第七十一話
「終わりへ」
闇。
僕等AiR-styleの三人は暗闇の中呆然としていた。
長く続く暗闇に、観客達は次第にザワザワとし始めた。
どうなってるんだ…?
僕はキョロキョロと首を振った。
誰か、スタッフはどうしたんだ?
突然、僕のこめかみに柔らかい感触が走った。
驚いて振り返ろうとすると、
「動かないで。」
ユカの声だ。
「むらっちゃん…?」
僕は小声で言った。
「ごめん、ステージ上がるのに手間取った。」
ユカはそう言いながら僕の髪をセットしている。
ふわふわと寝癖の様なセットをされた僕の髪をユカの手が立ち上げて行く。
「服、脱いで?下に着てるんでしょ?」
「でも…。」
僕は他のスタッフの事が気になった。
ユカはそれを見透かす様に続けた。
「大丈夫、ちょっと手荒かも知れないけど、スタッフは全員一箇所に閉じ込めた。」
「閉じ込めた?」
「緊急会議だって言ってね。片桐の名前を使わせてもらった。」
「そんな事して大丈夫なのか?」
「高橋くんの指示だよ。」
「マーシーの?だって…」
マーシーは片桐に脅されてたんじゃ…?
「奥さんに電話入れたらしいよ。『ごめん』って…。」
「マーシー…。」
「あんた達は、絶対にこのライブを成功させなきゃいけない。解るね?」
「ああ…。」
会場の不信感は最高潮に高まっていた。
あちこちでライブを再開させろという声が上がる。
AiR-styleコール。
「もう時間が無い。観客も暗闇に目が慣れる頃だよ。」
ユカが言う。
僕は急いで衣装を脱ぎ、Tシャツとハーフパンツ姿になった。
靴を脱ぎ、裸足になる。
「やっぱ、気持ち良いね。」
どうしたんだろう…?
1曲目が終わり、照明が落ちてから五分は経っている。
何かトラブルだろうか…?
「大丈夫かな…?」
ユミが漏らした。
「…大丈夫。」
何の根拠も無い言葉を、あたしは言った。
すると、お腹に響くバスドラムの音が響いた。
ドッドッドッド…
マラソンの後の心臓の音の様に、早く、安定したリズム。
観客は一斉に歓声を上げた。
ライブが再開される…。
「お待たせーーーーーっ!!!」
タカシくんの声に、更に沸く会場。
ステージの照明が生き返った。
衣装が変わっている。
全員、キラキラしたスーツの様な衣装だったのが、
今はただのTシャツとハーフパンツ。
…あの頃に戻ったみたい…。
「さあ、皆で燃えようぜ!!」
タカシくんが叫ぶと、アキの踊る様なベースが始まった。
直ぐにギターとドラムも加わる。
アキが叫ぶ。
「Fire Starter!!!」
観客達は一斉に飛び跳ねる。
あたしは息を呑んだ。
今までのエスタじゃない。
いや、戻って来たのだ。
AiR-styleが。本当のAiR-styleが。
あたしの目に涙が溜まって行く。
そして、極端に変化するアレンジに、遂に涙は零れ出した。
おかえり…。
「おかえり…。」
いきなり来た…!!
『スコール』だ!!
ランダムに、突然やって来る中音域の波。
普段の低音重視のサウンドが、急に尖った音に切り替わる現象だ。
これを、僕は『スコール』と呼んでいる。
突出した中音のサウンドに急かされ、僕の指は、
まるでネックに弾かれているかの様に素早く動く。
即興で描いたアレンジが全て決まる。
一気に『Fire Starter』で駆け抜ける。
「燃えて、灰になるまで!!!」
タカシが叫んだ。
3曲目、『Ash』だ。
3曲目は『Ash』。
曲が始まると同時にエスタの背後のディスプレイが光った。
そこには、大きくアキの顔が映し出された。
…なんて表情…!!
本当に、今、この瞬間を楽しんでる。
抑圧された感情がバネの様に跳ね上がっている。
あたしはもう、涙が止まらなかった。
本当に、灰になる様に駆け抜けた。
「ただいまっ!!!」
タカシくんが叫んだ。
観客はそれに応える。あたしは、『ただいま』の意味を知っている。
そう、彼等は帰って来た。
「最近エスタは変わった、何て言われてるけど…」
タカシくんは笑う。
「その通り!!」
観客は歓声を上げた。
「俺達は日々、進化し続ける!!」
拳を突き出す。
「CHANGING!!!」
普段はシンバルで始まるこの曲、今日はタカシくんのギターソロから始まった。
観客達はみんなその場で飛び跳ねている。
これだ…。
AiR-styleのライブ。
AiR-styleの空気。
ステージも客席も、
エスタも、飛び跳ねてる観客も、壁に張り付いてる人も、
モッシュピットで笑う人も、皆…。
この会場が、一つになる。
それが、彼等の空気。
最初にセットリストを見た時は、ムチャクチャだと思った。
カルニバル、Fire Starter、Ash、CHANGING、Same name、Limited Locks、FOOL3、
MCを挟みながらも、7曲も連続で全力疾走の様な曲を続ける。
タカシは言った。
「今まであんなに抑え付けられてたんだからな、この位ストレス発散しないと。」
その通りだった。
疲労感なんてまるで感じない。
窓を全開にしたドライブの様に、心地良く駆け抜ける。
「ふぅーーーーー、ちょっと休憩しようか。」
タカシは言いながら優しくギターを鳴らした。
『虹』だ。
僕は雨上がりの日輪町をイメージした。
自然と声は優しくなる。
