第七十話

「闇」

僕はドキドキしていた。
鼓動が速くなっている訳ではないが、やけに心音が気になる。
スタッフに手渡した第2の企画書。
内容は至って攻撃的だ。
Fine MusicのAiR-styleのライブを、僕等、AiR-styleが乗っ取る。
メジャーデビューしてから今まで、Fineの用意したステージは退屈だった。
やたら加工されたサウンド、キラキラして動きにくい衣装、
盛り上がってる振りをしている観客…。
モッシュも無ければダイブも無い。
感情の昂揚を感じられないステージだった。
僕等はただ淡々と仕事をこなすだけ。

楽屋に入ると、タカシとトオルは先に着いていた。
「よう。」
タカシが手を上げる。
「よ。」
僕は応えた。
「なんだよ、緊張してんのか?」
「まぁね、大それた事を計画したなぁって思って。」
「確かにな。」
トオルは笑った。
「雨、降って来たね。」
「あぁ、ショータが着いたんだろ。」
タカシの言葉に僕等は笑った。

会場は緑区でも有名で大きなライブハウス。
Fineはコンサート会場を予定していたが、僕等が無理を言ってライブハウスに変えてもらった。
第2企画書を考える前の事だ。
会場には低音の効いたミドルテンポジャズが流れている。
少しずつ、少しずつ、観客に気付かれない様に音量を上げて行く。

「ういーーーーーっす。」
ショータの声がした。
楽屋に入って来たのは水神、shin、FUNK ODD SMITHの9人。
「おう、来てくれたか。」
トオルが言う。
「ショータてめぇ!!!」
タカシがショータに襲い掛かる。
「痛っ!やめろよ!!雨は俺の所為じゃないって!!!」
「お前以外に誰がいるんだよ!!」
僕等はまた笑っていた。

「アキさん…。」
イチルが寂しそうな顔で僕の名前を読んだ。
「イチル、悪いな、心配掛けて。」
「いえ、3人でいっぱい悩んで決めた事でしょ?残念だけど、でも僕は何も言いませんよ。」
「ありがとう。」
イチルの後ろから、ユウスケが顔を出した。
胸の奥の方が微かにチクリと動いた。
「この前はどうも。」
「うん。あんな所で逢うなんてね。」
「帰ってるなら言ってくれれば良かったのに。」
「いやぁ、長くは居なかったから。」

僕が日輪町の実家に帰った日、偶然ユウスケとアヤを見かけた。
僕等は言葉を交わす事無く、擦れ違った。

F.O.Sの3人はトオルと楽しそうに話してる。
「あ、イチル、あの話はどうなった?」
僕が言うと、
「ちょっ!!やめて下さいよこんな所で!!」
珍しく焦るイチル。
僕は楽しくなり、
「良いじゃん良いじゃん。」
と、意地悪に笑った。
楽屋の隅で小声で話す。
「で?どうなん?」
「いやぁ…なかなかチャンスが無くて…。」
「頑張れよ。絶対大丈夫だって。」
イチルは溜め息をついた。
「恋愛に関してはアキさんに言われたくないなぁ。」
痛い所を突かれたなぁ。
僕は苦笑いした。
意地悪をしたお返しなのか、イチルは悪戯な笑顔を見せた。

9人はぞろぞろと楽屋を後にした。
ゲストは会場の2階席から僕等のライブを見る。
僕等は9人のゲストを見送って、またゆっくりとライブ前の時間を過ごした。

「マーシー遅いな。」
タカシが言った。

暫くすると楽屋のドアが開いて、スタイリストのエミが入って来た。
「おはようございます。早速ですけど衣装に着替えてもらえますか?」
僕等はのろのろと立ち上がった。
「あ、下に着るTシャツこれで良い?」
トオルが自前のTシャツを取り出した。
「あ、じゃあ僕も。」
そう言って、僕等3人はレミの用意した衣装の下に、Tシャツとハーフパンツを着た。
これも、第2企画書の計画通り。
僕等は何気ない顔で衣装に袖を通した。

「ま、別に良いですけど、ライブを乗っ取る計画なら、もうバレてますよ?」

レミの言葉に、僕等は顔を見合わせた。
「どう言う事…?」
僕が言葉を搾り出すと、
「いえ、マネージャーの高橋さんが全て専務に報告しましたから。」
レミはにやりと笑って楽屋を出た。

僕等は何も言えず其の場に立ち尽くした。

椅子にうな垂れて居ると、ばつの悪そうな顔でマーシーが楽屋に入った。
「マーシー…。」
タカシが言うと、
「すまん!!!」
マーシーは開口一番謝罪の言葉を発した。
「なんでだよ!?あんなに協力してくれたじゃないか!!」
タカシが叫ぶ。
「…直前になって、片桐専務が勘付いたんだ…問い詰められて…」
「だからって…!!」
「俺には嫁も子供も居る!!…今、クビになる訳には行かないんだ…。」

僕等は何も言えなかった。
片桐に脅されたのだろう…。
独り身で、解散しても再生の効く僕等と、家族を持って、Fineという大きな会社に就職した
マーシーとでは、背負っている物が違う。
マーシーの行動を責める事なんて出来なかった。

「スタッフは…?」
僕が聞くと、マーシーは首を振った。
「全員、違う人間に入れ替えられたよ。」
僕等は溜め息をついた。
これが…僕等の限界なのか…。

「本番、15分前です!!スタンバイお願いします!!」
見慣れない顔のスタッフが顔を出した。

「本当に、申し訳無い…。」
マーシーが頭を下げた。
「仕方無いよ…。」
僕はマーシーの肩に手を置いた。

「行くか…。」
タカシが力無く言った。
僕等は返事もせず、ゆっくりと楽屋を出た。

ポケットに忍ばせた、「裏」のセットリストが悲しくなった。
第2企画書で使う曲順が記されていた。
もう、必要なくなってしまったのか…。

「じゃあ、行きます!!」
また、見慣れないスタッフが居た。
会場に大音量のトランスが流れた。
僕等はゆっくりとステージに出た。

1曲目は、「表」も「裏」も同じ曲。
『カルニバル』

観客の歓声が上がる。
以前の野太い歓声ではなく、女性の多い、尖った、
俗に言う黄色い声。

曲に反して、僕の、いや、3人の気持ちは昂ぶる事は無かった。
最後のステージ、こんな事ではいけないと思いながらも、
惰性で曲を紡ぐ自分が居た。
気を抜くと、マイク越しに溜め息をついてしまいそうだ。

ただ、垂れ流しただけの『カルニバル』が終わった。
歓声の中、次は何だっけ?
足元に貼られた「表」のセットリストに目を落とす。
『表』は使わない予定だったから、頭に入っている筈が無い。

ふと、会場に目をやると、一番前の列にユカの姿を見た。
「…え?」
ユカは僕にウインクした。
困惑する僕。

すると、急に証明が落ちた。

濃厚で、湿度の高い闇の中で必死で考える。
こんな事、第1、第2のどちらの企画書の予定にも無かった。

暗闇が暫く続き、不審に思った観客がザワザワし始めた。
戸惑っているのは僕等も同じだ。
僕はキョロキョロと周りのスタッフを探した。
楽器もマイクも音が出ない。

僕等3人、AiR-styleは、急な闇に取り残された。