第六十九話
「風」
これで良かったんだ…。
あたしはぼんやりと窓の外を見た。
5階建てのビルの最上階、他の建物の隙間から少しだけ空が覗いた。
この間、アキと一緒にいた女性が誰かは知らないが、
アキにも良い人が見つかったんだろう。
お互いに、幸せになろう。
「社長!」
情報課課長の堤があたしの机に走り寄った。
「堤さん。どうしたの?」
あたしは普段冷静な堤の様子に首を傾げた。
「エスタのホームページ見て下さい!!」
「エスタの?」
言われるがままにノートパソコンのインターネットを立ち上げる。
ブックマークから直ぐにAiR-styleの公式ホームページにアクセスする。
プロのウェブデザイナーが作ったページは、
引き込まれる様に繊細なアニメイションが流れている。
そこに、予想もしなかった、いや、したくなかった文字を見た。
『AiR-style解散』
あたしは堤の顔を見上げた。
堤は何も言わず、硬い表情で頷く。
直ぐに携帯電話を手に取った。
ツータッチでユミを呼び出す。今日、ユミは休みだった。
「もしもし?どした?」
もう昼過ぎだと言うのに、ユミの声は寝惚けていた。
「ユミ!?タカシくんから何も聞いてない!?」
「タカシから?何も?どしたの?」
「エスタが解散って本当!?」
「えぇっ!?」
ようやくユミの意識がはっきりした。
「聞いてないよ!?」
「直ぐ連絡取れる?ホームページ見たんだけど、全く理由が書いてないの。」
「うん。直ぐ電話してみる。」
「ありがとう。じゃ、後で。」
通話を切ると、あたしは副社長の部屋に向かった。
ノックもせずにドアを開ける。
「山下くん。」
突然の入室に驚いた山下は、読んでいた書類から直ぐに顔を上げた。
「どうしたの?」
つい先程のあたしと同様に、山下は首を傾げた。
AiR-styleの解散、その理由をユミに確認してもらっている事を告げると、
山下は引き出しからある封筒を取り出した。
「と言う事は…これは…」
あたしはその封筒の中身を知っていた。
約一年も前から、あたしと山下で極秘に進めていた計画。
あたしは頭を抱えた。
「全部パァ。」
言うと、山下は深い溜め息をついた。
「なんてこった…」
山下と顔を見合わせていると、携帯電話が鳴った。
あたしは素早い動作で目的のボタンを押すと、直ぐにそれを耳に当てた。
「どう!?」
「ごめん。あたしが寝てる間にタカシからメールも電話もあったみたい。昨日の夜と、今朝、着信が入ってた。」
今日、ユミが仕事でなかった事を呪った。
「それで?」
「今、タカシに電話した。解散は先週決めたみたい。あんたが坂下さんに逢ったって言ってた日の次の日。あ、あの女は彼女じゃないみたいよ?」
「そんな事は良いから。」
そう言いながらも、少し安堵している自分が居た。
「で、やっぱり事務所のやり方とは合わなかったみたい。」
「だからって解散しなくても!!移籍って言う手もあるでしょう?」
「うん、あたしもそういったんだけど…三人とも、疲れちゃったって…言ってた…。」
最後の方は、声に涙が混じっていた。
あたしは脱力した。
「そう…ありがとう。ごめんね、休みの日に…。」
山下は目で様子を伺った。
あたしは首を振り、
「ダメだ…本人達がもう疲れたって。」
「そうか…。」
山下は力無く俯いた。
「来月のライブ…行かないつもりだったけど、やっぱり行くね。」
「そう。」
来月、緑区で行われるエスタのライブのチケットを、山下は持っていた。
全席指定のライブで、WaterLight Labelのいつものメンバーで行こうと誘われていたが、
あたしは断った。
あたしが社長に就任して直ぐ、まだ全然余裕が無い頃だった。
あたしは黙ったまま、副社長室を出た。
六月に入り、あたしはまた一つ歳を取った。
来週、アキも誕生日を迎える。
しかし、その前の日には、AiR-styleは解散してしまう。
使い古された言い回しかも知れないが、
一つの時代が終わるのだ。
梅雨よりも先に夏が来てしまった様な気がする。
滲む汗を不快に感じながらあの書類を読んでいた。
山下と共に計画していた書類。
読むと言っても、手元に書類は無い。
あたしの頭の中にしっかりと記憶、いや、記録されているのだ。