揺れる観客。僕は目を閉じた。
壮大な幸福感を僕に、会場に残して、虹は終わった。
僕は息をついた。
マイクに近付く。
「皆、今日は来てくれてありがとう。」
観客達は盛大に僕を迎えてくれる。
「残念だけど、今日で僕等は解散します。」
『やめないで』口々に観客達は叫んだ。
「ありがとう。でも、僕等3人で決めた事なんだ。これからどうするかは3人とも決めてないけど、
また、どこか出会えたら良いね。」
観客の歓声に、少し、泣きそうになった。
「あと2曲、続けて行きます。」
雨を…見た。
『Rain』
彼の声は、あたしの心に雨を降らせた。
その雨粒を、一つさえ落としたくない。
あたしは必死にアキの声に耳を傾けた。
時折激しく歌うアキの姿は、涙で滲んだ。
こんなライブをして、Fine Musicが許す訳が無い。
華やかさや、高級感とは程遠いライブ。
だけど、AiR-styleの魂が直接伝わって来る。
このライブに何も感じない人間なんて、居ない。
虹の後に、こんなに優しい雨が降るなんて。
「ラストーーーーーっ!!!」
珍しく、アキが叫んだ。
「今日は皆ありがとう!!」
タカシくん。
「お前等と逢った事、絶対忘れないからな!!!」
トオルくん、泣いちゃうよ。
最後は、『Some Strike』
お別れの曲。
タカシくんの、意地悪。
あたしは拳を突き上げた。
ユミと、肩が触れた。目が合う。
微笑み合う。
思い出さずには居られなかった。
あの時、ユミと一緒に行ったエスタのライブ。
そう、あの時に、あたしはアキが好きだと気付いたんだ。
そして…今も。
あたしは、アキが好き。
タカシが言っていた。
Strikeっていう単語には沢山の意味があって、
殴るだったり、楽器を弾くだったりもあるけど、
『契約を結ぶ』って言う意味もあるらしい。
お前は何かの契約を結ぼうとしたんじゃなかったか?
何か、大事な契約を。
僕は…。
「ありがとう!!」
そう言って、『Some Strike』を歌い切り、僕等3人は舞台袖に消えた。
袖にはマーシーが待っていた。
「マーシー…。」
マーシーは突然頭を下げた。
「本当に、すまなかった。」
僕等3人は顔を見合わせた。
そして笑った。
「マーシー、ありがとう。」
マーシーは顔を上げ、涙を流した。
僕等は抱き合った。
「お疲れ。」
ユカがタオルを渡してくれた。
「ありがとう。」
僕等は楽屋へ向かって歩き出した。
直ぐに足が止まる。
片桐だ。
「…お前達、こんな事してただで済むと思ってるのか…?」
「スタッフは関係無い。これは僕等3人で計画してやった事だ。スタッフは僕等に脅されて仕方なく手伝って居たんだ。」
僕は真っ直ぐに片桐を見て言った。
初めから、こう言う計画だったんだ。
絶対にスタッフをクビにさせちゃいけない。
「そう、俺達がやったんだよ。」
タカシも言った。
「ちょっと待てよ。」
トシくんが割って入る。
「トシくん…」
トシくんは僕に笑い掛けた。
「何勝手な事言ってんの?」
ユカが僕の肩を叩く。
「いや、ちょっと、お前等…。」
タカシがうろたえる。
「あんた達は自分達だけの力でここまでのライブをやった気でいるの?」
「いや、そう言う訳じゃなくて…」
「おいおい、スタッフには感謝しないってのか?」
トシくん。
「お前等、何言ってんだよ!!」
タカシが叫ぶ。
「まさか、今日の手柄を3人で独占するつもりじゃないよな?」
マーシーが笑った。
「マーシー…。」
僕等3人は呆然としていた。
マーシーは片桐の前に立ち塞がった。
「今日のライブはAiR-style、スタッフ全員が一丸となって作り上げた物です。」
「そう、チームAiR-styleがね。」
ユカ…。
片桐は鼻で笑った。
会場から、大きなアンコールが響いて来た。
僕等はステージを振り返った。
片桐はまた笑う。
「じゃ、アンコールがあるんでこれで。」
トシくんはそう言って持ち場に戻った。
スタッフもそれぞれ散って行った。
「何か処分があるなら、ライブが終わってからにして下さい。」
マーシーは片桐に言い、その場を去った。
ユカは笑って僕等の背中を押した。
「ほらほら、仕事だよ!!」
僕等は戸惑いながらも、3人、顔を見合わせて笑った。
「今日は、Fine Musicだけじゃなく、Fine本社の役員が来る筈だったんだ。」
片桐は言った。
僕等は立ち止まり、振り返った。
「急な会議が入ったらしく、来れなかったらしいが、良かったよ。」
「そうですね。」
僕が言うと、片桐は頷いた。
「私の責任問題になる所だった。」
「別に、あなたに迷惑を掛けようとは思っていませんよ。」
「いや、迷惑なんだよ。」
僕等は片桐を睨んだ。
「きっと管理責任を問われるよ。君達の力を抑え付け、引き出せなかったと。」
え…?
「え…?」
片桐は笑った。
「素晴らしいステージだった。今までの、どれよりも。」
驚いた。
片桐の目に、嘘は無かった。
代わりに、涙が流れた。
片桐の目にも、僕等の目にも。
「行け。」
片桐はそれだけ言うと、踵を返し、歩き出した。
「ありがとう。」
僕は言い、片桐に頭を下げた。
酷い奴かも知れないが、全ては、僕等の為を思っての事だと、解った。
僕等は、片桐とは反対の方向に、歩き出した。
全ての、終わりに向かって。