第六十四話
「愛と幸せ」
あたしは呆然と、空に浮かぶ月を眺めていた。
ユウスケの力は強く、あたしを抱きしめる。
安心した。
こんなに大きな力で包まれる事なんて、いつ振りだろう。
「ありがと…。」
あたしはユウスケの耳元でそう囁くと、ユウスケの手を解いた。
あんなに強かった腕は、弱々しいあたしの手にあっさり従った。
あたしは立ち上がり、
「シャワー浴びて来るね。」
ユウスケに背を向けた。
服を脱いで、鏡に映る自分の姿を眺めた。
あたしは痩せた。
バカみたい。
「バカみたい。」
口の中だけでそう呟いた。
熱いシャワーを浴び、冷えた下半身がじんわりと暖まるのを感じた。
身体を流し、直ぐに風呂場を出た。
脱衣場で身体を拭いていると、ドアの向こう側から声がした。
「アヤさん…その、ごめん。」
タオルをバスケットに投げ入れ、全裸の自分の姿を睨んだ。
「何でユウスケが謝るの?」
全身から立ち上る湯気は、その量に反比例してあたしの体温を下げて行く。
「いや…急に来て、酒飲ませて、突然…あんな事言ったから…。」
「嬉しかったよ?」
「え?」
ドアの直ぐ傍にユウスケを感じた。
「あたしね、ユウスケの言った通り、5日も休み貰ったけどそれを持て余してたんだ。」
鏡の中のあたしは、何処と無く笑っている様に見えた。
「暇で暇で、部屋の大掃除なんてしてて…とにかく誰かに逢いたかった。そしたら、ユウスケが来てくれたんだ。」
「アヤさん…。」
「あたしで良いの?」
「え?」
「こんな女でも…構わない?」
「アヤさんが好きなんだ。この気持ちは、変わらないよ。」
「ありがとう…。」
鏡の中のあたしは、一筋の涙を零した。
「アヤさんこそ…俺で良いの?」
「何で?」
「いや、ほら…アキさんの事…。」
あたしは一度目を瞑った。
「もう…」
目を開いて鏡の中のあたしを見る。酷く力の抜けた顔をしている。
「もう疲れたんだ。アキの事を好きな自分にも、それに振り回される自分にも。」
そう言って笑うあたしは、とても寂しそうな顔をしていた。
「こう言うのって、卑怯かな?」
あたしは新しくオムツを穿き、ジャージとパーカーに身を包んだ。
「俺が…俺がアヤさんを…アヤを幸せにしてみせる。」
アキなら…きっと言わない言葉。
年下…弟だと思ってたユウスケも、やっぱり、一人の男だったんだな。
涙が溢れた。幾筋も、幾筋も。
あたしは脱衣場のドアに頭をつけた。
トン…。
小さく軽い音が響いた。
「カッコ良過ぎるよ。ユウスケ…。」
ドアを開けると、ユウスケはあたしに背を向け、ドアの前に座り込んでいた。
ユウスケが振り向く。
あたしはユウスケの肩から手を回し、後ろからそっと抱きしめた。
あたしの手を、ユウスケは優しく包んだ。
これは、過ちなんかじゃない。
「飲み直そっか。」
あたしが言うと、
「乾杯しようぜ?」
ユウスケは無邪気に笑った。
あたしたちはテーブルに戻って、新しい缶ビールのプルを開けた。
「じゃあ乾杯。」
「何に?」
あたしが言うと、
「俺達二人の愛と、幸せに。」
ユウスケは真顔で言った。
あまりに真剣だったから、あたしは何も言わず、ユウスケと缶をぶつけた。
愛と…幸せ…。
あたしはビールを流し込んだ。
「おいおい、大丈夫か?」
ユウスケは苦笑いした。
「っぷぅーーー!!」
唇の端から零れたビールをパーカーの袖で拭う。
愛と、幸せか。
きっと…アキはそんな事言えない。
あたしは、ユウスケの唇に自分の唇を重ねた。
「ありがと…。」
唇が触れる寸前に、あたしはそう言った。