昔からそうだった。
一度目を通しただけで全てが記録出来た。
そう言うと人はいつも羨むが、興味の無い事は直ぐに忘れてしまうので、
勉強にはまるで役に立たなかった。
もう、何の役にも立たない書類の映像を打ち切った。
同時に溜め息が出る。
書類は去年あたしが考案した物で、AiR-styleがWaterLight Labelに移籍する為の物だった。
AiR-styleがウチに移籍するには、現在AiR-styleが契約しているFine Musicも、
インディーズ時代に在籍していたハイスピンレコードも納得する条件が必要だった。
あたしと山下は、仕事の合間を縫って必死にその方法を模索した。
幾つか、これと言う物もあった。
多少危険だが賭けてみる価値のある方法もあった。
全てが必要無くなった。
AiR-styleその物が無くなってしまえば、移籍もレーベルも必要無い。
元々AiR-styleに頼まれて計画していた訳ではないので、解散と言う話が無くても必要かどうかは判らなかった。
それでも、Fineとの折り合いが悪いと言う話を聞いて、ある種の使命感すら感じながら計画を進めていたのだった。
また溜め息が出てしまった。若い社長には、何の力も無い。
エスタ解散の話を聞いたユウスケは、やはり寂しそうな顔をした。
あたしを気遣って元気付けようともしてくれたが、
あたしにはその優しさを受け止める余裕すら無かった。
いけないとは解っていても、ユウスケと逢う気分にはなれなかった。
どうしてもアキの事が頭から離れなかったのだ。
恋人の腕の中で、前の恋人の事を考えてしまうなんて、あたしには耐えられない。
ユウスケとは、ライブの日に逢おうと決めた。
今日も、メグは会社に来てくれた。
あたしはデスクトップパソコンに向かうメグの横顔を眺めた。
以前、メグに頼んだ物も、必要が無くなった。
メグはあたしに尋ねた。
「あれ、どうしようか?」
あたしはもう必要無いと言ったが、メグは最後まで仕上げると言った。
クリエイターとしての意地を見た気がした。
ユミやメグは、意外に明るかった。
AiR-styleは解散後、日輪町に戻って来るらしかった。
最初は落ち込んでいた二人だが、
「あの人達が自分で決めた事なら、仕方ない。」
と割り切った。
まだ完全に割り切れないあたしは、ユミより10ヶ月、メグより3ヶ月年上の癖に、
二人よりも子供なのかも知れない。
「アヤ、アーヤ。」
ハッと気付くと、直ぐにユミの呆れた顔が目に入った。
「何?」
「だからぁ、あんた今日どうすんの?」
「え?何が?」
ユミは溜め息をつく。
「ぼーっとしないでよ。さっき言ったでしょ?打ち上げ。」
「あ…あぁ、えーと、ま、気が向いたら…。」
あたしは苦笑いで答えた。
ライブ当日、あたし達はファミリーレストランで昼食を食べていた。
「今日で最後なんだから、お疲れって言ってあげてよ。」
シズカが優しく言った。
あたし、ユミ、マナ、シズカ、山下、そして、shin、水神、FUNK ODD SMITHのメンバー。
合計で14人。メグはメンバーと一緒に居るそうだ。
近くの席に座っている女子高生がイチルの顔を見てヒソヒソと話している。
「あんた達目立ち過ぎ。ハコの近く行ったら離れてよね?」
ユミが言った。
メンバーは全員AiR-styleに招待されていて、ライブはゲスト席から見る。
かと言って会場の入り口まで一緒に居ては、パニックになってあたし達まで迷惑を被る。
それ程までに、3つのバンドは有名になったのだ。
「解ってるよ。別行動だろ?」
水神のショータが言った。
緑区に着いてからこのファミレスに入るまで、
何回握手とサインを求められたか。
とにかく全員、変装が下手だ。
あたしは外を見た。
道路側は腰くらいの位置から上、ほぼ一面ガラスになっていた。
そのガラスに、急に水滴がついた。
「あ…。」
あたしは思わず声を上げた。
「どした?」
マナが言う。
「…雨…。」
「え?」
皆が一斉に窓の外を覗く。
ぽつりぽつりと雨が降り始め、直ぐにアスファルトを色濃く染めた。
それを確認すると、次は一斉にショータに視線が集まった。
ショータは戸惑いながら、
「俺じゃねぇよ!!」
と首を振った。