第六十三話

「一緒に」

「おっ。田中ぁ〜、元気だったかぁ?」
ユカが田中を突く。
「この部屋、何回か来た事はあるけど、一人で来るのは初めてだな。」
「そうだっけ?」
僕は過去を思い返す。
ユカがこの部屋に居る記憶には、タカシやトオルが必ず重なる。
「あ。」
ユカが窓に近寄る。
「雪。」
窓の外を見ると、綿毛の様な雪が空からゆっくりと舞い降りていた。
「ほんとだ。」
僕は雪の降る、冷たいビルの群れを眺めた。
無数の明かりと、ネオンサインに照らされた雪は怪しく輝く。
窓の向こう側、乾燥した空気は酷く澄んで見えて、
見たくも無い現実まで見えてしまいそうだ。

「何か、飲む?」
聞くと、
「珈琲。」
ユカは遠慮無しに言った。
僕はお湯を沸かし始める。
ユカは勢い良くカーテンを閉めると、
「元気無いじゃん。」
と笑った。
僕は唇だけで笑顔を作ると、珈琲カップをテーブルに置いた。
「やっぱり、これがメジャーでやって行くって事なのかな…?」
早速始まった2枚目のシングルのレコーディングを思い返す。
「どうだろうね。メジャーになっても好きにやってる人達も勿論居ると思うよ?」
「僕等は、何で好きにやらせてもらえないんだろう…。」
僕は珈琲メイカーにお湯を注いだ。
香ばしい薫りが台所を包む。
リビングからユカが言う。
「ま、あんた等はまだまだ経験も実績も無いからね。仕方ないんじゃないかな?」
「先月出た『IDENTITY』、どう思った?」
「クソだね。」
ユカは一蹴した。
「あれはAiR-styleの汚点と言っても良いCDだよ。」
ユカがあまりにもバッサリ斬ってくれたので、ちょっとだけ清々しい気分。
僕は苦笑いした。
「まぁ、あたしは専門じゃないから良く解らないけど、よくよく聞けばきちんと作られてて構成もしっかりしてると思う。けど、あんた等の持つパワーが押さえ込まれて小奇麗に纏められてるって感じがする。」
「同感だ。」
僕は出来上がった珈琲をカップに注ぎ、リビングに運んだ。
「ありがと。」
目の前に置かれたカップを手に取ると、ユカは笑った。
互いに珈琲を一口飲んで、息をついた。
冷えた身体が内側から暖まる。
「あたしも結構大変なんだよ?」
ユカはベッドにもたれ掛かって溜め息をついた。
「どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ。あんた等の髪。一応チームAiR-styleのヘアスタイリングを統括してるのはあたしだからさ。レーベル側が言って来るんだよ。」
「染めろって?」
「そ。大体アキが茶髪にしたって似合う訳が無いじゃん。」
「そうなの?」
「そうだよ。それどころか赤にしろだの青にしろだの。全盛期のパンクじゃねぇっての。」
僕は笑った。
「アンタいつか赤チェックの超タイトなパンツ穿かされるんじゃない?」
ユカは真顔で言った。
「革ジャンとか?」
「そうそう。」
僕等は笑った。
「…僕はTシャツとハーフパンツで十分なんだけどね。」
「ジャケット羽織ってるアキも中々新鮮だったよ?」
「ま、昔はスーツ着て仕事してたしね。」
「見てみたかったなぁ〜。」
僕はベッドに横になり、煙草をふかした。
「あんたね、女の子が来てるんだから煙草くらい我慢しなさいよ。」
「僕ん家だよ?」
ユカは溜め息。
「あんた、そう言う所は頑固だよね。自分勝手と言うか…。」
「いや、つーかむらっちゃんも吸うじゃん。」
「ま、そうだけどさ。」
ユカは僕のホープを一本取り、火を点けた。

ベッドにもたれ掛かるユカと、ベッドに寝転ぶ僕。
互いの顔を見ずに会話は進んだ。

「衣装ってさ、誰が決めてんの?」
「一応あたし達だけど、レーベルが持って来た衣装の中から選ぶ感じ。」
「成程。」
「ま、その中から成るべくあんた等に合う服を選んで、レーベルのOKが出たら決定。」
「大変だねぇ…。」
「レコーディングはどうなの?」
「どうなんだろうねぇ。何か、須藤さんが全部決めちゃってるなぁ。『こうしたい』『ああしたい』って言っても、『俺はそんなの好きじゃない。』って。」
「えー?曲作るのも、CD出すのもあんた等なのに?」
「うん。結局途中で一切聴かせて貰えないまま、いつの間にか完成して、『はい。』って渡されるだけ。」
「なんか、AiR-styleが作ってるって感じじゃないね。」
「うん。『IDENTITY』が何であんなに売れたのか解んないよ。」
「そうだよね。あれかなり売れたんだもんね。」
『IDENTITY』は70万枚のセールスを記録した。
腕時計のCMのタイアップ曲となったのも要因の一つだ。
「結果だけ見れば、『IDENTITY』はあれで良かったのかも知れないね。」
「僕は認めないよ。『売れる』音楽に興味は無い。ただ、『良い』音楽を作りたいだけなのに。」
煙草を消した。
「まぁ、今日はゆっくりしなよ?って、あたしが居たらゆっくり出来ないか。」
「いや…」
「ん?」
「むらっちゃんが居ると、落ち着く。」
「え?ちょっ、照れるって。」
ユカは笑った。
「照れんなよっ。女みたいじゃん。」
僕が笑うと、みぞおちを殴られた。
「ぐっ!!」
「何?」
「いえ、何でも無いです…。」
僕は腹を抑えて苦笑いした。
「ったく。」
ユカは身体を反転させ、ベッドに両手を突いてその上に顔を置いた。
「でもね、むらっちゃんと居ると落ち着くってのは、本当だよ?」
「ありがとう。嬉しい。」
「タカシもトオルもピリピリしてるしさ、マーシーも僕等と上との板挟みで疲れてる。」
「うん。」
「そりゃあむらっちゃんも大変だと思うけど、むらっちゃんと居ると僕は休まるんだよね。迷惑かも知れないけどさ。」
「迷惑な訳無いだろ?あたしと居てアキが休まるなら、あたしは凄く嬉しいよ。」
「じゃあさ、むらっちゃん…」
仰向けに寝ていた僕は身体ごとユカの方に向けた。
「ん…?」
顔が近い。
ユカは、全てを許してくれる様な、そんな優しい笑顔をしてくれた。
僕はユカに気付かれない様にそっと息を吸い込み、真っ直ぐ、ユカの目を見て言った。

「ずっと、僕と一緒に居てくれる?」

ユカは、目を細めた。
唇は緩やかに持ち上がり、優しい笑顔は、更に深みを増した。

ユカの唇がそっと動く。
その動きはとても綺麗で、僕は見とれていた。

「アキ…」