の様だった。
「申し送れました。僕はFine Musicマネージメント事業部の高橋と言います。」
高橋と相互に会釈する。
「あ、どうぞ座ってください。」
と促され、僕等はスチールの椅子に座った。
「珈琲と紅茶と煎茶、どれが良いです?」
「あ、気にしないで下さい。」
僕が言うと、
「いえ。遠慮なさらずに。」
「それより、話を聞きたいんですけど。」
タカシ。
「座って下さい。」
高橋に促す。
高橋は落ち着いた笑みを見せ、
「礼儀正しい人達で安心しました。僕は、あなた達がメジャーデビューしてからのマネージャーを勤めさせて頂く事になりました。宜しくお願いします。」
「宜しくお願いします。」
再度の会釈。
高橋は、ふう、と息をついて、
「何か堅苦しいのは疲れますよね。」
と笑った。
「これからお世話になるんだから、タメ口にしますか。」
トオル。
「だね。」
僕も笑った。
「じゃ、遠慮無く。えっと、後からFine Musicの専務とスカウト部の部長さんが来て挨拶があって、その後はエンジニアやスタッフ達とレコーディングについて話す事になってる。その時は『チームAiR-style』の全員を呼んであるから、橘くんや村田さんも来るよ。」
トシとユカも来るのか。そう思いながら、
「契約についてはその専務の人と話すの?」
と聞く。高橋は頷いた。
「専務達が来たら、僕はまたビジネス口調に戻るから。」
僕等は笑い、自己紹介し合った。

10分後、部屋のドアが開いた。
「おはようございます。」
高橋は立ち上がり、二人の上司に礼をした。
「ようこそ、Fine Musicへ。」
グレーのスーツの男は高橋を無視し、僕等に向かって両手を広げた。
僕等も椅子から立ち、会釈した。
「あぁ、座ってくれ。私は専務の片桐と言います。現場の責任者みたいな者だと思ってくれ。」
そう言いながら、僕等三人に順番に握手した。
「私はスカウト部部長の石田です。」
白髪混じりの石田は、同じ様に僕等に握手を求めた。
「君達は大きな実力と可能性を持っている。私達はそれを最大限に引き出して、世に広めるのが仕事だ。君達はインディーズで少し売れた位で有頂天になる連中とは違う。もっと高いレベルで勝負が出来るんだ。」
片桐は敵意を微塵も見せない笑顔で言った。
「はぁ…。」
僕等はただただ圧倒されるだけだった。
「この業界は厳しい。過酷なサバイバルと言っても良い。人気が無ければ、落ちて行くしかない。使えなければ切り捨てられる。酷い事を言う様だがね。しかし大丈夫。君達は選ばれた人間だ。私はそんな心配は不必要だと思っているよ。」
僕は苦笑いしか出来なかった。
片桐は、僕等が今まで相対した事の無いオーラで満ちていた。
僕等が緊張していると、片桐は手を打った。

ぱんっ!

驚きはしなかったが、意味が解らず戸惑った。
「さ、真面目な挨拶はこんな感じで良いだろ?いやぁ、一応まともな事言わないとさ、やっぱり専務だし?立場上仕方ないんだけど、疲れるんだよね。」
と笑った。
僕等も、吹き出す様に笑った。それを見た片桐は、
「お、良いねぇ、緊張が解けたかな?」
と、また笑った。
「この後は私の奢りで一緒に寿司屋とステーキ屋と焼肉屋としゃぶしゃぶ屋をハシゴしたい所なんだけどさ、忙しくてね、今日はこれで失礼するよ。」
片桐は言う。
「本当に思ってたんすかぁ?」
タカシが笑う。
「勿論だよ。私が忙しいだけさ。」
片桐は真面目な顔で言った。
「じゃ、忙しくない時にお願いしますね?」
僕が言うと、
「あー、私は忙しいからなぁ…。」
片桐は悩む振りをした後、笑った。僕等も一緒に笑った。
「じゃ、また。」

片桐が出て行くと、石田が契約について話した。
「AiR-styleとの契約は、CD毎の契約になります。これはFineでは今回から試験的に始めた契約で、締結するのはあなた方が初めてです。」
「普通の契約とどう違うんですか?」
僕が聞くと、石田は一度眼鏡を触った。
「大抵は、期間契約が普通です。今回のCD契約と言うのは、1年、2年と言う契約ではなく、シングル何枚、アルバム何枚をリリースするまでが契約となります。あなた方の場合は、シングル2枚、アルバム1枚です。」
「それって、CD3枚出したら契約は切れるって事ですか?」
タカシの問いに、石田は首を振った。
「その通りではありますが、例えばシングルを1枚出して、その後アルバムを出したとします、後シングルを1枚出せば契約は終了ですが、アルバムを出した時点で、契約を更新する予定です。試験的な契約ですからね。こちらとしても手探りなんです。」
「僕等の実力次第って言う訳ですね?」
石田は頷いた。
「互いに有利になると見込んでいます。アーティスト側も、目標が立て易いですし、万一契約を打ち切りたい時にも、時期を待つ必要が無い。レーベル側としては、CDリリースのタイミングを自由に設定出来ますし、万一人気が落ちてくれば、プレス数を抑えたりと応用が利きます。インディーでそこそこ売れた人間と年単位で契約するのは危険ですからね。試しにCD何枚かって言う方法が取れる訳です。」
そう吐き捨てた後、「まぁあなた方は心配ないですが」と付け足した。

その後、契約書等の書類に目を通し、サイン等手続きを済ませると、石田は部屋を後にした。
「疲れた?」
ずっと後ろで見守っていた高橋が笑った。
「疲れたぁ〜…。」
僕等は机にうな垂れた。
「飲み物持って来るよ。何が良い?」
僕とトオルは珈琲。タカシは紅茶にした。

飲み物を持って来てくれた高橋は、
「あ、見てくれよ、僕の名刺が今出来たみたいなんだ。」
と、テーブルの上に3枚の名刺を滑らせた。

株式会社Fineグループ
Fine Music/マネージメント事業部
AiR-styleマネージャー
高橋 真志

「すげー肩書きだな。」
タカシが言った。
「俺等にマネージャーがねぇ…。」
「何て読むの?シンジさん?」
僕が訪ねると、高橋は首を振って、
「マサシだよ。」
と言った。
「マーシーだ!!」
「マーシー!!」
「マーシーーーーぃっ!!」
僕等は口々に高橋の勝手なあだ名を叫んだ。
高橋は苦笑いで、
「何かヤダなぁ。マーシーなんて呼ばれた事無いし。」
と言った。
「いいや!!マーシーで決定!!マサシと言う名に生まれた者は、皆マーシーと呼ばれる運命にあるのだ!!」
タカシは政治家の様に拳を突き上げた。
マーシーは、
「もう、マーシーで良いよ。」
と言った。

珈琲を飲み終わった位に、また部屋のドアが開いた。
「ども。」
入って来たのはラフなジャケットを羽織った男だった。
「あ、彼はエンジニアの須藤さん。そろそろ『チームAiR-style』も来る筈だから。」
マーシーが言った。
「はーい。」
やる気の無い返事を返すと、
「大丈夫。こっからはラフにしてて大丈夫だから。」
と笑った。助かった。
部屋に、次々と人間が入って来た。
「おいおい、まだ居るのかよ。」
タカシは苦笑いした。
総勢10名。それにトシくんとユカ。
僕等の前に「チーム」が並んで居る。
ユカは僕に小さく手を振った。
僕は苦笑いで返す。

自己紹介、レコーディングについて、今後のコンセプトについて…
結局僕等は3時間近くをこの小さな会議室で過ごした。