第七十二話
「蒸発」
鳴り止まないアンコール。
もう、どのくらい経っただろうか。
会場の誰もが、不安を感じていただろう。
しかし、それを振り切るかの様に、叫び続ける。
少なくとも、あたしの視界に入る観客の全員が、必死に叫んでいた。
あたし達は、信じる事しか出来ないのだ。
彼等を。
静かに、ステージの照明が点いた。
その一瞬後、会場は割れんばかりの歓声に包まれた。
あたしは小さく身震いし、鳥肌が立つのを実感した。
AiR-styleの3人は、落ち着いた足取りで持ち場に着いた。
ディスプレイにアキの顔が大きく映し出されると、観客は一層の歓声を上げた。
アキがマイクに近付く。
「ありがとう、あと2曲だけ演っても良いかな?」
優しく微笑むアキ。
会場は拳を上げてその言葉に応えた。
トオルくんが、一つシンバルを打ち鳴らしたあと、
バスドラムを一定のリズムで鳴らした。
全く同じリズムで点滅しながら、ディスプレイにはある文字が浮かび上がって来た。
『A』
その真っ赤な文字は、点滅を繰り返しながら、次第にブレる。
そして、二つに分かれた。
二つの『A』が、ディスプレイいっぱいに広がると、
トオルくんの2つのシンバルのあと、弾けた。
同時にギターとベースが入る。
勿論、はっきりと憶えている。
『notice?』と言うアルバムの9曲目、AiR-styleの曲の中で唯一歌詞の無い、
いや、歌詞が公表されていない曲。
敢えて英文的な表現をするならば、
あたしの最も好きな曲の一つ。
『エース』だ。
観客達は前奏で既に飛び上がる。
前奏の最後に、足元から脳天まで湧き上がる静電気の様なギタースクラッチ。
アキが歌い始める。
同時に、ディスプレイが赤く光った。
アキのボーカルに合わせて、長い英文が次々と現れては消えて行く。
あまりに速く歌うアキの速度に、ピッタリとタイミングを合わせて、
更に、その英文は振動する様に揺れながら。
まるでフラッシュ。
これは…歌詞?しかしとても目で追える物じゃない。
歌詞を公表しようと言う意志がある訳ではなく、
これも一つの演出なのだろう。
あの3人の悪戯心か。
あたしは少し笑った。
凄まじい速度で、膨大な量の英文が切り替わる。
まるで点滅しているかの様。
今回はタカシくんのコーラスも入らない。
アキが、アキ一人だけで歌い切る。
3人の演奏が同時に、突然に止まってフィニッシュ。
あとに残るのは、酷く乾いた空気だけ。
その乾いた空気があたしの所に届くと、あたしはまた、たくさんの涙を流した。
最高にカッコ良いよ。
アキ、大好きだよ。
タカシくんは人差し指を立て、目の前に突き出した。
「ラスト!!ラスト1曲だ!!」
観客は喉が張り裂けそうになるくらいの歓声を上げた。
あとには何も、残さない。
「そう。俺達も、お前等も、この一曲に全てを賭けよう!!」
高々と拳を上げる観客。会場が一体になる。
「後悔なんてしない!!ずっとずっと、甘い音に酔い痴れたい!!」
その言葉に敏感に反応する観客達。
「始まりと終わりの歌だ!!『SUGAR SONG』!!!」
火薬の様なシンバルが鳴ると、艶やかなギターが乗り、
反対にマットなベースがうねる。ドラムのビートが弾ける。
始まりと終わりの歌。
そう。
『SUGAR SONG』は彼等のデビューシングル。
そして、最後の曲となった。
ついさっきの『エース』での映像の様に、
アキとの思い出が、AiR-styleとの思い出が、
あたしの頭の中でフラッシュバックする。
心地良い強度で、胸が締め付けられる。
『SUGAR SONG』は、少しだけ酸味を含んだ甘いキャンディの様だった。
エスタのイメージはいつだって、悪戯っ子みたいだったな。
涙は止まらない。構わない。
だってそうでしょ?
ディスプレイに大きく映ったアキも、タカシくんも、トオルくんも、
周りで叫ぶ観客達も…この会場の全員が、
みんな、同じなんだから。
身体が熱い。身体が熱い。
喉が焼けてしまいそう。それでも、構わない。
灰も残さず、燃え尽きてしまえば良い。
ううん、あたし達の身体の7割は水なんだから、そう、蒸発してしまえば…。
最後のサビの部分、AiR-styleは何度も繰り返した。
アキがあたし達にマイクを向けた。
観客達は必死で歌った。
あたしも、必死で歌った。
届け!!届け!!届け!!届け!!届け…!!!
あたしの声、あのマイクに、届け。
あたしの声、アキに、届いて!!
ギターとベースの演奏が止まり、ドラムだけがリズムを刻んだ。
アキはマイクを自分の方に向け直し、涙混じりに言った。
「今日は本当にありがとう、今まで、本当にありがとう。僕等は今日で解散するけど、明日も、明後日も、ずっとずっと、音楽は鳴り止まない!!」
あたし達は歓声で応えた。
「みんなのこのパワーがあれば、何だって出来る気がするよ。力を、勇気をありがとう。」
あたし達は歓声で応えた。
「次でラスト、みんなもいっぱいの声で歌ってよ。」
シンバルが鳴る。
ギターとベースのサウンドが甦った。
最後の、本当に最後の『SUGAR SONG』は、喉が嗄れて殆ど声が出なかった。
最後の、本当に最後のAiR-styleは、涙で視界が滲んで、殆ど姿が見えなかった。
でも、後悔しない。最高だった。
そう。最高だったよ?アキ。
ねえ聞いて?
ミナもジュンもね、この時の映像が大好きなんだよ。
あたしは今でも泣いちゃうから、まともに見れないなぁ。
また、雨が降ったら逢いに行くね。
笑っちゃうでしょ?