第七十七話

「アキの覚悟」

この場所に来るのは、1年振り。
一見すると、あの頃のまま、何も変わっていない景色だが、
良く見ると、無くなってしまった物や、新しく出来た物がある。
時代。
時間の流れには、何物も逆らう事は出来ないのだろう。
時が流れ、変わって行くのは、景色だけじゃ無い。
僕だって、そうなんだ。

川辺に腰を降ろして、煙草を咥えた。
時計を見る。
午前11時30分。
時間まで、まだ22分あった。
僕は咥えた煙草をもう一度箱へと戻した。

空のてっぺん近くまで上った夏の太陽の光は、
1億5千万キロの彼方から秒速30万キロと言う速度で地球へ向かって来て、
その8分後に僕の肌に到達し、焼く。

僕はその場に身体を投げ出した。
なんて大きいんだろう。

…あと、20分。

そんな大きな宇宙の神秘を考えながら、
僕はたった1200秒後の事を考える。
そんなギャップが可笑しかった。
太陽が、眩しい。

日輪町に戻って来て、一度家に荷物を置き、
直ぐにこの場所に来た。
少しだけ変わった景色、変わらない空気、
変わらない、BERRY本社屋。
遠目に見えるBERRYの社屋を望み、あの大きな箱の中での生活を思い出す。
目の前の景色はこんなにも色付いているのに、
思い出は、部分部分がセピア色。
人間が完璧でない証拠が、少し微笑ましい。

あの頃と変わらず身に付けている腕時計を見た。
あと、15分。
ちょっと早く来過ぎたかな…?

『エース』の歌詞に意味を込めたのは、勿論アヤに気付いて貰いたいと思う部分も、多少はあった。
でも多くの部分で、『気付く筈がない』と思っていた。
『エース』は歌詞こそ英語だが、僕の歌い方がかなりでたらめで、
きっと英語が話せる人だって聴き取れないだろう。
一つの単語を二つに分けていたり、逆に繋げていたり、
実際に歌詞を読まないと解らない様に出来ている。
何故、気付いて欲しいメッセージをそうまでして隠したかったのか。
それは、きっと僕の『想い』と『不安』が混ざり合った結果だったのだろう。

いつの間にか目を閉じていた。
目を開けると、大粒の太陽が目に飛び込んで来た。
腕で太陽を隠し、同時に時刻を確認する。
あと、1分。

「やば。」

僕は慌てて起き上がり、ポケットから再び煙草を取り出して咥えた。
ジッポライターを構えて、時計を確認した。太陽の光で文字盤が反射する。
15秒前…。

突然、何かで太陽の光が遮られた。
太陽と僕を結んだ直線状に、何かが入り込んだのだ。
僕は、その『何か』の影の中に居た。
僕の前に立つ、人影。

その何かを確認する為に顔を上げようとすると、手の中のジッポを奪い取られた。

あっ。
「あっ。」

『何か』…いや、『誰か』を確認しようと上へ向いた僕の視線は、
それを確認する事無く、反射的に手元へ戻った。
感触の通り、僕の手の中にあった筈のジッポは、消えていた。
『誰か』は、僕の目の前にしゃがみ込み、その正体を現した。

カチンッ。


風が、吹いた。




ジッポの蓋を開けたアヤは僕とは目を合わさず、自分の腕時計を見ていた。
「5,4,3,2,…」

シュッ。

僕の目の前に揺れる炎。
その直ぐ後ろで、揺れる事無く、真っ直ぐに僕を射る視線。
「ゼロ。」

アヤはそう言って笑った。
僕は微笑んで、差し出された炎で煙草の先端を燃やした。
思い切り吸い込んだ煙を、思い切り吐き出す。
アヤは何も言わず、僕の隣に座った。

「…どうして…?」
聞きたい事は沢山あった。
どうやって『エース』の歌詞を知ったのか、
歌詞を知ったとしても、どうやってこの場所が判ったのか。

「…気持ち良いね…。」
アヤは太陽を見上げた。
「ここ、変わってない。この芝生、あの時の匂いがする…。」
「…うん。」
僕はアヤと、同じ方向を向いた。

「聞きたい事が、山ほどあるでしょ?」
アヤは微笑み混じりに言った。
「ああ…。」
「舐めないでよ?…こう見えても、国語の成績は良かったの。」
「へぇ…。」
「『エース』の歌詞を知って、その和訳を読んで、糸口さえ掴んだら直ぐに解った。」
「歌詞は、どうやって…?」
「ラストライブ。打ち上げは行けなかったけど、あたしも行ったんだ。」
「ああ、聞いてる。」
「アンコールで『エース』演った時、後ろのディスプレイに歌詞が流れたでしょ?それを見た。」
「あんな一瞬の映像で…?」
「…アキには言ってなかったね…あたし、映像とか書類とか、こんな風景とか…そう言う場面を一瞬見ただけで覚える事が出来るんだ。『記憶』って言うよりは、『記録』するんだって、自分では思ってる。」
「へぇ…じゃあ学生時代はかなり優秀だったんじゃない?」
「それ嫌味?…まるっきりダメ。興味無い事は直ぐに忘れちゃうんだ。」
僕は短く笑った。
「便利なんだか…。」
「不便なんだか?」
アヤも、笑う。
「そうそう。」
「…今までは判らなかったけど、今は、便利だと思う。お蔭で大切なメッセージに気付く事が出来たから。」
「そっか…。」
「間違ってたら恥ずかしいんだけど、二人の『A』って言うのは、あたしと、アキの事で良いんだよね?」
「ああ、間違ってないよ。」
「良かった。そこが違ってたら全部の答えが違って来るんだもん。」

