第六十一話
「アイデンティティ」
…………………………。
無言。
僕等三人は無言のまま、流れる音楽に耳を傾けていた。
11月に入ったばかりだった。
『IDENTITY』
僕はタバコを咥えたまま、ジッポライターを開けたり閉じたり。
トオルは天井を見上げたまま。
タカシは逆に、床を見つめたまま。
『静言思想』
コンポのデジタル表示を見ていた。
一秒一秒。
全世界共通のテンポで、数字が変わって行く。
『カルニバル』
タバコの先端に火を点けた。
音楽が流れているのに、ジッポを閉めた時の音が、部屋に響いた。
三曲全て流れ終わって、部屋には沈黙が訪れた。
それでも、僕等は誰も口を開こうとしなかった。
最初に静寂を破ったのは、タカシの溜め息だった。
それが合図の様に、僕等は話し始めた。
「何だよこれ。」
タカシは両手を広げて言った。
「このドラム叩いてるのって、俺?」
トオル。
「何か打ち込みのドラムみたいだよね。」
僕が言うと、タカシもトオルも頷いた。
「ギターにも変なエフェクトが使ってあるし、何故かシンセが入ってる。」
シンセサイザーの音が、やけに印象的だった。
決して、悪い曲になった訳ではない。
寧ろ、綺麗な曲に仕上がっている。
綺麗過ぎる程に。
「2曲目なんて、綺麗に纏め過ぎてちょっと気味が悪いな。」
僕は苦笑いした。
「何か、勝手に音を切り貼りして、合成して、それでポンと渡されてもな。」
トオル。
「何か俺たちの曲じゃないみたいだな。」
タカシは苛々していた。
「よりによって『IDENTITY』だぜ?俺達のアイデンティティは何処に行ったんだよ。」
舌打ちして、携帯電話をプッシュするタカシ。
「誰に?」
僕が尋ねると、
「片桐。」
汚い言葉でも言うかの様に、タカシは顔をしかめた。
「それじゃあ本番、5秒前、3,2…」
誰かが秒読みするのを、ぼんやりと見ていた。
「えー、初登場、AiR-styleの皆さんです。」
片桐の返事はいつも変わらない。
プロ、メジャーアーティスト、仕事、契約、サポート、責任。
これらの単語は聞き飽きた。
結局、メジャーってのは、僕等には住みにくい場所なのかも知れない。
「ベースのアキさんは脱サラしてバンド活動を始めたそうですが、元はBERRYに務めていらっしゃったそうで。」
MCのタレントは昔からよくテレビで見ていた。
「はい。」
「きっかけはどうして?」
「ずっと親に反対されてたんですよ。でもやっぱり音楽をやりたくて…」
他愛の無いトークが1時間続いた。
でも、実際に放送するのは20分位な物らしい。
無駄な40分を返して欲しいなぁ。
トークが終わって、『IDENTITY』を録った。
コンセプトは『インディーズのライブ』らしい。
客は盛り上がる『演技』をして、僕等も同じ様に飛んだり跳ねたりしなくちゃならない。
2回歌って、OKが出た。
それでも、僕等は納得出来なかった。
タカシが僕に近寄って、
「なあ、客の盛り上がりって、こんなもんじゃねぇよな?」
と言った。
僕は黙って頷いて、マイクに向かって言った。
「スイマセン、もう一回お願いしてもいいですか?」
「おいおい。」
タカシ。
「ちょっと待って下さい。」
スタッフの一人が、偉い人に確認を取りに走った。
少しして、時間に余裕があるので、OKをもらった。
「2曲、やって良いですか?1曲目は録らなくて良いんで。」
「はい、解りました。」
タカシに近付く。
「なあ、1曲でこの全員を盛り上がらせる曲って言ったら、何だろうね?」
すると、トオルがドラムを叩いた。
『エース』のイントロ。
僕とタカシはトオルを振り向く。
トオルはにやりと笑った。
この曲で、観客も、僕等も、テンションを上げよう。
ベースを乗せた。
ギターも。
「エィィィィィス!!!」
叫ぶ。
スタジオを駆け抜ける様に歌い放った。
ジャンプ。
最初から決まっていた動作じゃなく、僕の心からのムーヴ。
観客達も、次第に激しく乗って来た。
「アイデンティティ!!!」
僕の叫び声は、何処まで届くんだろう。
僕等の音楽は、何処まで届くんだろう。
結局、この日の3回目の『IDENTITY』は、テレビで放映されなかった。