僕とアヤは、互いに視線を合わせる事無く会話を続けた。

「あたし英語苦手なのに、一晩かけて自分で和訳したんだから。」
「お、スゲェじゃん。」
「ありがと。…最初に気になったのは、『YOU were born. A wonderful memorial day.
On the memorial day, I will wait at a place of a memory with you.』って部分。」
「…うん。」
「『You』が、この部分だけ全部大文字になってた。山下くんは『ただの強調だろう』って言ったけど、アキがそんな事するかな?って思ったし、ただの強調なら、何もこの部分で無くても良かった筈。強調の場合、和訳は大抵が『キミ』って、カタカナになるって聞いた。他にも『大切な君』とかもあるらしいけど、何かしっくり来なかったから。『キミが生まれた。素敵な記念日。』…じゃあ『キミ』って誰?って考えた。あたしじゃ無いって、最初から思ってた。あたしなら普通に『You』って小文字も使う筈だから。」

僕は、弱い風に揺れる芝生に視線を落とした。
鮮やかな緑が、輝いている。
アヤは続ける。

「でも、職場にメグがいて良かった。前から不思議に思ってたんだ。何でアキはタカシくんやトオルくんと一緒に帰らないんだろう?って。今月が…あの子の誕生日だからだね?」
「うん。」
「『キミ』…それはそのまま、『喜美』の事を差していた。『エース』を作った時期から考えても、間違いないよね?」
「うん。」
「喜美の誕生日。そこまで解ったら、何故か『思い出の場所』も、直ぐに解った。『その記念日に、君との思い出の場所で待っていよう。』って言う部分にばかり気を取られていたけど、ヒントは次の『君が来ればまた、歩き出せる様に』って部分にあった。『また、歩き出せる様に』つまり、二人が以前、一度歩き出した場所。それが、ここだね。」
「…うん。この芝生の河原は、僕等の始まりの場所だ。」
「解んなかったのは、今日の『いつ』、この場所に来るか。一日中待ってても良かったんだけどね。取り敢えず喜美が生まれた時間に賭けてみた。」
「…ビンゴ。」
アヤは、クスリと笑った。
「僕が時間丁度に煙草を吸うってのは、何で解ったの?」
「ああ、それはアキがしょっちゅう時計気にしてたから、時間になったら何かするんだろうなって思ってた。そしたら煙草咥えたからね。」
「成程ね。」
「あれが、歌詞にあった『覚悟』…?」
「うん…と言うか、その覚悟の表現、かな?」
「ユミとメグと話してた。『notice?』の発売を延期させたのは、アキなんだよね?」
「うん。僕だ。」
「あたしに『気付いて』欲しかったから…?」
「半々…。気付いて欲しいって気持ちと、気付かれたらどうしようって言う不安と…。」
「アキが6月を選んだのは、アキにとっても、6月は特別だったから?」
「…うん…6月は、アヤとの思い出が多いんだ。」
「…あたし…も…。」
アヤの声に、涙の色が混じった。
「アキとの思い出は…いつも、雨…だった…。」
「アヤ…。」

僕は、この時初めてアヤの顔をしっかりと見た。
涙で濡れた頬を、夏の太陽が照らしていた。
アヤも、僕の方を見た。

「ね…アキの『覚悟』って…何…?」

僕は、川の向こう岸を見て言った。
小さな声で、はっきりと…。


「好きだ…。」


「えっ…?」
アヤは戸惑いを隠さなかった。
僕は立ち上がり、3歩だけ歩いた。
振り向いてアヤを見下ろす。
「2回も言わせないでよ。」
ゆっくり笑った。
僕はしゃがんで、アヤに顔を近づけた。
「好きです。だから、もう一度付き合って下さい。」
もう一度、とはっきり言った。

アヤは呆然とした。そして、
「んー…っ。」
と自分の膝に顔を埋めた。
「やなの?」
僕が言うと、アヤは勢い良く顔を上げた。
「…ほんとに…?」
「…答えて?」
アヤは沢山の涙を流した。

僕は煙草の煙を大きく吸い込み、そしてゆっくり吐き出した。

この場所に来てくれたんだ、期待はある。
でも、断られる覚悟だって出来てる。

「また、やり直せるの…?」
アヤの涙混じりの声。
「もう、どっち?」
「ごめん…ほんとにビックリして…。」
アヤは涙を拭くと、しっかりとした眼差しを僕に向けた。
「また…お願いします。」
その言葉に、僕は全身の力が抜けた。

「良かったぁ〜…。」
と芝生に倒れこむ。
「ほんとに、段々不安になって来たよ。」
と苦笑いした。
「だってぇ…。」
拭いた涙が、また溢れ出す。
「ありがとう…。」
僕はそう言いながら立ち上がり、
「また、宜しくお願いします。」
と頭を下げた。

ふふっ。

アヤは小さく笑い、立ち上がった。
「こちらこそ、宜しくお願いします。」
僕等は笑い合った。

「あの時と、同じだね。」
アヤが言った。
「うん。立場は逆だけどね。」
僕は携帯灰皿に煙草を押し込んだ。

「ほんとに、ありがとう。」
「いやいや、僕の方こそ…。」
そう言うと、アヤはパンッ、と手を打った。
「よしっ、じゃあ取り敢えずこの話は中断!!」
「…えぇっ?」
意味が解らずと惑っていると、
また、似た様な音がした。


ぱんっ!!


それはとても渇いた音で、気が付くと僕の頬はじんわりと熱を持っていた。

僕は反射的に叩かれた頬を押さえ、アヤを見た。
「アヤ…?」
アヤはまた、涙を流していた。
そして、大声ではないが、確かに強く、叫んだ。

「弱虫っ!!!」


風にそよぐアヤの髪を、太陽が照らした。
ざあぁっ…。
芝生が揺れる。